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通学路は、私のルーツだった

私にとって小学校の6年間は
これまでの人生の中で最も印象に残っている期間であるかもしれない。

今でも、ふと、30年前の記憶が蘇ってくる。
それは小学生の私。
中でも、片道1.8キロを毎日20分かけて歩く
その通学路の景色は、
いくどとなく私にふと語りかけてくる。
なぜか寂しさや孤独の感情と共に。

その記憶を確かめたくて、小雨ふる5月に
その道を歩いてだどってみることにした。

     𖦞

「小学校前」というバス停で私は降りた。
「創立150周年記念」と書かれた青い垂れ幕がかかっている。
多摩川という川のすぐ近くに建てられた小学校。
小学校の前には神社があり、そこを通らないと家に帰ることはできない。
神社へは、歩道橋がかけられていた。


こんな色だったっけ。


一段、一段と踏みしめていくと、突然後ろから、
階段を駆け上がってくる男児たちの気配がよみがえった。
この階段を登る時、いつも私は一人ぼっちで、
男児がふざけながら猛スピードで私の横を横切る度に
歩道橋はすごく揺れて怖かった。


歩道橋を降りるとすぐに神社。
神社には独特の雰囲気がある。
小さいながらにそれを感じないように
気配を消して歩いていたような気がする。
あの社の中には何があるんだろう。
木の影から何かがこっちをじっと見ている気がする。
風が強い日には、どこかへ連れて行かれそうな気持ちになった。

だけど
今立ってみるとそこは、
大きく大きく深呼吸したくなるような静寂。
深い木々にまるで包まれているような安堵感。
木のざわめきは、
私に優しく話しかけているような気がして
突然目頭が熱くなった。

「ただいま。」

なんだか泣きたい気持ちになる。



私の通学路


神社の裏道は、まるでジブリに出てくるような
自然と時間が作りなした小道。

石段の形一つ一つも私は覚えていた。
せり出した木の根によくつまづいた。
ここで転ぶと本当に怖い。
後ろも振り返らず一目散に走った。
どこもかしこも、何か隠れているような気持ちになって
どうか出てこないでと願いながら息を止めて小走りになる。

小道は、何も変わっていなかった。
30年間、葉っぱ1つ変わっていないように見える。
じっとその場を眺めていると
ふっと、当時そこで遊んだ子たちが次々と現れた。
木の影に誰か隠れてクスクス笑っている。
私にも、遊んでくれる子、いたんだっけ。


    𖦞


小道を抜けると学童が見えてくる。
毎日通った学童は、閉館し駐車場になっていた。
諦めて道を戻ろうしたその時、突然、信じられない風景が現れた。
当時の学童の伊藤先生が、
懐かしい建物のドアから出てきて「おかえりー!」と
笑って大きくこちらに手を振っている。

夕方親が迎えに来る子を羨ましく思っていた。
最後まで残った私は一人で靴を履き、
そこからまた1キロ歩いて帰らなければならなかった。
そんなことばかり私は握りしめていて、
私の帰りを毎日待っていてくれた人がいた
大きな体の大きな声の心強い存在を忘れていた。

駐車場になってしまった場所で、私は心から泣いた。

「先生。ただいま。あの時はありがとう。」

     𖦞


学校と自宅までの間に、学童の他にも祖母の家がある。
学童を卒業する年になってからは、祖母の家が私の学童となった。
祖母の家に行くには、竹林を通らなければならなくて、
風が吹くとその道もまたお化けのように竹がしなって怖かった。

その竹林もまた、姿を消していた。
けれども道は舗装もされずに残っていて、
その先に病院で眠っているはずのおばあちゃんが
エプロンをつけたまま笑って立っていた。
「おかえり、ゆうちゃん」と手を挙げてくれた。

そうだった。
この竹藪が怖くておばあちゃんに
「ここで待っていてね」とお願いしていたんだっけ。
高学年にもなって。
おばあちゃんちで、どんな話をしたのか残念だけど
あまり覚えていない。
だけど確かにそこは安心して麦茶を飲める場所だった。
今おばあちゃんが眠り続けていなければ、
その時の話を聞いてみたい。
私はどんなことを話していた?


     𖦞


おばあちゃんちを通り過ぎると
賑やかなにわとり小屋があり、
お墓があり、畑が続く。
さつきの花を摘み、
ちゅーちゅー吸っては歩きながら捨てていった。
私の通った道には、さつきの花が転がっていった。
畑に着くと、里芋の大きな葉っぱにたまる雨水を飲みながら帰った。
野良猫がいれば、ずっとついて行った。
にんげんの友達はいなかったけど、
動物や植物や虫たちにいつも話しかけて帰った。


     𖦞


変わってしまった風景もあるけれど
あの時のまま、私の通学路は私を待っていていてくれた。

通学路を歩く時間は、とても豊かだった。

通学路には、今私がとても大切にしているもの、
今私がとても欲しいものが、詰まっていた。

通学路の風景にはいつも
寂しさや悲しみの感情がついて回っていたけれど、
この日、伏線を回収するように歩いてみたら
思いがけずにたくさんの人が私の目の前に現れた。

一緒に遊んでくれた友達
一緒に遊んでくれた木や石段や植物や猫、
私の帰りを待っていてくれた学童の先生、
エプロンをつけた若いおばあちゃん。


私は守れていた。
私は大切にされていた。
私の帰り道は、ひとりぼっちじゃなかったし、
私は一人を楽しんでいた。

私は確かに、この街で育ち、
確かに私は、この通学路で
まるで花束を摘むかのように”
大切なものを摘みながら、生きてきた。

通学路に残した私のルーツを
この日私はたくさん拾い集めて、抱きしめた。


おわり





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