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追悼・花村えい子先生

昭和の少女漫画界をリードされてきた巨匠・花村えい子先生が先ごろお亡くなりになりました。享年91歳。

一般的には天寿をまっとうされたとされる年齢ですが、やはりとても寂しいです。もうあのお優しい花村先生がこの世におられないなんて…心よりご冥福をお祈りいたします。

2017年頃、昭和レトロな文化に興味を抱き、それらを題材にした絵を描くようになってから花村先生のミニ画集「花村えい子のハッピーガールズコレクション」(アスペクト刊)と出会い衝撃を受けました。だってものすご〜〜〜く!!!カワイイんです。尋常じゃないかわいさなんです。全然古くない!母に訊いたところ、花村先生は母世代(60代)のスター漫画家さんで母も幼い頃に大ファンだったとのこと。

花村先生の描く女の子たちは昭和レトロなハッピーガールそのもの。オシャレでカラフルで、眺めているとたくさんたくさん元気がもらえるんです。周りに愛されて育った、とっても心が健康でしあわせな女の子たち。私にとっては心の栄養・心のビタミンでした(もちろん今も)。

花村先生の女の子たちは、ヒラヒラ〜としたドレスのお姫様系の乙女たちが多かった昭和の漫画界では斬新なくらいファッショナブルでした。色がとってもきれい。「乙女」でも「お姫様」でもなく、まぎれもなく等身大よりちょっとオシャレで元気な憧れの「女の子」。このカラフルな色は何で塗ってらっしゃるんだろう?と思ったらサクラマット水彩だそうです。小学生も使う学童用のあの絵の具ですよ!すげー!!いや、サクラマット水彩はいい絵の具ですが。ショックを受けた私は速攻サクラマット水彩をイオンで購入。一時期、背景用に使っていました(影響受けやすすぎ)。

すっかりファンになり、花村先生の源氏物語や落窪物語の漫画にも感銘を受けた私は、あろうことか自作の画集を同封して花村先生にファンレターを書いてしまったのです…ぎゃー恥ずかしい!申し訳なさがすごい!!バカなの?しぬの?(懐かしい…)

花村先生は巨匠ですし、ご多忙でいらっしゃるのでもちろんお返事なんてみじんも期待しておりませんでした。ただただ、「尊敬してます!大好きです!」という気持ちを伝えたかったのです。片田舎にも熱烈なファンがいるということを伝えたかったのです(ウザいな…)。それにしても自作を同封するとは…なんであんな無礼なことをしたのかタイムマシンがあったら当時の自分を小5時間くらいがっつり説教してやりたい気持ちです。

数ヶ月後。

なんと花村先生からお返事と美麗なイラストの入ったサイン色紙が送られてきました。

ひ、ひえ〜!?!ごめんシンジくんわたしこんなときどんな顔していいかわからない…。びっくりして花村ファンの母とうろたえました。美しすぎるサイン色紙はもちろんですが、花村先生は大変ご多忙な身にもかかわらず、私が一方的に送りつけた作品集にあたたかいご感想までいただき(お手紙が達筆すぎて手がマジでふるえました…)「ヒロミさんの絵には力がありますね。好きなものがあるのはよいことです。どうぞ存分にお描きなさい」と激励してくださいました。花村先生人格者すぎでは!?。゚(゚´ω`゚)゚。もちろん即、お礼のお手紙を書かせていただきました。あまりにも、あまりにも畏れ多くて恐縮のあまりきたない字が余計にきたない字になり、ひたすら後悔しましたが…。

花村先生は高橋真琴先生、牧美也子先生と並んで私の中では三大昭和レトロレジェンドなので…わたなべまさこ先生も大好きです。しかしつくづくあの時代の漫画家さんたちに影響を与えた中原淳一先生ってすごすぎます。私もナカジュン信者ではありますが、何回転生したらあの域に達することができるのやらでございます。

戦後はモノがなくとても貧しい時代だったと祖母や母から聞いていたので、もっとも貧しい時代の乙女たちを啓蒙し生活を美しく彩る工夫を説き導いたナカジュン恐るべし。淳一先生がおられなかったら、我が国のカワイイ文化もここまで旺盛にならなかったことでしょう。

脱線しましたが、あらためて花村えい子先生、ありがとうございました。花村先生が大切にされた奥ゆかしくハッピーな少女たちの文化を私も何万分の一かでも担って行けるように虚心に努力をしたいと思います。どうぞ、天国でも素敵な作品を描かれてくださいね。

花村先生からいただいた色紙は、今日も部屋のいちばん高い所に飾ってあります。


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