「白か黒か」決められない件 ジンバブエのムガベ大統領
▼新聞は旧聞(きゅうぶん)でもある。むしろ、旧聞でなければならない場合がある。なぜなら、「旧聞」を振り返らないと、「新聞」の、どこが「新しい」のかが、わからなくなるからだ。羅針盤(旧聞)がなくて海を渡ったり(新聞)、地図(旧聞)がなくて未知の場所を歩く(新聞)ようなものだ。
書いている「記者」は、その問題を追いかけているから、もちろん、新しい記事の新しさを知っている。しかし、その記事で、その問題について、初めて接する「読者」にとっては、どうだろうか。
これは報道の「文化」