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あの日、カピオラニ公園で。

ハワイ語には、「自然(nature)」
という言葉がない。

それは、〈人〉と〈自然〉を分けていないから。

あえて言葉がいらないからだという。

     𖦞

私とフラダンスの出会いは
2012年のホノルルマラソンだった。

遠くに見えた
広大なカピオラニ公園の芝生で踊る集団に
目が釘付けになった。

初めてそれを見たとき
素足で大地を踏み締めながら
人なのか植物なのか
分からないような動きをしていると思った。

ゆったりとした動きの中に
腕が次々としなやかに伸びていき、
柔らかい腰が波のようになびく度に
衣装のスカートがフワフワっと舞い上がる
まるで聖母のような表情
まとっている空気が人間ではなくて
神様のようだと思った。


     𖦞

2020年、私は2人の子育てをしていた

コロナ禍に入り、外に出られず
悶々とした生活が始まった時、私は思い出した。
あの時のフラダンスを。

そして、毎日ハワイのラジオをつけながら
小さな子どもたちと
マンションのリビングで
ハワイアンミュージックに
癒されて、癒されて、過ごした。

そして娘が1歳の誕生日を迎えた日、
私はフラダンス教室の扉を開いた。

基本のステップを続けているだけで
足がパンパンになったけど
私は嬉しくて嬉しくて
叫びたいほど楽しかったのを覚えている。

あれから4年、
ゆるゆるとしたペースではあるけれど
フラダンスを続けている。

上手ではないけれど
フラダンスをしている60分間ほど
自分に夢中になる時間はない
踊っている間私は魂が震え続けている


フラダンスの動きに、
手話のように一つ一つに
大切な意味があるところが大好きだ。

波、花、山。

愛しい。大切な。

いい香り。

いい眺め。

ありがとう。

習ってみてそのポージングはやっぱり、
人が植物になったかのような
踊りであり祈りであると感じる。

私は毎朝起きてすぐに
窓の外遠く地平線をじっと見て
この地球が回っていることを確認する
というルーティンがある。
それは、自分が宇宙の一部であること、
自然の中の一部であることを確認して
〈今日を生かされている〉
感謝の気持ちにマインドセットするためだ。

その感覚と
フラダンスを踊っている時の感覚は似ている。

“  人間は、どこまでも、自然に生かされている ”


  𖦞


ハワイ語には〈自然〉という言葉が存在しない。

その理由を知り
私はもっと、フラダンスが好きになった。

ゴールデンウィーク
私の街では毎年ハワイアンフェスティバルが開かれる。
フラダンスやハワイアンミュージックのステージが
3日間昼から夜まで繰り広げられ街はハワイとなる。

芝生でビールを片手に、
夜遅くまで家族と共に
ハワイアンミュージックに体をゆだねる時間。

あの日のカピオラニ公園を思い出しながら
私は自然と一体になる。


おわり


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