ニューヨークの歩道の味は?(後編)


 どうして、これほどまでに「不味」、「無味」が、この国では蔓延っているのか。もちろん、前述のように、歴史的・宗教的背景も大きく影響しているが、アメリカの場合(プロテスタント系ヨーロッパと違って)そうした宗教的「不感症」に、さらに物理的・化学的不感症も合体して、固有の「不味」の文化(?)を作り出しているように思う。

ソーダと味覚障害

 彼らは、幼少期から(アメリカでは)「ソーダ」と総称される人工甘味料がたっぷり入った炭酸飲料を常習的に摂取する。当時、それが社会問題化していて、ニュース番組の解説では確か、ティーンエイジャー1人によるソーダの1日当たりの平均摂取量が2リットルで、その常習的な過剰摂取――ソーダには中毒性がある――が味蕾細胞を破壊し、味覚障害を引き起こすということだった。(その後、2012年、当時のブルームバーグ・ニューヨーク市長は 16 オンス〔約 473 ミリ リットル〕を超える清涼飲料などの販売を市内で禁止すると発表した。ところで、トランプ前大統領の執務室には、ダイエットコークを執事に持ってこさせる専用の赤色ボタンがあったことは有名だ。彼はなんと毎日12本ずつ飲んでいたということだ!)

 だから、もはや文字通り味を「感じなく」なった彼らは、しかも「無味」になった食材(おそらく「無味」ということすらも感じられないだろう)の上に、化学的刺激満載の多種多様な「ソース」――ものすごい種類がある――をぶっかける。

 一度、「ジャパニーズ」(といってもその店は中国人がやっていたが)で、こちらでは通常日本の4〜5倍の量のわさびが添えられている刺身の盛り合わせを食べ始めようとした隣席のアメリカ人男性が、その大量のわさび全部を醤油にドロドロに溶かした後、それでも足りないらしくすぐさまわさびをお代わりし、さらにドロドロの濃度を上げて、満足げに刺身に塗ったくり頬張っていた光景を目撃したことがある!

ニューヨークの歩道を味わう

 こうして、ニューヨークで「不味」、「無味」の高度な衝撃にこれでもかこれでもかとノックアウトされることに悲痛な快感すら覚えだした私だが、ある日、長年フード・コーディネーターをやっているという現地出身の男性に出会い、ニューヨークの「マズイ」もの談義で意気投合した。彼曰く――「でも、タカアキ、人間って、なにも食べられるものだけを味わうわけではなく、時には食べられないものも味わったりする。例えば、幼い頃、鉛筆の芯をかじって味わったりしなかった?」――そう言われてみると、現に、学校で鉛筆の芯をかじった時の鉱物的な「味」の記憶が蘇ってくる。「じゃあ、今度会うとき、これほどマズイものに溢れたニューヨークで、なにか食べられないものを一緒に味わわないか?」ということになった。

 そして、迎えた当日。二人で、さて何を味わおうかと話しながら、道を歩いていた。そして、どちらが言い出したか覚えていないが、とりあえず、今歩いている歩道を味わってみないかということになった。そして、せいの!っと、二人で地面にしゃがみ込み、舌でベロっと歩道を舐めた。そして味わってみたが、単に埃っぽい味しかしなかった!

荒野の果てにかすかに立ち上がる「味」

 そんな、あまりに不味くてついに食べられないものまで味わってみたニューヨークだが、それでも自分なりに好きだった数少ない食べ物もある。一つは、家の近く、W72丁目とブロードウェイの交差点にあった「Gray's Papaya」のホットドッグ。当時は、2本セットで99セントと、物価高のニューヨークで破格の値段。お昼時どもなれば、ホームレスらしき人からスーツをビシッと決めたビジネスマンまでが長蛇の列をつくる人気店だ。私も(行列が嫌いなので)比較的空いている時間帯を見計らって、時々テイクアウトした。ホイルに包まれて渡されるので、家に着く頃にはパンが湯気でビシャっとするが、それでもまた食べたいという欲望を喚起する、ニューヨークでは類稀な食べ物だった。(ちなみに、同系列の店がニューヨークに何軒かあり、試してみたが、ここより劣っていた。)

 もう一つ好んでいた店がある。こちらも家からほど近い、W72の半地下にある「アメリカン」なメニューを備えたバー&レストラン(名前は忘れた)。ここの名物はどうやらハンバーガーらしく(きちんと皿にのって、ナイフとフォークがついてくる)、夜遅く、それだけを食べに(といってもすごいボリュームだが)立ち寄るビジネスマンたちで賑わう店だ(ちょうど日本のサラリーマンが呑んだ後の「シメ」にラーメン屋でラーメンをすすりたくなるように)。私もときどき、多くは一人で、巨大なグラスワイン(日本のそれの3〜4倍のグラスにこぼれんばかりになみなみと注ぐ)を片手に、多くはその日のおすすめ料理(なぜかフランス語でPlat du Jourと書かれていた)を食べに行ったものだ。

 決して高級な店ではないので、食材もありふれた食材だ。料理にもよるが、私はしばしば、この店で今までニューヨークでもヨーロッパでも味わったことのない体験をした。例えばなんらかのソースがかかった肉片を口に入れ、味わいはじめる。フランスだと、そうした瞬間、肉汁が口中にじゅわーと広がり、とともに芳しい、が野生的な味が立ち上っていく。だが、ここでは、そうした滋味豊かな展開は一切起こらない。代わりに、他の大方のニューヨークのレストラン同様、どこまでも無味の広がりが、ちょうどアメリカ中部の広大な荒野のように、果てしなく広がっていく。通常の店だと、それですべてなのだが、この店の料理は、その果てしない無味の荒野の彼方に、かすかに、ほんのかすかに、なにか「味」らしきものが立ち上がってくるのだ!

 私は、この連載を始める際、リード文に、私の人生のある瞬間に味覚の「コペルニクス的転回」が起き、以来、味がときに曼荼羅のようにときに交響曲のように口中で立体的に展開する様を述べたが、私にとって真に「美味しい」ものは、つねに「立ち上がる」ものだ。その「立ち上がり」方がいかに豊かで繊細で独創的か、そこに「美食」の芸が極まれりと思っている。

 残念ながら、少なくとも当時のニューヨークには、そうした「立ち上がり」が起きる店が皆無に近かった。ほぼ唯一、このレストランの、荒野の果てのかすかな「立ち上がり」だけだった!

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