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死にたい人の気持ちって、こんな感じ

えげつないタイトルなんですが。

※この記事では「うつ病のお話①~③」の頃に考えていたことを掘り下げてます。被る部分もありますがせっかく下書きしてたので上げました。


はじめに

20代の時の私は「気分変調症」という病気だった。今もなのかな。リアルではあんまり言いたくない病名だけど、要するにうつの波を、激しく数年単位で繰り返すという病気。
寝込んで何もできないような鬱じゃないんだけど、一応なんとか働いてたりしてめちゃくちゃ拗らせるイメージ。

そんな私が人よりちょっと知っていることって、悲しいけど”死にたい気持ち”くらいしかない。
こんなことでも、誰かの役に立つことってあるのかな。

noteをはじめてそう考える日々のなかで、あの頃の(10年前の)自分が何を考えていたのか、なんであんなに苦しくて死にたかったのかを、思い出したかった。人ってどんなに苦しかったことも、やっぱりだんだん忘れていく。昔のブログを開いて、読んでいて何度も思った、こんなことあったっけ?こんなこと言ったんだ!と。

先に言っておくと、私は、当事者を励ますことなんてできない。それぞれ置かれている状況も苦しみも違うから。
ただ、自分はこうだったという情報は誰かの役に立つかもしれないと思うので、やっぱり書いてみることにした。
これを読んでくれるのが、当事者なのか、その周りの人なのかは、あまり想定せずに。


うつ病は自己否定のかたまり

うつになった原因は、よくわからなくて、実は今でもぼんやりとしている。よく「生まれつき死にたい性格なんです」と診察では話していた。普段否定とかしない先生もさすがに、生まれつき死にたい人なんていないよ、と言っていた(否定でもなんでもなくたぶん事実)。

随分後になってから思った原因としては、
・急にフリーターとしてなんの心構えもなく社会に放り出されたこと
・一人暮らしで会話をする人がいなかったこと
・やりたい仕事も趣味もお金もなくて、生きがいゼロだったこと
など、いろんな要因が重なったと思う。

とにかく全てがしんどくて、仕事が続かないからお金がなくて、自分は何もできない、早く消えてしまいたいと思う。通勤時、毎日国道沿いを轢かれればいいのにと思って泣きながら歩き、ホームから落ちたいと思いながら、高いビルを見上げながら帰る。死ぬことだけが希望だった。

なんて悲しい20代前半なんだろうと思わなくもないけど、こういう人は今もたくさんいる気がしてならない。


ここで、健全な人は「なんで方向転換しないの?」と思われるかもしれない。

でも、もうそんな気力は残っていないし、ほかの生き方なんて想像もつかない。そんなこと出来る気がしない。もうずっとしんどいし、自己否定200%だし、今日を生きるだけで精いっぱい。

休むという選択肢は、今考えてみても無い。一人暮らし&貯金なし&実家なしだったから、働かないですむ環境下にはなかった。
よく医師にはしばらく休んで…と言われたけれど、それができないから死ぬほど詰んでいる。本気になれば障害年金とか生活保護とかあるんだろうけど、ハタチそこそこで働ける自分には全然現実的じゃなかったし、そんなめんどくさいことはどうでもいい、だからそのうち限界がきて死ぬんだ、30歳までには死ぬんだ、と思っていた。


悲しいけど、言葉は届かない

そんな経験から思うのは、今うつの真っ只中にいる人には、きっとどんな言葉も届かない。

これは私が常々思っていることで、身内でも専門家でも経験者でも、なかなかその重い心を動かすことは難しい。ちょっと引き留めることくらいはできるけど、考え方を変えたりするのは至難の業。(ほっとけばいいという意味ではないけれど…)

「これからいいことがあるよ、世界はここだけじゃない、ほかにも道はあるよ」と言われても、いいことなんていらないからとにかく死にたいし、ほかの道がどんなに輝いていようと興味がない。世界まるごとが闇。

どんな言葉も無意味に響く。それが絶望だと経験上思うから、もし今私のそばに死にたい人がいたとして、どんな言葉をかけられるんだろうかと思う。私の姉や主治医のように、根気よく言葉で人を立ち直らせることができる人もいるとは思うけど、私のような凡人にはとてもできない。

結局その問題が解決しない限り、光は見えないと思ってしまう。だから私には、その最中にいる人へ向けて「こうすればいいよ」みたいなことは情けないけど全然言えない(ただ、できることなら誰かとあたたかいものでも食べて、とは思う)。


こういう、死にたい人ってこんな精神状態です、ってことが誰かの参考になったらいいな。やっぱり自殺報道のコメントとか見ていると、「逃げればいいのに」「大人になれば違う道もあるのに」っていう考え方の人が多くて、鬱ってそうじゃないんだよ、今が絶望ってことしか頭にないんだよ、と言いたくなるから。

「いいことなんてなくていいから死にたい」と医師に話した時、「すごく考えてるね、普通あんまりそこまで考えないかな」と言われたことを覚えている。
これは今でもよくわからなくて、私にとっては自然な思考回路だった。だから「何を言っても届かない」と思って苦しんでいる誰かに、この発想を知ってもらえたら…と思う。

届かないのは、あなたのせいじゃない。病気でそうなっているから、周囲の人もどうかあまり自分を責めないでほしい。


『欠陥人間どころか、息してるだけのただのゴミ』

いきなり、ひっでぇ言葉!と思いましたか?思いますよね。私も思う。
でもこれ、私が本当に自分に対して思っていたこと。今見るとどれだけ追い詰められてたのかが分かる、もう決壊してる。ほんと我ながらよくここまで思えるな。
夜中に見て、思わず自分のことなのに泣けてきてしまった。かわいそう!って思った。笑

欠陥人間という言葉も、一度だけ主治医の前で使ったことがある。その瞬間、穏やかな先生がものすごく神妙な面持ちになったのを今でも覚えている。本来はそれくらい強い言葉なのだろう。もう自己肯定感とかそんな次元じゃないから、自分の中では普通の言葉だったけど。そもそも私は人間ですか?ぐらいの感じ。

こんなひどい思考に陥っていた自分でも、今幸せですって言えるくらい元気になったし、どうせ生きるなら楽しく生きよう、なんて思ってる。
もちろんこの先どんな不幸が待っているか分からないし、べつにいきなりお気楽人間になったわけじゃない。単に、そうしなきゃこの世界をあと何十年と生きるのはつらすぎるから。

楽しく生きたいなんてむず痒いこと、最初は無理に思い込むところからだったけど、だんだん自然とそう思えるようになった。


どう死ぬかじゃなくて、どう生きるか

そのきっかけは、死ぬのは無理だと完全に諦めたこと。すごいネガティブだし苦しいんだけど、これが一番早い。

私は過去に何年間もオーバードーズ(薬の過剰摂取)していたけど、それは自殺ではなく自傷行為であって、それ以上の勇気はなかった。もう飛び降りてしまいたくても、こんなに苦しくても自分には出来ないんだ…と思った時が人生で一番苦しかった。
うっかり死んでしまう、というほど振り切れてもなかったし、ずっとずっと理性はあった。リーマンショックから1、2年後くらいの不況の中、頑張って転職活動してやっと初めて正社員になって、それを3ヶ月で辞めた時。26歳だったかな。

こんなに苦しいなら、もう生きていく方法を考えた方が楽だ!と切り替わった。それがスタートライン。だいぶ経ってから同じようなことを主治医にも言われた。「もう、どう死ぬかじゃなくてどうやって生きるか。それを考えてほしい」と。その時の私にはそれができるように感じたから、言われたんだと思う。これは今でも私の宝物みたいな言葉。


そこまで死について考えられるなら、絶対「どう生きるか」ってことも考えられる。きっと、誰でも。

人よりダメだとか思ったとしてもその感受性の強さ、謙虚さ、何よりそこまで掘り下げるパワーを、もし別の方向で使えたとしたら…。少し希望が見えませんか。


コメントは心に残る

今日は、こんな引くほど病んでいたかつての私のブログにコメントしてくれていた人たちに、感謝しながら書いた。

私だったら、あんな暗くて何も届かなさそうな人のブログにコメントなんて残せない。でも、当時の自分にはたとえ一回きりのやりとりでも確実にそういう人が支えになってくれていたし、「以前の自分を見ているようで…」とか、それなのに全然説教くさくなくて寄り添ってくれて、今読み返してみても本当にありがとう、と思う。

そういう記事にうまくコメントを残せない代わりに、この文章がだれかに届くといいな。


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