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子育てなど

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これまで教育や福祉を学び、仕事にしてきた私が自身の子育てを通して考えていることを書いています。
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うちの子は発表をしない

発表をしないことに決めている、という衝撃の発言「発表はしないことに決めている。だから手を挙げない。」 という我が子の発言に驚き、戸惑い、そしてどう対応すべきなのかしなくてもいいのか悩んでいる、という現在進行形の話です。 まだ結論めいたことは何も言えなくて、今はただ記録を残しておきます。 授業参観で見た我が子の姿先日の授業参観で見たある光景。 授業の内容は、いろいろな表情やポーズの子どもが描いてあるイラストを見て、その子がどんな気持ちかを考えるというもの。 特に正解とか不正解

学校という社会に馴染めないのはある意味必然かもしれない

学校というのはある種の社会だ。 人が集まるから社会が構成される。 だからこそうまくいかないことがあっても当然なのだけど、でも少なくとも公立の小中学校は少しうまくいかない意味合いが違うように思う。 公立の小中学校はある意味でコミュニティであって、完全なアソシエーションでないことを意識するかしないかで学校というものの見え方が変わってくるのではないだろうか。 学校は本来ならば、学びのために集まるアソシエーション型の集団ということになる。 しかし、公立の小中学校に通う子どもたちは、

子どものお金の学び

お金を使うことって難しい。 最近初めてうちの子がお小遣いで買い物をした。 さんざん、さんざん悩んで買うものを決めた。 いろんな雑念に惑わされずに欲しいものを選んで選び抜いて、なかなか上手に買ったと思う。 我が家の小学2年生の子のお小遣いはお手伝いで稼いでいる。 それに、お年玉から預金とお財布に仕分けした分のお金がある。 お手伝いに報酬を渡すことについて、賛否両論があるのは承知しているけれど、その話はまたの機会にするとして、定額制のお小遣いは与えていない。 そして、普段から散

似たもの親子

人に話しかけることが苦手。 だから新しい環境は苦手。 あれ?これって私のことでもあり、うちの子のことでもある。 話したくないわけではない。 仲良くなりたくないわけでもない。 でも、何だかタイミングも話す話題も分からないのだ。 恥ずかしくてできないという気持ちがないわけではない。 しかし、それ以上に本気で分からないのだ。 多分これはうちの子も同じだと思う。 何となくタイミングを逸してしまう。 他の子と話してるときはダメだよね。 何か作業に集中しているときもダメだよね。 かと

子どもの手を離すということ

心を鬼にして、というのはどういうことなのか。 鬼というのは誰にとっての鬼なのか。 これまでちょっと勘違いしていたかもしれない。 相手に対して鬼になるのではなく、自分を律する厳しさを持って相手に接するということなのかもしれない。 子どもが登校するとき、車で送っていくことが多い。 入学当初から、何となく学校に気持ちが向きにくい、近所にいっしょに登校する子がいない、そんな理由から付き添い投稿していたのが、いつの間にか車での登校に変わっている。 大雨とか大荷物とか、そんなときはま

そらぱれ(旧みちらぼ)を続けられるか迷った話

そらぱれ(旧みちらぼ)について悩んでいた。 実は、親子の間で退会の危機までいったのだけど、これを書いている空間でアーカイブの映像を見ているところまで事態は好転した。 そらぱれは(旧みちらぼ)はオンラインの習い事だ。(今月から「そらいろぱれっと」と名前を変えてパワーアップしている。) この習い事では、デジタルツールを学べると同時に、「生き抜く力」を育てることにも注力していて、習い事をさせてもらっているというより、子育てに伴走してもらっているという空気がある。 詳しくは、我ら

(がんばれとは言いたくないけど、)がんばれ、2年生!!

うちの子が小学2年生になった。 春休みになる頃、クラス替えがあるのかどうかも分からず、尋ねても知らないの一点張り。 (母の私としては、職場の同僚からこの学校は毎年クラス替えがあるという情報を得ていた。) いや、初めてのクラス替えを経験するわけだから、何かしら説明を聞いてるのではないかと思いつつ、本人の知らないという主張を尊重しながら、クラス替えがあるだろうことを伝えておいた。 たぶん、考えたくなかったのだろうな、と思う。 外では目一杯緊張して過ごしている様子だし、初めて

いっしょに学ぶ仲間がいたら学校は楽しいのかも

私が自分の子どもに中学受験を勧める理由の一つに、仲間との出会いの可能性があります。 もちろん、学校でのカリキュラムや教師陣、設備などによる教育の質への期待があることはもちろんですが、いっしょに学んでいく仲間との出会いは、何よりも大事ではないかと思うのです。 この春、うちの子は公立小学校の2年生。 昨年の今頃、学校に入学したばかりの頃は、気の合う友だちを見つけるのに時間がかかってやきもきしていました。 ただそこに偶然集ったという接点だけでは、目の前の相手を友だちだと認識する

やっぱり100点はうれしい

先日、子どもが通っている公文教室のお迎えに行ったときのこと。 「今日は、算数が全部100点で国語は少しまちがえちゃった」 「久しぶりに算数が全部100点だったからうれしかった!」 と自分から話しかけてきました。 そうだよね、やっぱり100点はうれしいよね。 いつもは、学校のことも公文のことも、私から尋ねない限りは何も言ってきません。 たとえ訊いても、ふてくされて「忘れた」というのみです。 そして、私から聞き出した結果が、良い結果でないことを受けて励ましたとしても「別に

想定外の小学1年生ライフを振り返る(登校編)

毎朝学校まで送ってます。まあ、学校にたどり着けていれば何でもいいんじゃないかな。 それがいろいろ試行錯誤した結果、ほぼ毎朝車で送っている私の究極の答えのような気がします。 学校に行けてればそれでいいまもなく小学1年生が終わります。 登校は、車で送っていくことがほとんどで、自力で歩いていくのは週に1日もありません。 最初は、ランドセルを背負って登校することを子ども自身も親の私も楽しみにしていました。 しかし、いつの間にか、今のようなことになってしまいました。 それでも、「毎日

子どもの嘘とどう向き合う?

子どもの嘘との向き合い方を考えてみた子どもが嘘を吐くことは、あり得ないことではありません。 幼い頃のような分かりきった嘘ではなく、小学生くらいになると、それは保身のためだったり、面倒なことをその場限りで回避するためであったり、何となく反発したいとか、素直になれないときであったり、理由はいろいろあるでしょう。 だからこそ、子どもの嘘との向き合い方っていろいろあるな、と思った日のことです。 大した嘘ではなかったけれど先日、子どもに(多分)初めて嘘を吐かれました。 そんな大したこ

学校で勉強して何を身につけるのか

長年の論争に終止符を打つ高校までの教科学習で何を身に付けるのか、これはしばしば論争の種となるところです。 子どもからも「どうして勉強しないといけないの?」と訊かれたことのある人は少なくないと思います。 そして、これに対して明確な答えを持ち合わせている人はそう多くないでしょう。 しかし、実はこの答えは東京大学のホームページに書かれているのです。 まずは読んでみてほしい東大のホームページ該当するホームページはこちらです。 各教科ごとに、身につけてほしい力と、その目的が書いてあ

学校と家庭から深まる学び

学校で生まれた「どうして?」の問い先日、子どもが学校の授業でこの本を読んだ、と教えてくれました。 我が家ではお馴染みの本なのですが、学校で教材として読んで、どう思ったのか改めて聞いてみることにしました。 そうしたら、これまでに発してこなかった「どうして?」の問いが生まれていました。 でも、この「どうして?」の問いに答えはありません。 問いを持つことを止める必要はないけれど、答えを追求する必要のないことかもしれない、そういうこともあることを知ってほしいなと思いました。 ちなみ

昨今の入試から考えるこれからを生きるために必要な力

国語の学習の大切さを話し合う国語の勉強は大事だと、公文の先生と意気投合しました。 長文の読解力がなければ、国語はもちろん数学も英語も理科も社会も太刀打ちできないと。 その流れは、中学受験から大学受験まで確実に来ているようです。 そしてこの流れは、恐らく入社試験や資格試験にも波及してくるでしょう。 何より、この情報社会において正しく文章を読み解けること、膨大な情報から必要な情報を取捨選択できること、相手の意図を的確につかむこと、そして自分の考えを適切に伝えるために、国語の学習