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胆沢物語『吉実の苦悶』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館


【三章】吉実の苦悶

吉実一行が釣りに来た日は、贄(にえ)を上納する八月十四日の一ヶ月前に当たっていました。

数えてみると確か、今年の贄上納の当番は、机地庄兵ェ尉でありました。

※机地庄兵衛尉・・・つくえじしょうべえのじょう。おそらく机地という地域の庄兵衛という老翁。

そうすると、来年は吉実であらねばなりませんでした。

吉実はすっかりふさぎ込んでしまいました。

生来の楽天的な性格はいずこかに飛び去り、痛々しくもしおれてしまい、傍目にも気の毒なくらいでした。

どうしたって聞こえるはずのないほど遠い止々井沼(とどいぬま)の音が、目覚めがちの彼の耳に悪魔の呻きのように聞こえてくるのでした。

彼の苦悶、それは勿論、止々井沼に棲む大蛇への贄についてでありました。

その贄を、来年は吉実の郷から上納せねばならない当番になっていたことは前述の通りでしたが、吉実が密かに探索したところによると、来年十六歳になる娘はこの郷になく、吉実の一人娘だけということが分かったからでした。

痛々しい吉実の苦悩は、貞節な妻に通じない訳はありません。

吉実には妻は良い相談相手でありましたが、これだけは容易に解決する訳はありませんでした。

幾日幾夜も相談は続きました。

しかし好い知恵は生まれません。


ある日、所用で出かけた吉実が、まだ目的の地に到着しない時刻にあたふたと帰宅しました。

※目的地に到着する前に慌てて帰ってきた。

いぶかる妻の目に、吉実の嬉々とした顔が映じ(えいじ)ました。

かつてここ一ヶ月余り、見たことがないほど明るい顔でした。

そして堅く妻の手を握って話したことは、次のようなことでした。


自分の娘を贄に上納することは、まず不可能だ。

そのことでここ一ヶ月余りの心痛が続いた訳だ。

では、替え玉を使うことだ。

この三千世界に、自分の娘に似た顔の娘がどこかにいるだろう。

それをこれから尋ねよう。

なんでも江戸という所は、日本一の大きい町という。

何十万という人が集まっている所だという。

行ってみたら一人くらい、娘に似た女が見つかるかもしれない。

思い立ったら吉日、吉実は早速旅支度を整えて出立(しゅったつ)となりました。

供は下僕の五助と松平、路銀もたっぷりと嚢中を膨らませてというところだが、いずれにしても慌ただしい出立でありました。

※下僕・・・しもべ。下男、下働きの男のこと。奉公人。

※嚢中・・・のうちゅう。袋の中。


初秋の往還は、柔らかに陽光に溶けて、実に静かでありました。

※往還・・・おうかん。街道。

枝ぶりの見事な松が続いて、黄ばみ始めた田圃(たんぼ)には人影もありませんでした。

澄み切った藍碧の空には、鳶(とび)が大きい輪を描いていました。

※藍碧・・・らんぺき。あおみどり。

趣味の広い吉実には、この広々とした風景は、彼の心を打って豊かな詩情をかきたてるのでありましたでしょうが、今はそれどころではありませんでした。

供の五助にも松平にも、主人吉実の健勝ぶりを不思議に思うくらいでした。


江戸に着いたのは家を出てから七日目の黄昏、さしもの(さすがの)広い江戸の街も、各々の家々から上がる炊煙にひっそりと静かでした。

吉実等主従は、かねて定めておいた宿屋に草鞋(わらじ)を脱ぐと、早速高札を立てることにしました。

※高札・・・こうさつ。たかふだ。立札。人々に知らせたいことを書いて立てた木の札。

文面はつい嘘になってしまいました。

『私に一人の娘があったが、この間死んでしまったので、その身替わりの女子(おなご)を求めている。

その代償として相当額の金子(きんす)を支出する。

条件として、私の娘と瓜二つの顔が必要。』

という内容の高札を、江戸の街の特に繁華な場所、四ヶ所を選んで立てました。

そして五助、松平には道中の御苦労を謝する意味から、鳥目を与え、遊郭へやりました。

※鳥目・・・ちょうもく。金銭のこと。江戸時代までの銭は中心に穴があり、鳥の目に似ていたことから。


二日三日は夢の間、十日間の日時はいつしか経っていました。

吉実も相当イライラしてきました。

一人くらい冗談にも尋ねてきてくれてもよさそうにと思いました。

しかし実際は一人も尋ねる者はありませんでした。

今日も朝から高札のある場所に、二人の供を見にやったのでしたが、松平はむなしく帰ってきましたが、一刻を経て五助が帰ってきて、大変な事を報告しました。

それは止々井沼の大蛇の贄のことでした。

そのことは、はるばる遠いこの江戸の地まで噂されていたのでした。

あの高札は、相続の娘所望と甘いことを書いてあるが、それは嘘で、贄を買いに来たのだと言いふらされていたというのでした。


その夜すっかり不機嫌になった吉実は登楼して、ぐでんぐでんに酒に酔ってしまいました。

※登楼・・・とうろう。遊女屋にあがって遊ぶこと。

そして涙を流しながら、何にもならない事ながら、その相方に止々井沼の贄のことを話してしまいました。

※何の為にもならないと思うが、遊女に話してしまった。

そのことを聞いた吉実の相手の遊妓(ゆうぎ)は、しばらく考え込んでいましたが、思い出したように、そういう容姿の女に浪華で会ったことを話しました。

※浪華・・・なにわ。大阪市付近の古称。

藁をも掴みたい現在の心境の吉実は、宿料もそこそこに支払い、夜のうちに江戸を出立、浪華へと東海道を急ぎました。


しかし浪華に着いてしかるべき場所を訪ねてみましたら、確かに一ヶ月前まではその者はこの地に住んではいましたが、今は郷里九州松浦に帰って、居ないという話でした。

※郷里・・・きょうり。ふるさと。生まれ故郷。

吉実は更に供二人を励まして、山陽道を急がねばなりませんでした。

関門海峡の船路(ふなじ)は、海の経験少ない一行には難渋(なんじゅう)でした。

※関門海峡・・・かんもんかいきょう。本州と九州を隔てる海峡。


九州の旅路はもう春でした。

街道には桜は満開の花をつけていましたし、菜の花の美しく咲き揃った畑には、赤い襷の乙女の姿が見受けられました。

※襷・・・たすき。和服の袖やたもとが邪魔にならないようにたくし上げるためのひも。江戸時代は、労働時や日常の必需品だった。

未知の旅は中々はかどりませんでした。

幾度も幾度も道を聞き、あるいは道を聞き間違えて後ろへ戻るということも度々でした。


松浦に着いて、はっきりとその家を指差された時は午後も半ば、春とはいえ寒い風が吹いていました。

その家は留守でした。

困った吉実は誰かに尋ねようと思ったが、あいにくその辺に人影がありませんでした。

戻って改めて明日訪ねようかとも思いましたが、何か心に引かれるものがあったので、その辺をウロウロしていると、遥か彼方の雑木林の蔭に、二人の人影が歩いているのを発見しました。

とにかく行って尋ねてみようと、道を急いで近付いてみると、それは母娘らしいのですが、身には到底衣服とは思われない襤褸(ぼろ)をまとっている二人でした。

冠っている布も破れて、櫛(くし)もつけない髪が覗いていました。

何をしているのかとよくよく注意して見ると、去年の秋の稲の穂を拾っているのでした。

声をかけようとした吉実も、あまりの有様に戸惑って、なかなか声が出ませんでした。

結局それは、吉実がはるばるみちのくから訪ねてきた、当の松浦小夜姫でありました。

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