見出し画像

【読書】宇宙のみなしご 森絵都

ときどき、わたしのなかで千人の小人たちがいっせいに足ぶみをはじめる。その足音が心臓にひびくと、身体じゅうの血がぶくぶくと泡をはくみたいに、熱いものがこみあげてきて抑えきれなくて、わたしはいつもちょっとだけふるえる。

 森絵都さん。タイトルよりも人の目を引く、ちょっとずるいペンネームだなぁと、彼女の本を手に取る前はいつも思う。絵の都。素敵な名前だと思う。

 そして、タイトルの『宇宙のみなしご』。これもまた、唯一無二の表題で、一度目に入ってしまえば、もうページをめくりたくなって、居ても立っても居られなくなる。本当に、ずるい作家さんだなぁと感じる。

 小説の格言に、「最初の一行がその本を売り、最後の一行が次の本を売る」というのがある。本書の冒頭、「千人の小人たちがいっせいに足ぶみをはじめる」。想像できそうで、難しいこの一文に、ぼくは否応なく物語の世界に引き込まれてしまった。

あらすじ


あらすじ
 14歳の陽子は、一つ下の弟リンと、自営業でいつも家にいない両親の4人家族だ。小さなころから、姉弟は思いついた遊びを、何が何でも工夫してやり遂げてきた。
 陽子は、好きだった担任が突然退職してしまい、不登校を楽しんでいた。陸上部に入っているリンはそんな陽子を心配している。母の友人で、近くに住むさおりさんも、姉弟を心配して、ご飯を食べにこさせ、面倒を見ていた。担任から突然の訪問を受け、陽子の不登校は2週間で終わる。学校へ行くと、みんなから便利に扱われている「キオスク」という少年が、執拗にインターネットのオフ会に陽子を誘う。
 一方、クラスで「若草日記」と呼ばれるグループで、ベスと名付けられた、七瀬さんが無視され、一人で教室にいた。七瀬さんは、学校の女の子からモテていたリンと、関係を噂されており、ある日、リンが家に七瀬さんを連れてくる。
 七瀬さんの目的は、ちょうど、姉弟の間で新しく流行っていた遊び、「他人の屋根に登る遊び」をどうしても、やりたいのだという。実行した際、キオスクに現場を見られてしまったため、夜の遊びのメンバーは二人だったのが4人になっていた。
 後日、4人で屋根に上ろうとすると、キオスクが怖がって逃げてしまった。そのまま一か月、不登校になり、キオスクが自殺未遂を図ったという噂が学校中に流れた。普段から、一人で給食当番や掃除当番をやらされていたのを先生たちは知っていたはずなのに、そんな時だけキオスクを気遣う教師に陽子は、腹を立てていた。
 その間に、リンと、七瀬さんは喧嘩をしたらしく、七瀬さんは陽子を避けるようになった。同じ陸上部だった七瀬さんはリンがいないと一緒に走らないらしく、そのことがリンを腹立たせ、リンと喧嘩した途端、自分にまで態度を変えた七瀬さんに、陽子は、腹を立たせていた。
 キオスクを見舞いに行く陽子だったが、キオスクは自殺しようとしたのではなく、屋根に上ろうとして、落下しただけだった。七瀬さんは、リンを気にしていたわけではなく、内気な恥ずかしがり屋だったために、誘ってくれたリンがいなければ走れなかっただけだった。
 陽子はキオスクを学校に復帰させるため、他人の家の屋根に登る遊びをしていたことを、学校に伝えることしにた。
 最後の屋根の登り。4人の子供たちは、これからの人生を精一杯楽しんで生きることを誓う。


強く生きるこどもの魅力


退屈に負けないこと。
自分たちの力でおもしろいことを考えつづけること。
テレビやゲームじゃどうにもならない、むずむずした気持ち、ぜったいに我慢しないこと。
わたしたちきょうだいにとっては、それがすべてだった。

 本作が発表されたのは、1994年。ガラ系と呼ばれる携帯が普及されていた時代だった。もちろんスマホはまだ開発されていない。ファミコンなどのゲームはあったに違いないけど、姉弟は自分たちだけの遊びを考えては、実行していく。

 いまのこどもには考えられないはずだ。自分たちだけで、自由に遊びを考える。野原に秘密基地を作ったり、草花を使っておままごとをしたり。おもちゃがなかった時代。こどもはおもちゃを勝手に作ったし、ゲームボーイがないからって、つまらないわけではなかった。

 与えられるのではなく、自分たちで作る。そんなしなやかで、たくましいこどもの描写がたまらなく素敵です。「退屈にまけないこと」。なんて大切な教訓なのだろうと、感じるのです。つまらないのはあなた自身がその努力を怠ってるから、と言われているような気がして。

理由のないことに


真夜中に、なんの意味もなく、人んちの屋根にのぼっているのである。
ーなぜこんなことをしたのかときかれても、無論、わたしたちは答えられない。

「なぜ?」と自分自身に問うように、ぼくらは、学校で社会で、教育されます。必ず、自分の行動が何かにとって有益になるように……。それは、或る意味、何かに飼いならされているのと変わらないのかもしれません。なぜか、意味のないことができなくなったら、何かに負けたような気がしてしまう。

隣の人


となりで疲れた顔をしている担任だって、本当はアマゾンでピラニア釣りをしたいと思っているかもしれないのだし

隣にいる人が何を考えてるのか。それが分かれば苦労しないよ、という場面ってたくさんあると思います。一緒に暮らしていたとしても、何年来の友人でも。わからないものはわからない。利害関係のあるビジネスパーソン同士の方がよっぽどまし。なんて声もあって。これが孤独の正体なのかもしれないと、思ったりします。

誰とでも仲良くという道徳


グループ関係なく、気の合うことだけ遊ぶ。「だれかとだけ仲良く」だ。こういうやりかたも、ひとつまちがえばひんしゅくを買うことになるの。

「誰とでも仲良くしよう」という標語は、すでにどんな共同体でも、決まり文句のようになっている。けど、やっぱり、合わない人だっている。嫌いな人だっている。つまり、この標語には現実感がない。

 とっつきにくい道徳標語みたいだ。中学校で道徳が正式科目に追加されたけど、教員の方の苦悩が目に見える。好き嫌いは個性だし、嫌いがなければ、好きもないんじゃないか。というのが本音のところ。そんな言いにくいことも、陽子という人物を通して、赤裸々に語る。これも、小説の魅力かなと感じます。

ときめきとわくわく


なにかにときめいて、わくわくして、でもそれを我慢したらつぎからは、そのわくわくが少し減ってしまうような気がしていた。

ときめきと、わくわく。一番大切にしなければならないことを捨てて生きてる。これが一番ダメなことだと感じます。どきどきとわくわくをいつまでも大切に生きている人いなりたいなぁと思うのです。

大人になっていくこと


社会に出るとさ、なやみごとっていうのも、仕事のこととか、お金のこととか、まぁ恋愛のこととか、結婚したら結婚したで相手の身内のこととか……。あとは自分自身かな。ほとんど自分のことで悩んでるのかな。純粋に友達のことで悩むななんてこと、めったになくなっていくもんだから。

「純粋に友達のことで悩むなんてこと」。友達も大人になっていくし、自分もどんどん大人になってゆく。あれだけ、毎日悩んでいた人間関係のことも、年を取ればとるほど、その性質が変わっていってしまう。

だから、たくさん悩むことって、それほど、悪いものではないんじゃないかなぁと思います。でも、できれば、お互いのことを真剣に悩みあえる友達を、持っていたいと感じます。

宇宙のみなしごの意味(まとめ)


ぼくたちはみんな宇宙のみなしごだから。ばらばらに生まれてきてばらばらに死んでいくみなしごだから。自分の力できらきらかがやいていないと、宇宙の暗闇にのみこまれた消えちゃうんだよ、って
頭と体の使いかた次第で、この世界はどんなに明るいものにもさみしいものにもなるのだ、と。宇宙の暗闇にのみこまれてしまわないための方法だ。
「でも、ひとりでやってかなやならないからこそ、ときどき手をつなぎあえる友達を見つけなさいって、冨塚先生、そう言ったんだ。手をつないで、心の休憩ができる友達が必要なんだよ、って……」

 最後まで読んで、優しく突き放されるような気持ちになる一文です。「この世界は愛に満ちている」とか、「あなたはひとりじゃない」とか、優しい言葉では締めくくりません。

 「自分の考え方次第で」というのが、読者に再び現実に向かわせるきっかけを作っているような気がします。「ぼくらはみな宇宙のみなしご」というのは、みんな一緒だというのではなく、みんな一人きりで生きていく。一人で生きていることが、みな一緒なのだ。というジレンマを乗り越えた一文。ラストのこの場面には、作者、森絵都さんのエールが詰まっているように思いました。もちろん、こどもだけじゃなくて、かつての子どもだった大人に向けて。

 

こんな小説が書きたい。こんな小説を読みたい。心から思う一冊です。



この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。