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インナーチャイルドのいたずら

過去の投稿で「子供の泣き声が耐えられない心理の新考察?」という記事を書きました。
たくさんの方にお読み頂けたようで、とても嬉しかったです。
私は両親から愛されているにも関わらず、子供の泣き声が耐えられない。
昔よりだいぶ穏やかになったとは思いますが、完全に克服した訳ではありません。
そして、これは後述しますが…私は恋愛対象にもちょっとしたクセがあります。

これらの原因はもしかすると、過去の自分…それもここ数年ではなく、もっともっと幼い頃の自分に向き合うことで何か見えるのではないかと痛感する出来事がありました。
子供の泣き声が耐えられない」でも答えは8割方出ているのですが、私なりにもう少し、もう少しだけ踏み込んだ後日談と思ってお読み頂ければ幸いです。


▶「それじゃ私が報われないの」

先日、どうしてこんなに私は周りと戦ってしまうのかを考え、話す機会がありました。
仕事、人間関係、自分に対して、環境に対して…何かと批判的に捉える癖があり、時にそれをそのまま発信してしまう。その中の一つに「子供の泣き声が耐えられない」もありました。

とりあえずここでは、子供の教育について絞ってお話ししますね。
今の教育は「褒めて伸ばす」が基本です。これは新社会人などもそうですね。
この考え方は昔ながらの職人気質の人々や、ご苦労されてきた方の中には受け入れられない場合もあると、個人的には思います。

子供の泣き声が耐えられない」の中でも触れましたが、私は両親の愛情を感じていた為、本当は不器用なのに一生懸命努力をしました。そこで泣く余裕なんかなかった、ということを記しています。ここからもう一歩踏み込んで考えてみました。

当時の私の努力が必ずしも「私が望んだ結果」を生み出したかというと、そうとは限りません。悔しい思いをたくさんした。
でもこれは世界中の人間が経験することですよね。
「こんなの世の中みんなが経験すること。だからこんなことで凹んでしまう私は甘いんだろう。」と自分を否定し、ため込んでいて、しかし耐えきれず爆発してしまう。

考察をこのまま続けている内に、自分でも驚く言葉が出て来ました。

「今の子供達はいいですよね、まず褒められるところから始めてもらえる。
逆上がりが出来なくても頑張ってることがまずエライ!と言ってもらえるし、結果出来なくたって頑張ったことがエライ!と褒めてもらえる。最終的に逆上がりは出来ていないのに褒められてるんです。
ということは、今の大人は無条件に子供を褒めなきゃいけないってことでしょう?どんな態度だろうがまず褒めて、どんな結果でも褒める。それじゃ子供の頃の私が報われないの

こう口走ったあと、「…え!!」と声をあげてしまいました。


▶インナーチャイルドがスネている

では、子供の私が努力をしまくっていた頃に褒めてほしかった大人たちはどう言ったのだろうかと思いを馳せました。
もちろん努力の姿勢そのものを褒めて下さった大人もいたでしょう、でも記憶に残っているのは温かい言葉より「うーん、違うんだよね」「そうじゃないんだよね」「〇〇ちゃんのやり方をお手本にしてみなよ」という類の言葉でした。
または、一位を狙っていたけれども、獲れなかった記憶。届かなかった記憶。

そういう時に両親が「頑張ったことがえらいよ!」と言ったかというとそうではなく、「まぁ仕方ないよ」でした。これは決して諦めているのではなく前を向こうという気持ちの表れなのですが、子供の私はそれを理解できなかったのでしょう、「仕方ないのか…」と取っていました。

そこでもっと甘えればよかったのです、「そうじゃなくてこう言ってよ~!」と。でもそれが出来なかった。仕方ないのだからまた頑張るしかない、私には頑張る道しかない、でもどうせこの努力が報われる日はそうそう来ない、だってあの子には敵わないもん…とスネるしか方法がなかった。
その「スネている子供の私」が今も着実に心の根底にいるのです。やっと顔を見せてくれました(笑) こんにちは、よく出て来てくれました。


▶愛情の需要と供給

インナーチャイルドについてもっと深く勉強しなければ専門的なことは言えないので、本当に私に限った考察なのですが…
両親に愛され、虐待されることなく育った人間でも「耐えられない」となることの原因に、「親が供給してくれた愛のかたちと子供が望んだ愛のかたちのズレ」があるのかもしれません。

いわゆる毒親というケースでは話が変わってきますのでちょっと横に置いといて、普通の、どこにでもあるような家庭ですくすく育っていたとしても、「今ほんとは頑張ったねって言ってほしかったのに、頑張れって言われちゃったな」という需要と供給のズレが積み重なると、褒めて伸ばせ!がスローガン化している昨今に生まれておきながらギャンギャン泣く子供に「いい加減にしてよ!!」とイラついてしまうのです。
(あ、もしかしたらその子供も需要と供給のズレから泣いているのかもしれませんね)

もっと年齢を重ねて大きくなってからでも、進学先、就職先、結婚相手、生まれた子供の性別や出来不出来…色んな場面で「今欲しいのはその言葉じゃない」ってこと、ありませんか?
私の場合その度にインナーチャイルドがいたずらをするのです、「それじゃないんだよ!!」と。


▶インナーチャイルドを癒す

さて、いつまでもインナーチャイルドのせいにしたままでは成長はありませんので、どうやって我が子を癒していくかを考えます。もちろんこれは私個人の対策法なので、は?と思われる方もいらっしゃること前提です。

①メンターと呼ばれる存在が身近にいる場合は、その人に思い切って胸の内を話すのもよいかもしれません。ただ、お互い年齢的には良い大人なので、何をどの程度打ち明けるか・いつ打ち明けるかなどのTPOは深く吟味する必要があります。今回の私はこれです。メンターと言えるかもしれない人物との出会い・会話の中から解決の糸口を探っています。

②メンターなんかいないよ!という場合は、イラっとした時に「お!我が子!納得いかんか!」と話しかけてみる。自問自答です。これ、結構私には効果があります(笑) 妄想癖があるのか、だんだん面白くなってくるのです。「わー、こういうの許せんよな!わっかるわー!」とか、ちょっと突っ込み要素を入れるというか。これは「耐えられない」を書いた頃の私とはちょっと違っています。受け入れてヨシヨシするのではなく、「わっかるわー!むかつくよな!ずるいし!」と笑い飛ばしているのです。


▶恋愛傾向のクセ

さて、ここからはちょっと嗜好が分かれる話題です。
私の数少ない恋愛遍歴を振り返った時、既婚者や恋人がいる男性を好きになることが圧倒的に多いのです。とても悪い傾向です。
ここからは不快な方もいらっしゃると思いますので、限定公開という意味で有料記事とさせて頂きます。諸々ご了承頂ける方のみお進み頂ければ幸いです。

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