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辞世の句を詠むときが近づいている気がする


先週、教室で課題を解いていると、ビニールエプロンを着たおじさんがやってきて、「このエリアを消毒します」と言った。


な、な、な、なに!?


とりあえず退去して、恐る恐るそばにいた同級生に聞いたら、

「〇〇がコロナになったらしいよ」と、サラッと教えてくれた。


まってまって。

なんでその情報を、そんな無表情で抑揚なく事務連絡みたいに言えるのよ。


その子、私の隣の席なんだけど。

けっこうずっと隣にいたんだけど。

あいつおしゃべりだから、けっこう飛沫吸ってる気がするんだけど。


同じ実習班の子たちは濃厚接触者として自宅待機になったらしい。

なら私も濃厚接触者なのでは!? 


でも学生課が何も言ってこないってことは大丈夫か。

...??

大丈夫かな...!?


まあいっか

...いいのか?


と、不安感MAXで数日間過ごしました。

結果。

さっきから喉に違和感があります。

医学生らしく、自分の咽頭を鏡で確認したら、軽度の発赤と右扁桃腺の腫大を認めました。


はい、アウトー。



いや、まだ熱出てないしなんとも言えないけど。

がちでコロナだったらどうしよう。

最悪の事態を想像しちゃいます。

明日起きたら、喉がもっと痛くなってて、発熱してて、咳してて、

喘息の既往があるから、次第に呼吸状態が悪くなって、人工呼吸器につながれて...


ノーーーーーーーーー!!!!!



Memento mori 死を思え、は好きな言葉だったし、幸せな人生だったしいつ死んでもいいやーって思ってたけど。

急にその可能性を感じるとねぇ。

焦るわ。
なにがmemento moriが好き、じゃ。
ふつうに焦るわ。


死を前にして(?)思い出す知覧のこと


去年、家族旅行で鹿児島県の知覧に行ったんですよ。

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知覧は特攻隊が飛び立ったところで、その資料館があります。

“Kamikaze” なんていう、お国のバカらしさが現れちゃってるむごい歴史なんか見返したら、悲しい、嫌な気持ちになるに違いないから行きたくなかったのですが、


意外や意外、資料館から出てきたときには、背筋が伸びて、前向きな気持ちになっていました。

わたし、もっとしっかりしなきゃ、って。



資料館の中で、私が見たもの。 


それは、辞世の句でした。


たくさん展示されていて、

すべからく達筆で、

枕詞まで使ってて。


全く知らなかったんですけど、特攻隊員って、本来は免除されていたはずの学生を召集してるので、優秀な人が多かったらしいんです。

なるほど達筆なわけだ。

「母」の前に「たらちねの」を付けられるわけだ。

句には、親への感謝や、国に命を捧げる意気込みが、強がりかもしれないけど、力強く表現されていました。


わたしなら詠めるのか

彼らは、私と同世代です。

展示スペースを練り歩くうちに、必然と、「自分なら今、こんな句を詠んで死ねるのか」を考えていました。


「死ねるのか」に関しては、yesです。

国のために命を捧げるなんて馬鹿馬鹿しいと思っていたけど、この資料館の展示を見て考え直しました。

今は「敗戦」っていう事実を知っているから「お国のため」をバカにできるけど、国や天皇の偉大さを教えられていたら、自分なんかがこの国のために役に立つなら名誉なことだって思えそうです。靖国に祀ってもらえるわけだし。

実際、今現在も、自分の信じる宗教のためにお金や命を捧げる人がいるわけで、それと理屈は変わらなかったんだろうと思います。


さらに、日本が劣勢で、沖縄に米軍が上陸しちゃって、本土決戦も間近なわけです。

ということはそのうち、親や自分の子供なんかの目の前に直接、米軍が現れる。なにをされるかわかったものじゃない。

もし自分が戦艦に体当たりすれば、少しでも敵の侵攻を遅らせられて、大切な人を危険から遠ざけられる。少しでいいから。

「お国のため」に納得がいかなくっても、大切な人のためならば、特攻できるのも不思議ではないです。



では彼らのように、立派な辞世の句を残せるか、と言われれば、答えはNoです。

理性では特攻という事実を受け入れるとしても、自分の死を目の前にして、親をいたわり、風景を読み込み、枕詞を使って、達筆な句が残せますか?

わたしなら、震えながらぴえんぴえん泣くだけでしょうね。

「強いな」と思いました。
彼らは。

自分を奮い立たせるための、残す人を安心させるための強がりだったかもしれないけど、強がれるだけ強いです。


資料館を出る頃には、あんな風に強くて、知識があって、達筆な辞世の句を残せる人になりたいな、と思っていました。



んで。

それから一年半経った今日、急に辞世の句を考え始めなきゃいけない事態が出てきたわけです。

早とちりだといいんだけど、コロナじゃなくてもいつ死ぬかなんてわからないんだから、備えあれば憂なし、です。

頭がクリアなうちにいい句をここに載せて、死後冷たくなった私の指紋で親がこのiPhoneをのぞいた時に発見してくれればいいなって思って、このnoteを書き始めたのですが。


まったく思い浮かばない。


浮かんでくるのは、明日の朝、熱が出てたらどうしようとか、誰かにうつしてたら嫌だな、とかそういう不安ばかり。


どうやら、まだわたしは弱くて、知識が浅くて、字は汚いのです。



神さま、いい句が詠めるまで、もうちょっと待っていてくれませんかね。


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