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日本人は大麻についてよく知らない件(その3)

▼大麻について、「精神科治療学」2020年1月号が特集していた。その紹介を続ける。

同誌はバリバリの専門誌だが、前回メモした、その1、その2を読めば、理解不能なことが書いてあるわけではないことがわかる。

要するに、薬物依存の治療の専門家が、「私たちは大麻について知らないことが多い」と明言しているのだ。

▼知らない、ということを知るところから問題の認識が始まるのは、この世を賢く生きていくための「イロハのイ」だ。編集に携わった松本俊彦氏のガイドが的確なので、興味のある人は手に取ることをオススメする。

特に、マスメディアの人に、というよりも、精神医療にまつわる話題を扱う、いわゆる「情報バラエティー番組」と呼ばれるコンテンツづくりに携わっている人たちに。適宜改行と太字。

〈本特集は,諸外国における大麻規制の状況や、大麻解禁が社会に与えた影響など, 最新の国際的動向を伝えるとともに,大麻をめぐる行動薬理学、疫学,臨床精神医学,社会学という広汎な領域の最新知見を整理することを目的として企画された。

いずれも各分野の第一人者による珠玉の論考であるが,なかでも薬物規制と政治,あるいは差別問題との関係を指摘した佐藤論文は, 精神科医療関係者必読の論考である。これを読めば,医療者といえども,政治的に歪曲されたプロパガンダの影響から自由ではない可能性に気づかされるだろう。

編集子は,本特集が, 大麻関連精神障害とその周辺領域に関する, 現時点で望みうる最も新しく,詳細な日本語文献であると自負している。本特集が,読者の精神科臨床に役立つことを願ってやまない。〉

▼ということで、松本氏イチ押しの佐藤論文を読んでみた。

アメリカにおける薬物と政治の帰結としての大麻取締法/佐藤哲彦〉(73-77頁))

▼これも、とても専門的な論文だが、便利なことに、冒頭に「抄録(しょうろく)」が付いている。「まとめ」だ。

〈抄録:本稿はわが国の大麻の犯罪化を行った1948年の大麻取締法が, アメリカにおける大麻の問題化と犯罪化の影響を直接的に受けていることを, 当時の資料に基づいて実証的に論じたものであり,その問題化と犯罪化の過程には政治的要素が大きく作用していることを示したものである。

大麻取締法はポツダム宣言受諾後の GHQ の対日指令をもとに定められたものだが, それはアメリカでの大麻の問題化と犯罪化の帰結であった。

アメリカで大麻が問題化されたのは, 南部の黒人による使用などを白人らが取り上げた結果だが、1937年の大麻課税法による犯罪化には大恐慌で余剰扱いされたメキシコ人労働者を排除する1930年代の社会風潮が大きく影響した。

設立されたばかりの麻薬局もそのような世論や政治的圧力に大きく影響された。 その後のオランダの大麻の非犯罪化やカナダの大麻合法化なども含め,大麻をめぐる政策はつねに政治と深く関わっているのである。〉

▼簡単にいうと、大麻の問題は、黒人差別、移民差別の道具として大いに利用された歴史があり、日本の法規制はその文脈の影響下にある、ということ。

薬物問題は、個人の問題というよりも、その「社会」の問題であり、「政治」の問題である。

別の言い方をすれば、社会が変われば法律も変わる、ということだ。

▼結論部分の、「薬物の犯罪化と政治」から。

〈大麻の禁止は主にアメリカ発の問題化と犯罪化によって展開された。そのとき人種的偏見が基礎にあったのは確かである。そのため, そのような文脈がない場合には, 国際協定などの歴史的経緯で一時は禁止されながらも, 社会状況との関連で非犯罪化などが行われている。

1960年代から1970年代にかけて, オランダは若者の2割が大麻を使用しているという調査結果から,犯罪として取り締まることの間題を社会学的に判断して非犯罪化に舵を切った。

2018年10月にはカナダが国全体で合法化を実施した。大麻の犯罪化によって, 社会的に不利な状況にある人たちが,より不利な状況に追い込まれていると判断したからである。

これらはいずれも同じ大麻に対して, 政治的文脈や社会状況が異なることによって生じた判断と対処である。

このように大麻も含めた薬物の統制は政治とは切り離せず, それゆえ人種的偏見に基づき,排外主義の手段などに利用されてきたのが歴史的事実なのである。

▼こうした深刻な社会的文脈を理解してみれば、たとえば、「ダメ、ゼッタイ」主義のもとで、無知なタレントたちが、薬物依存で逮捕された人々を晒(さら)しものにして、道義的に全否定して、三日も経てばその話題そのものをすっかり忘れている「ニュース番組」や「情報エンタテインメント」や「ショー」が、そしてそれらの公共の電波を楽しむ人たちの存在が、「百害あって一利なし」であることに気づくことができる。

そうした番組で金儲けができること自体、その社会の品格の低さを証明している、ともいえる。

▼日本の場合は、これから、「ダメ、ゼッタイ」主義が、後付けこじつけでもって、「人種的偏見」にもとづく「排外主義」に利用される可能性がある。

こうした背景を知らずに、薬物依存の苦しみを娯楽化して消費する番組は、闇の深い番組だと思う。

▼闇を照らすには、いくつかの切り口がある。

何度も書いていることだが、薬物依存を「犯罪」としてしか見れない視野の狭さを、「治療」の必要な「病気」である、という観点から、ほぐしていく工夫が、一つの切り口になるだろう。

(2020年10月24日)

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