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魔法少女の系譜、その68~一九七五年のまとめ~


 今回は、昭和五十年(一九七五年)のまとめをします。

 昭和五十年(一九七五年)という年は、『魔法少女の系譜』的には、奇跡の年でした。
 本『魔法少女の系譜』シリーズでは、この年にテレビ放映されたか、雑誌で連載が始まった作品を、五つ取り上げました。『ラ・セーヌの星』、『超少女明日香』、『紅い牙』、『エコエコアザラク』、『悪魔【デイモス】の花嫁』、『はるかなるレムリアより』の五つです。

 魔法少女作品史上、これほどに、意味ある作品がそろった年は、空前でした。二〇一七年現在ほどには、アニメや漫画が量産されていない時代であることを考えれば、まさに奇跡です。

 これまで、魔法少女作品を取り上げた評論では、「昭和五十年代前半(一九七〇年代後半)は、魔法少女不毛の時代」だとされてきました。テレビ放映された魔法少女アニメが、少なかったからです。
 しかし、それは、間違いです。昭和五十年(一九七五年)の段階で、これだけの魔法少女的作品が出ているのですから。

 「テレビで放映された魔法少女アニメ」だけを見ていれば、確かに、「魔法少女不毛の時代」に見えてしまうでしょう。それは、視野が狭すぎます。二〇一七年現在ほどには、アニメが量産できなかった当時は、漫画まで射程に入れないと、傾向を見きわめられません。

 漫画の場合、テレビアニメと違って、人気作品は、年単位で連載が続きます。一度に与える影響は小さくても、じわじわと、長く細く、影響が続きます。
 例えば、『超少女明日香』の場合、昭和五十年(一九七五年)に始まった連載は、断続的ながら、なんと、平成十六年(二〇〇四年)まで続きます。こんなに連載が続くのは、人気の証しですね。

 『紅い牙』も、断続的に、十年以上、連載が続きます。連載が終わったのは、昭和六十一年(一九八六年)です。その後、平成元年(一九八九年)に、後日談が描かれています。

 『エコエコアザラク』は、昭和五十四年(一九七九年)にいったん連載が終わったあと、続編の『魔女黒井ミサ』、『魔女黒井ミサ2』が、一九八〇年代に連載されます。一九九〇年代には、『エコエコアザラク II』が連載されます。さらに、平成二十一年(二〇〇九年)には、読み切りが雑誌に載っています。四十年に渡る、息の長い作品です。

 『悪魔【デイモス】の花嫁』は、平成二年(一九九〇年)まで、連載が続きます。その後、平成十九年(二〇〇七年)に、『悪魔【デイモス】の花嫁 最終章』と銘打って、新たに連載が始まります。二〇一七年現在では、『最終章』の連載は中断中ですが、これで終わりではなく、再び始まることが予告されています。つまり、今なお現役の作品です。

 『はるかなるレムリアより』だけは、短期集中連載だったため、昭和五十年(一九七五年)の間に、連載が終わっています。

 こうして見ると、短期集中連載の『はるかなるレムリアより』を除いて、どれも、十年以上も連載が続いた作品ですね。人気がなければ、こんなことにはなりません。ということは、漫画界に与える影響が大きい作品であることは、間違いありません。
 これほどの作品群を、『魔法少女の系譜』に加えないのは、どう考えても、誤りです。

 さて、これら五つの作品を並べてみると、気づくことが、いくつかあります。
 一つは、「戦闘少女の多さ」ですね。『悪魔【デイモス】の花嫁』のヒロイン、伊布美奈子【いふ みなこ】以外は、全員、戦闘少女です。

 『ラ・セーヌの星』のヒロイン、シモーヌは、魔法は使いませんが、剣術で戦います。
 『超少女明日香』の明日香と、『紅い牙』のランおよびソネットは、超能力で戦います。『はるかなるレムリアより』の長脇涙【ながわき るい】(=アムリタデヴィ)も、超能力で戦うといえるでしょう。
 『エコエコアザラク』の黒井ミサは、黒魔術で戦います。

 これは、昭和五十年(一九七五年)当時の漫画・アニメ界では、異例のことです。少年漫画であろうと、少女漫画であろうと、テレビアニメであろうと、当時は、「女性キャラは、戦わない」のが、普通でした。
 それが、この年に、一斉に、「戦う女性キャラ」が登場しました。しかも、全員、まだ少女の年齢から、戦い始めました。
 おそらく、昭和五十年(一九七五年)をもって、「戦闘少女」というキャラクター類型の一つが、日本の漫画・アニメ界に根付いたのだと思います。
 この時点では、まだ細く、目立たない流れでしたが、のちに、大きく花開くことになります。それは、皆さん、先刻御承知ですよね(^^)

 戦闘少女は、根付き始めると同時に、魔法少女と融合し始めました。
 剣術で戦うシモーヌを除いて、明日香も、ランも、ソネットも、涙【るい】も、ミサも、魔法に類する能力を使います。
 それまでの魔法少女たちは、『好き!すき!!魔女先生』の月ひかるや、『キューティーハニー』のハニーといった、ごく一部の例外を除いて、戦闘には参加しませんでした。魔法少女と戦闘少女とは、別ものと認識されていました。
 それが融合し始めたのが、昭和五十年(一九七五年)なのでしょう。この流れも、やがて太くなって、二〇一七年現在へ続きますね。

 戦闘少女は、また、自立する女性の象徴でもありました。
 それまでの女性キャラは、ほぼ一方的に、男性に守られる存在でした。それが、例えば、『超少女明日香』では、ヒロインが好きな男性を守る、という逆転現象が起こります。『ラ・セーヌの星』では、ヒロインが、男性義賊の「黒いチューリップ」と協力して、対等に戦います。『紅い牙』のランやソネットも、仲間たち(老若男女を含む)を守るために、協力し合いながら、戦います。

 『エコエコアザラク』のミサに至っては、ただの気まぐれで、大量の殺人を犯します(^^; 「男性を利用する」ことはあっても、「男性に頼る」などという気配は毛ほどもない、ダークヒロインです。

 『はるかなるレムリアより』の涙【るい】も、その正体は、「人類の女王」アムリタデヴィであり、彼女の力で、なんと、人類全体を救ってしまいます。パートナーとなる男性はいますが、パートナーよりも、彼女のほうが、立場も能力も上です。

 戦闘少女たちは、戦わざるを得ない場面で、戦いを辞さないことによって、積極的に人生を切り開いてゆくことができます。それは、昭和五十年(一九七五年)当時の少年少女たちにとって、憧れだったのではないでしょうか。
 ことに、女性は、まだまだ、抑圧が強かった時代ですから、少女たちに希望をもたらす存在だったと思います。

 一九七〇年代の日本の女性が、どういう立場に置かれていたか、一つだけ、例を示しておきましょう。
 『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子さんの講演を聞いたことがあります。『ベルばら』は、言うまでもなく、日本の漫画史上最大規模のヒット作ですね。
 一九七〇年代、池田さんが『ベルばら』を連載していた頃、女性漫画家の原稿料は、男性漫画家の半分だったそうです。
 同じ量の仕事をしても、ですよ? 週刊漫画雑誌で漫画を描くなんて、とんでもなく過酷な仕事なのは、男性でも女性でも同じなのに、そうだったというのです。

 あまりにも理不尽なので、当時、池田さんは、「なぜなのか?」と、編集さんに訊いたそうです。すると、答えは、「だって、男の人は、妻子を養わなきゃならないんだよ」でした。
 当時は、「男性も女性も、結婚する。結婚後は、男性が働いて、その収入で、妻子を養う。女性は専業主婦で収入なし」が、当たり前だったんですね。言いかえれば、「女はろくに働けないんだから、男に頼って生きてろ」ということです。
 二〇一七年現在は、良い時代になりました(しみじみ)。

 一九七〇年代には、漫画の中の世界も、『悪魔【デイモス】の花嫁』の美奈子のように、「戦わない、受身のヒロイン」のほうが、普通でした。
 そこに、少数派ながら、「戦いも辞さない、男性に頼りきらないヒロイン」が出てきました。長い時間がかかって、こういうヒロインが、特別ではなくなりました。
 もちろん、二〇一七年現在でも、「戦わない、受身のヒロイン」はいます。そういうヒロインも、否定する気はありません。作品には、多様性があったほうが、面白いですからね(^^)

 昭和五十年(一九七五年)の作品群で、もう一つ、重要なのは、「転生型の魔法少女が現われたこと」でしょう。『悪魔【デイモス】の花嫁』と、『はるかなるレムリアより』が、先駆けとなりました。
 これは、当時のオカルトブームが、色濃く反映しています。「転生」という現象が、ある程度の人数の人々に認識されなければ、こういう作品は、描かれなかったでしょう。
 「転生」という現象が、実在するかどうかは、また、別の話です。

 転生型の魔法少女といえば、真っ先に思い起こされるのが、『美少女戦士セーラームーン』ですね。日本のアニメ史上に残る大ヒット作品です。
 『セーラームーン』の直前の一九八〇年代~一九九〇年代には、『ぼくの地球を守って』というヒット作も、現われました。一般的には、本作は、「魔法少女もの」には含まれませんが、含めてもいい作品だと思います。「転生」が非常に重要な鍵になる作品でした。

 『セーラームーン』や『ぼく地球【たま】』といった大ヒット作の下地を、『悪魔【デイモス】の花嫁』や『はるかなるレムリアより』が作りました。ヒット作は、突然出るものではなくて、必ず、先行する類似作品があります。

 昭和五十年(一九七五年)のまとめとしては、こんなところでしょうか。
 次回は、新しい作品の紹介に戻ろうと思います。



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