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毒親の元では育めなかった「自分軸」。いまから育てて行こう。

先日、モリのおかしな幸福論(@mori_koufukuron)さんのTwitter(X)でのつぶやきをリポストさせていただいたところ、沢山共感していただくことができました。モリさんの良きポストに感謝です。
(モリさんのnoteはこちら→ モリのおかしな幸福論|note

親子問題について、「普通」の親子関係で育った人に話すと、
「そんなのよくあることだよ」
「気にしすぎだよ」
「ちゃんと衣食住を提供してもらってるなら、それはワガママだよ」
などなど、
まず共感を得られないことが多いと思います。

でも、
毒親育ち
は、そうした、まともに育って来た人たちの共感や納得を得ようとはせず、まずは「なぜ毒親育ちとして辛いのか」「自分には結局何が足りないのか」に気付いていった方が良いと思います。めっちゃ自戒を込めて。

それは、「自分軸」。あなたらしさ。
ゼロベースで、ただ素直に「自分のいまここの気持ちを感じ取る力」があること。

1.「自分軸(あなたらしさ)」を育ててみよう。私は39歳から開始。

Twitter(X)のリポストでも書きましたが、
虐待育ちや毒親育ちは、
常に親の顔色を伺い、親が喜ぶことを観察してはさもそれを自分がやりたかったことかのように振舞う(まさに忖度)などが
当たり前の環境で生きてきた人が多いはず。
「自分のいまここの気持ち」をきちんと見つめたことが無い人が多いはず。

(虐待育ち…身体的虐待中心、毒親…心理的虐待中心の定義で使われていることが多いように思います。どちらも児童虐待です。

親に対して、
辛いと言えば「世の中にはもっと辛い人はいる」
親に対して自分の意見を言えば「じゃあお前には金は出さない」
嬉しいと言えば「そんなの全然大したことない。いい気になるなよ」など
自分の気持ちを毎日毎日、親からへし折られ続けると、
自分の感情を表すことも、感じることも出来なくなっていきます。

本来、健全な親子関係の中で育って来たのであれば、
常に親が子どもの表情を見て、親が子どもの好きなことに気付き、
子どものやりたいことを応援する。
そもそも、子どもの感情は、幼少期からの親との触れ合いの中で、「感情」の存在に築き、親と生きる中で育まれていくもの。

そして、色々あっても最後は「私は私で良いのだ」と思えている気持ち。
周りを考えることは大事だけれど、自分を押し殺しすぎては本末転倒。

そんな振る舞いが出来ることが、社会で生きていくうえで大きな力になる。

毒親育ちの自分が大人になり、「自分軸」を育てるうえで、
一番他者への迷惑を掛けないのは、自分の「好き」をしっかり見つめる
ことだと思っています。

「全然人気のないアーティストだけど、私はこの人の作風が大好き!」等、
世の中の価値観で優劣を決めるのではなく、
あくまでも「自分が良いと思うから好き」を大事に
する。

私がいまAudiostock中心に行っている音源販売は、まさにそんな活動です。

9年前から、
少しずつ「自分がいま良いと思うから好き」の気持ちを信じて、
「自分軸」を育て直していく過程で生まれてきた楽曲たちです。
その時の心情や季節感からのピアノ即興演奏がメインです。
(親の意向で建築に進んだ際、それでも建築をしっかり好きになりたくて、ピアノを一切やめていました。弾き語りはしてたけど。)

3年前にAudiostockをはじめてからは、箏や篠笛がメインの和風オーケストラ曲を勉強したり、ジャズピアノトリオを勉強したり等、活動範囲が広がってきたことは、本当に嬉しいことです。音楽に触れる時間はとても楽しい。

最近、少し忙しくて、音楽する時間が減っているのですが、
こんな時こそ、即興演奏でのオリジナルピアノ曲づくりに救われています。
制作時間が短いのもあるけれど、
何よりも「いまここ」の私の感情の発露を信じる、その時間を取ることで、かなり心救われているなと思っています。

最近弾いた1曲。例えばこんな感じで。


2.最近の失敗談。私の「自分軸」はまだまだ細い!

昨年末に、親子問題の現状をnoteにも書きました。

実は、親と再び絶縁した段階で、心療内科に通い始めました。
昨年9月末。特に不眠が酷すぎて。3年ぶりのこと。
10年前、不眠を軽く見た結果、うつ状態にまでなった経験をしているので、
一応、先手を打って対応することはできました。

ここからが私の反省。

2年前、両親は事前相談なしに、近隣に越してきた。
それは将来的に、自分たちの介護をしてほしいから。

しかも両親の住まいは、娘の療育からもかなり近い位置。
月に数回、親が療育に同行する機会があり、
私はもう「会ったらどうしよう」と不安で仕方なかったのです。
どうせヘラヘラと「機嫌は治ったかしら?」なんて近づいてくる奴ら。

夫に対して「不安だ」「たまには休んで代わりに行ってよ!」と言うも、
「俺は仕事が忙しい」の一点張り。その「不安」にも共感してくれない。
行ってくれたこともあるけれど、それを理由に休む!と言うと、それは「サボっている」「母親なんだから」と。

また、元々、私がメンタル休職した際に、両親と弟からは絶縁されたのに、
再度交流をするきっかけを作ってきたのは弟でした。
弟から夫へのバカ丁寧な手紙。「あなたを尊敬しています」みたいな。
会って話した内容をほぐしていくと、要は「自分が離婚して、両親の面倒を見るのが嫌だったから。」簡単に手玉に取られた夫。

だから、今回の顛末について、「弟に電話してみてよ!」と言っても、夫は頑なに電話しない。「何でいつまでも、俺が弟担当なの?」と素っ気ない。

また、交流している最中、母親が娘に対して
「早くママのお手伝いができるようになってね~」
「じいじが『○○ちゃんが俺のオムツを替えてくれるのかな~』と言ってたわよ」と話していたことには愕然としました。
娘は重度知的障害で発語も無いのに。

これまでの経緯から、自分たちが困った状況になれば平気で
「家族なんだから助け合うべきだ」って連絡をよこすと思います。

私はそれが恐怖で仕方なかった。
何か、より具体的で法的な措置を取りたい。
そう思うようになりましたが、そこも夫は「今じゃなくても」と。

親がボケたら、二度と話が伝わらない。今しかない!!!
そう思いつつも、結局、半年間、私は夫の説得に時間を掛けてしまったんです。

これがもう大失敗。明らかにうつの状態は酷くなってきているし、考える力も衰えてきている。
夫の説得なんてせずに、サッサと具体的な動きをするべきだったと思いました。自分が病んでまで、相手の納得を得ようとするなんて、バカです。

私は、まだまだ他人軸。相手の意向を汲みすぎる。

「相手の意向を汲みすぎる」の意味は、「相手のために」じゃなく、
「相手に嫌われたくない(私をわかってほしい)」だからダメなんだよね…。
夫が納得できるように時間を掛け、あの手この手…ではなく、私に信念があるならば、事後報告でもいいよねと。分かってくれない事に嘆く位ならば。反省。

音楽の創作活動で芽生えた「自分軸」を、もっともっと、太くしなやかに育てて行きたい。
そう気づかされた出来事にもなりました。

大学4年で実家が倒産。そこからは「たった1人の弟のために何とかしてやれ」を殺し文句に借金やら保証人やら。 
でも、私の困難には一切手を差し伸べて来ない。絶縁される。両親も弟も。 

夫はなんでこんな奴らのこと
「親子なんだから」「姉弟なんだから」って言うんだろう。

世間は仕方無いよ。でもさ、夫には結婚前から話してきたのに。危機感ゼロ。不思議で仕方無い。

この件に関して、
心と頭を使って、材料を集め、論点をまとめつつ証拠を揃えていくのは私しか出来ない。夫は危機感無いから。
専門家には相談はするけど、この問題の当事者はあくまでも私と夫。

だから「明確化したタスクについてはあなたがやって」と夫に分担。
それでも、過去メールの洗い出しとか、ホントしんどい。
・・・でも、やるしかない!!!

3.子供時代のあなたは悪くない。でも、大人として自分をもう一度育ててみよう。

ところで、
「毒親」と呼ばれる人たちが行っていることは、「心理的虐待」です。

エ.心理的虐待(第4号)
●ことばによる脅かし、脅迫など。
●子どもを無視したり、拒否的な態度を示すことなど。
●子どもの心を傷つけることを繰り返し言う。
●子どもの自尊心を傷つけるような言動など。
●他のきょうだいとは著しく差別的な扱いをする。
●子どもの面前で配偶者やその他の家族などに対し暴力をふるう。
など

第1章 子ども虐待の援助に関する基本事項|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

上記、厚労省所管時代の資料を見ると、毒親のしていることは「心理的虐待」だけでなく、「ネグレクト」の中にもあると気付かされます。

ウ. ネグレクト(第3号)
● 子どもの健康・安全への配慮を怠っているなど。例えば、(1)家に閉じこめる(子どもの意思に反して学校等に登校させない)、(2)重大な病気になっても病院に連れて行かない、(3)乳幼児を家に残したまま度々外出する、(4)乳幼児を車の中に放置するなど。
● 子どもにとって必要な情緒的欲求に応えていない(愛情遮断など)。
● 食事、衣服、住居などが極端に不適切で、健康状態を損なうほどの無関心・怠慢など。
 例えば、(1)適切な食事を与えない、(2)下着など長期間ひどく不潔なままにする、(3)極端に不潔な環境の中で生活をさせるなど。
● 親がパチンコに熱中している間、乳幼児を自動車の中に放置し、熱中症で子どもが死亡したり、誘拐されたり、乳幼児だけを家に残して火災で子どもが焼死したりする事件も、ネグレクトという虐待の結果であることに留意すべきである。
● 子どもを遺棄する。
● 祖父母、きょうだい、保護者の恋人などの同居人がア、イ又はエに掲げる行為と同様の行為を行っているにもかかわらず、それを放置する。

第1章 子ども虐待の援助に関する基本事項|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

● 子どもにとって必要な情緒的欲求に応えていない(愛情遮断など)。」の部分。
毒親って、子どもの気持ちには一切関心無いもんね。自分の思い通りに動いて当然と思ってる。

「毒親」という言葉がどうもキャッチー過ぎるので、「心理的虐待」や「ネグレクト」として、その「弊害」がもっと知られると良いなとも思っています。(↓以前、こんなnoteを書いています。)

本来は、親元で育めるはずだった「自分軸」を持てなかった毒親育ち。
さらに、関心が無いだけならまだしも、「子供を利用して当然」と思う親であれば、子供時代に受ける悪影響は計り知れません。

私は、39歳の時パワハラからのメンタル休職。
そこから「自分軸」育てを開始。

(…本当は10年前。37歳の時のパワハラでうつ状態になっていたから、そこで休んだり訴えたりすれば良かったんだけど…会社自体には深く感謝をしているので…)

今年の8月で48歳になるから、いま9年目。
今もこうして、色々あるし、反省もいっぱいだけれど、
10年前に比べたら、「自分軸」が生まれてきたことには間違いないから。

私は私の「いまここ」を大事にしながら、物事を判断しつつ、進んで行きたいです。娘の親としても、しっかりしなきゃね。

大変な長文になりました。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!