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◆レビュー.《クラーク・ジョンソン監督『ザ・センチネル/陰謀の星条旗』》

<2022年11月21日>

 午後ローでやっていたクラーク・ジョンソン監督の映画『ザ・センチネル/陰謀の星条旗』見ましたよ♪
 2006年アメリカ映画。アメリカ大統領を警護するシークレット・サービスのやり手警護官2人を主人公にしたサスペンス・アクションです。

ザ・センチネル/陰謀の星条

<あらすじ>

 ある日シークレット・サービス警護官の一人が何者かに射殺される所から物語は始まる。

 警護官の一人ピートは、タレコミ屋から警護官射殺事件はある大統領の暗殺計画の一環だという情報を入手する。

 その暗殺計画にはシークレット・サービスからの内通者である何者かが関わっているのだという。

 シークレット・サービスでは内通者探しのために全員をウソ発見器にかける話が持ち上がるが、そんな折、ピートの元に大統領夫人と彼が不倫している所を盗撮した写真が送られてくる。

 警護官を始末した何者かがピートを脅迫してきたのだった。

 この件のためにピートはウソ発見器に顕著な反応が現れてしまう。ピートはシークレット・サービスの上層部から目を付けられ始め、秘密裏に彼の行動は仲間からマークされるようになっていく……というお話。

<感想>

 本作はアメリカ大統領を警護するシークレット・サービスの仕事内容を詳しく描写しているという、アメリカならではの題材でそこら辺は物珍しくて見てしまう。

 アメリカ合衆国のお仕事っていのはやっぱりスマートで格好いいよなぁ、なんて思ったりもする。

 命にかかわる重い責務のお仕事だからピリピリしていそうにも思える。が、そこはアメリカっぽく仕事中にウィットに富んだやりとりが交わされたり、会議中に気の利いたジョークが出て和やかな雰囲気になったりする。
 日本の組織のような上下関係の嫌らしさもなく、ウェットな感じがしないのは見ていて心地いい。

 しかし、これは日本のお仕事ムービィにも言える事で、ホンモノの生々しい組織内の嫌らしい人間関係やらブラックな側面はあえて書かず「誰もが憧れる職場イメージ」で作られているのかもしれない。
 日本のお仕事ムービィでも「そんな和やかでホワイトな職場なんてそうそうないでしょ?そんなお殿様商売の職場なんて今どきどこにあるの?」というほど――言ってしまえば違和感のあるほど和やかなお仕事風景のものが非常にしばしば見られる。

 きっと、海外映画についても同様の事が言えるのではないかと思う。
 逆に言うと、前半のシークレット・サービスの仕事風景はそういった「アメリカ人の想像する厳しくも楽しい意識の高い職場」の心理イメージが反映されているのだろう。

 そういうその国のライフスタイルや文化意識に関わるイメージのあれこれというものは、海外映画を見ていていつも面白いと思う所だ。

 場面転換もテンポ良く、サクサクと進んで飽きさせず物語が進むのも、手際が良くてエンタテイメントとして優れていると感じられる。

 しかし、これといった特徴に欠ける、「売り」に乏しい物語というのは惜しい。

 ネット上でも「劣化版『24-トゥエンティフォ-』だ」と揶揄されるのも致し方ないだろう(自分は『24』は見た事はないのだが)。要人警護やシークレットサービスといった物語は、特に珍しい題材でもない。
 その珍しくもない題材を使って、どのようなオリジナリティを出すかというのが問題だが、この作品はどうも「あれもこれも」という感じで欲張りすぎたという印象がある。

「長年の友人と仲たがい―仲たがいした友人との確執が深まる―事件を通して共闘せねばならなくなる―共に困難な事件を解決して友情が復活する」という友情物語パッケージ。

「新しく入ってきた新人がベテランと組む事になる―新しい職場で色々と戸惑う新人―ベテランが様々に優れた技能を見せて新人を導く―共に困難な事件に取り組む事で新人の意識が変わっていく―クライマックスで新人がベテランの教えのおかげで重要な貢献をする―二人に深い絆(愛情)が芽生える」という新人‐上司物語(ついでに恋愛物語)パッケージ。

「人よりも優れた技能を持った人間が悪役にハメられる―犯罪の嫌疑をかけられて逃亡する事となる―自分の技能を巧く利用して逃亡しながら自分をハメた犯人の捜査をする―追う捜査官との激しいぶつかり合いを見せる逃走劇―クライマックスで自分の嫌疑を晴らし、自分を追っていた捜査官と一緒に真犯人を追い詰める」という冤罪逃走劇パッケージ。

……等などというハリウッド映画ではしばしば見られるパッケージングされた王道エンタテイメント要素を上記以外にもいくつか盛り込んで見どころ沢山にしている。
 これだけ様々な要素を入れ込んでいるのだから、テンポ良くガンガン進めないと通常の映画の枠内に収まりきらなくなる。だから、自然テンポは速くなる。
 となると自然とそれぞれの要素についてじゅうぶん触れられ時間もなく「薄く」なってしまうので、それぞれの要素がそこそこ楽しいだけになってしまい、観客に与える「これ!」といったインパクトに欠けるのだ。
 これだけ様々な要素を入れ込んでおきながらもゴチャゴチャした混乱を起こさず割と分かり易いストーリーラインになっているという点は、脚本が整理されていてそつがないと言えるだろうが、そういった「無難さ」がこの映画の個性を削いでいる要因の一つでもあるのだろう。

 本作は2006年公開作品という事で、恐らくアメリカとしては「テロリズム」というテーマには敏感になっていた事だろう。2001年アメリカの同時多発テロから21世紀はテロの時代になると予想されていた時期であった。
 本作の真犯人はアラブ系ではなく元KGBのテロリストグループという事だったのだが、「テロリズム」という要素が強調されている点は、そういった時代背景も意識されているのかと思わせられる。
 テロ犯が単独犯でなく、イカれた狂信者的なものでもなく、冷静で周到な計画に基づいた計画で破壊工作を行うテロリスト・グループであるというのも、当時のアメリカの「テロに対する意識の変化」の残滓が伺える気もする。
 だが、この要素についても非常に「薄く」、テロリストグループの動機もほとんど触れられる事無くサラっと流されてしまった。
 という事で本作では「テロ」というものはテーマとして言及するほどの要素にはなっておらず、せいぜい世相に合わせて盛り込んだ要素だったという印象である。

 映画に、――テレビドラマにはない新しい驚き、新しい世界観、予想外のアイデア、自分たちを日常のしがらみから解放してくれる異世界を見せてほしい――と期待している視聴者であったならば「普通の海外ドラマを見た」感に物足りなさを覚えた事だろう。

――かくて視聴後に観客の胸に残るのは、シークレットサービスさんたちのおかげで今日もホワイトハウスの平和が維持されたのでした……という軽いメッセージなのであった。めでたしめでたし。


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