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宮本常一に学ぶーー「文化」「芸術」を支えるのは「自ら功を誇らない」人々

▼東京の府中に、日本一大きな太鼓がある。宮本常一は、その太鼓は会津で作られた、という話から、「復興と文化」について、忘れがたい話を語っている。今号は、その講演を紹介したい。

「民衆文化と岩谷観音」という講演が、1978年の冬、山形県東村山郡中山町の中央公民館で行われた。

この講演は、いま手に入る本としては、河出文庫の『日本人のくらしと文化 炉辺夜話』と、農文協の『宮本常一講演選集2 日本人の知恵再考』がある。河出文庫版は、講演された時間や場所が明記されておらず、不親切だ。ここでは丁寧な解説のついた農文協版を使う。

▼「文化」の価値、「芸術」の価値について考える時、筆者はこの話を思い出す。

いま、宮本常一の講演を読んで思うこと。その一つは、新型コロナウイルスという「災い」がおさまった後から、「文化」「芸術」について考えても、それは遅い、ということ。

▼宮本常一は、東京で使われる「太鼓の胴」がどこから来たかについて語る。適宜改行。

〈東京を中心にしたこの胴のほとんどは、会津の山中で作られています。それは、中へ棒を通して、かついで、山王峠を越えて、日光の今市まで来ているのです。汽車が通ずるようになると、汽車で運んでおりますが、それを、馬で運ぶということもあったのです。そのことによって、太鼓の胴が、あそこを通って流れて来ているのです。非常に面白いと思ったのですが、そういう人たちの知恵というものは、われわれをおどろかせるものがあるのです。〉(181-183頁)

▼ここから、話は思わぬ方向に行く。

〈太鼓の胴がとれると、今度は太鼓の胴のとり直し(仕上げ削り)をして皮を張る、太鼓師というのがおります。それは浅草に多いのですが、そこに宮本宇之助という、いまから3、4年前に亡くなられた太鼓師がいました。〉

▼たとえば、この〈3、4年前に亡くなられた〉という一言も、河出文庫だと、この講演が1978年に行われたとわからないから、いつのことかさっぱりわからない。続き。

〈この人は昭和12年(1937)に日支事変が起こったとき、自分の家にコンクリート3階建の倉がありますが、その倉のコンクリートにひびが入っているところをセメントでつぶしはじめるのです。扉もつぶしはじめるのです。つぶしはじめると同時に、こんどは太鼓の胴をどんどんどんどん買い込みはじめた。みんなが不思議がって、「どうしてそんなことをするのだ」と聞いたら、「ああ、この戦争は負ける」と。昭和12年の話なんですよ。

▼日本が戦争に負けるのは、昭和20年。敗戦の8年も前に、日本の敗戦を直観していた人が、浅草にいたという。

この宮本宇之助という人は、宮本卯之助ではないかと思うが、続きを読む。

〈「この戦争は負ける。支那と戦争して勝てる気づかいはないんだ」と宮本さんは言ったというのです。日清戦争は勝った。あれは小さい戦争だった。あんな大きな国に攻めていって、どこまで攻めていくんだ。支那なんていう国は降参する国じゃないんだ。そのうちに日本はしびれ切らして手を上げてしまうだろう。そのうちにはかならずアメリカやイギリスが向うへつくに決まっている。

こっちが負けるんだ。おそらく東京は爆撃されるだろうから爆撃されてもこの家が残るようにやっているんだーーこう言って、大東亜戦争が勃発してからはいよいよ本気になって、倉のなかにびっしりと太鼓の胴を入れたんだそうです。

 それで、「なぜ、そんなことをするんだ」と聞いたら、

「戦争はかならず済むんだ。何年か後に済むんだ。済んだときには日本は負けているんだ。しょげきっているんだ。そのしょげきっている人間の心をときほぐして、ぱあっとするのは太鼓なんだ。その場になって、太鼓の胴を持ってこいなんていうことでは駄目なんだ。いまから準備しておかなければならない」と、言ったというんです。

 その通りだったんですね。戦争が済んで、そのとき蓄えられておった太鼓の胴が、2年ほどの間に全部出払ったのです。もちろん新しい物が後から入って来ましたけれども。

日本の復興のなかにはそういうものがあったのです。負けた人の心を太鼓で湧き立たせる。それは民衆の知恵なのです。見通しの確かさ、それはまさに神のごときものがあると思うのです。偉いのは東條英機じゃないのです。われわれ民衆のなかにそれがあるのです。それがありながら自ら功を誇らないからわからない。

 そういうものが重なり合って、ひとつの大きな民衆文化が形成されてきているということがおわかりいただけると思います。〉(183-184頁)

▼日本の文化政策、芸術政策は貧しい。たとえばフランスでは、たとえばドイツでは、と書けば書くほどみじめになるから、1つだけ紹介しておこう。ニューズウィーク日本版で2020年3月30日に配信された、モーゲンスタン陽子氏の記事。

〈ドイツ政府「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」大規模支援〉

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相のコメント。

〈「非常に多くの人が今や文化の重要性を理解している」とするグリュッタースは「私たちの民主主義社会は、少し前までは想像も及ばなかったこの歴史的な状況の中で、独特で多様な文化的およびメディア媒体を必要としている。クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気は危機を克服するのに役立つ。私たちは未来のために良いものを創造するあらゆる機会をつかむべきだ。そのため、次のことが言える。アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は」と述べ、文化機関や文化施設を維持し、芸術や文化から生計を立てる人々の存在を確保することは、現在ドイツ政府の文化的政治的最優先事項であるとした。〉

▼いっぽうの国は、芸術は「人間の生命維持」に必要だ、と公言する人が文化大臣を務めている。

もういっぽうの国は、国民の生命を守るための政策ーー感染症対策ーーの責任者を、「経済再生担当」の大臣が務めていることに、ほとんど疑いが起こらない。

それぞれのお国柄の違いがよくわかる。

しかし、日本にも今、私財をなげうって「太鼓の胴」を必死で集めている人がいる。「自ら功を誇らないから」どこにいるかわからない「宮本さん」が、あちこちにいると思う。

(2020年5月2日)

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