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魔法少女の系譜、その122~『ぐるぐるメダマン』~


 今回も、前回に続き、『ぐるぐるメダマン』を取り上げます。
 八つの視点で、『ぐるぐるメダマン』を分析します。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?
[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

の、八つの視点ですね。


[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 『ぐるぐるメダマン』には、二人の魔法少女が登場します。一人ずつ、魔力の由来が違います。

 高坂マミは、普通の人間の少女ですね。「おばけのネックレス」を手に入れたために、おばけたちと縁ができます。彼女は、魔法道具型の魔法少女ですね。
 アズキアライは、おばけの一人です。おばけなので、もとから、人間にはない超常的能力を備えています。生まれつき型の魔法少女ですね。

 この時代に、複数の由来の違う魔法少女を、レギュラーで登場させるのは、たいへん、珍しいことでした。日本のテレビ界では、初めてかも知れません。
 もし、『ぐるぐるメダマン』以前に、そのようなテレビ番組があれば、教えて下さい。


[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 これは、『メダマン』では、はっきりしています。

 最終回で、高坂マミは、「おばけのネックレス」を、すべてメダマンに返します。これにより、彼女は、超常的能力を失って、普通の少女に戻ります。
 当然、マミは、普通の成人女性になるでしょう。

 アズキアライは、最終回で、メダマンをはじめとするおばけの仲間と一緒に、「おばけの国」へと帰ります。この時点では、もはやお約束になっていた「魔法の国から来た魔法少女が、魔法の国へ帰る」パターンですね。
 おばけの国では、アズキアライは、普通の存在です。成長して、普通のおばけになるでしょう。

 なお、「おばけのネックレス」に取り憑いていた神さまも、おばけたちと一緒に、おばけの国へ行ってしまいます。神さまと言いながら、おばけに近い存在のようです。
 この点が、伝統的な口承文芸との近さを感じさせて、興味深いです。日本の神さまは、本来、妖怪(おばけ)と近い存在なんですよね。何か、超常的な現象を起こすものがいて、それが祭られると、神になります。祭られないままですと、妖怪(おばけ)です。
 きっと、『ぐるぐるメダマン』の神さまは、もとは、メダマンたちと同じ「おばけ」で、たまたま祭られたために、神さまになったのでしょう(笑)


[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 『ぐるぐるメダマン』の魔法少女二人は、どちらも、変身はしません。

 アズキアライのほうは、透明化の術を持っていて、透明になることができます。いつも人間に姿を見られるのでは、都合が悪いために、透明化の術を使います。
 この術は、アズキアライだけでなく、すべてのおばけが使えます。「おばけの国」の住民ならば、普遍的に持つ力らしいです。


[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 高坂マミは、「おばけのネックレス」という魔法道具を持ちますね。
 アズキアライは、手に小豆を入れる容器を持つことが多いですが、これは、特別な力があるものではないようです。

 「おばけのネックレス」は、高坂マミの家に、三百年以上も前から伝わっていたということになっています。ならば、高坂家は、ずいぶん由緒ある家ですね。
 けれども、テレビ画面で見る限り、高坂家は、当時としては普通のサラリーマンのおうちです。お屋敷に住むわけでもありません。瓦屋根の二階建ての家です。
 二〇二〇年現在であれば、都内で一戸建てなら、裕福な家になってしまいますね。高坂家がどこに住むのかは、明示されていませんので、都内とは限りません。都内だったとしても、一九七〇年代であれば、一戸建てでも、「普通の家庭」でした。『サザエさん』を見れば、わかっていただけると思います。

 そんな「普通の家」に、「三百年以上前の装身具」が伝わっているなんて、よく考えれば、変です。このあたりは、コメディということで、許されたのでしょう。


[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 高坂マミも、アズキアライも、マスコットは連れていません。
 ただ、メダマンやアズキアライのおばけ仲間のマッサラが、マスコット的役割を果たします。
 マッサラの、語尾に「~サラ」を付けたしゃべり方は、のちの「魔法少女もの」のマスコットの先駆ですね。


[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 高坂マミも、アズキアライも、呪文を使います。

 高坂マミは、「おばけのネックレス」に書かれていた「おんみょうのんけんそわか」という呪文を唱えます。この呪文を聞くと、おばけは、動けなくなってしまいます。
 この呪文の効用は、独創的といえます。多くの魔法少女は、変身する時や、周囲の物を動かす時などに、呪文を使います。「他者を縛ること」に用いられる呪文は、例が少ないです。

 古い文芸作品で言えば、『西遊記』の孫悟空を縛る頭の金輪に当たるのが、「おんみょうのんけんそわか」の呪文ですね。
 『ぐるぐるメダマン』の場合は、主役のメダマンだけでなく、すべてのおばけに対して、この呪文が効きます。『メダマン』のように、おばけがあふれている世界では、単機能ながら、便利な呪文ですね(^^)

 アズキアライは、「キエロ、キエレ、キエリ」の呪文を使って、透明化します。この呪文は、アズキアライだけでなく、すべてのおばけが使えます。


[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 高坂マミは、「おばけのネックレス」というより、おばけたちのことを、秘密にしているようには見えません。
 メダマンたちは、マミの家族や、学校の先生、クラスメートたちの前に、堂々と現われています。

 面白いのは、「おばけ」の存在を信じなかったり、怖がったりする、周囲の人々の反応です。
 マミのお父さんは、「おばけが怖い」人です。怖いので、メダマンたちの存在には、気づいていても、触れたくないんですね。メダマンと同居することになってしまった時には、「三メートル以内に近づくな」と申し渡します。
 マミの担任の先生、若林先生は、「おばけの存在を信じない人」です。信じていないので、メダマンの姿を見ても、「何か、変わったペット」だと思っています。
 「こんなペットがいるか!」と、突っ込みたくなりますね(笑) コメディだから、できる描写です。

 マミのクラスメートの男子、スパナ(あだ名です)は、いつもスパナを持ち歩いていて、何でも分解したがるので、こんなあだ名が付いています。彼は、メダマンを分解しようとしたことがあります。怖さよりも、知的好奇心のほうが勝る子供として、面白い造形だと思います(^^)

 アズキアライは、わりと謙虚なタイプで、積極的に、人間の前に姿を現わすことは、少ないです。とはいえ、メダマンが目立っているので、その仲間として、存在の秘密は、あってなきが如しです。

 秘密がばればれでも、話が成り立つのは、コメディだからですね。このために、話の視点は、いろいろなキャラクターに持たせることができます。主役のメダマンはもちろん、高坂マミの視点も、アズキアライの視点も、海ぼうずやアマノジャクやミーラ男、マッサラの視点もあり得ます。外在的な視点の作品と言えます。

 実際には、やはり、高坂マミか、メダマンの視点が多かったですね。


[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

 何度も書いていますとおり、高坂マミと、アズキアライと、二人の魔法少女が登場します。当時としては、珍しい作品でした。


 不幸なことに、『ぐるぐるメダマン』は、二〇二〇年現在では、ほぼ、忘れられた作品です。魔法少女ものとして、注目されたことも、ありません。
 しかし、ここまで、『魔法少女の系譜』シリーズを読んできてくれた方なら、おわかりでしょう。『ぐるぐるメダマン』は、魔法少女ものとしても、見ることのできる作品でした。

 しかも、注目すべき特徴が、いくつか現われています。「語尾に特定の言葉を付けてしゃべり、キャラを立てる」、「一般的に男性だと思われているキャラを、女体化する」、「複数の、由来の違う魔法少女が登場する」などですね。ずっとのちのおたく文化の中で、これらは、一般化してゆきます。
 むろん、『メダマン』の放映された時点では、これらの特徴が、後世の娯楽作品の中で、大いに利用されるなんて、誰も、予想していません。未来予想なんて、誰もできませんからね。

 マイナーな作品の中にも、先駆的な要素があり、それゆえに、考察されるに値します。完全に忘れ去られては、いけません。

 今回は、ここまでとします。
 次回は、『ぐるぐるメダマン』とは別の作品を取り上げる予定です。



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