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031 たった1行の父への手紙

70になる父の目は失明しかけている。

左目は既に視力を失って、右目のわずかな一部で、薄暗く、あやふやな色と平面の世界で生きている。6年前に、父は母から腎臓移植を受けた。その時、誰も父の目がこうなるとは思ってもみなかった。

税理士だった父は、母からもらった腎臓で、第二の夢である歴史家になって本を出版する夢に向かって動き始めていた。今この状態になっても、父は文字拡大機を頼りに、毎日図書館へ行き本を読み研究を進めていた。それが、先月のある日。図書館からの慣れた帰り道、曲がり角で車に巻き込まれ、事故に遭ってしまう。

私は思った。なぜ、父がこんな目に遭うのか。父のわずかな希望、生きがいは、なぜ閉ざされたのか。

幸いにも大事には至らなかったけど、父は家から出られなくなり、精神的な不調が続いた。私は悲しくて、深く考えることすら逃げていた。

父は、仕事人間で厳格な人だったけど、私のことをとても可愛がって、小さな私を「プーちゃん」と呼びよく頭を撫でてくれる人だった。私は不思議と父に対し反抗期はなかったし、仕事は楽しくて喜びを得るためにやるものということを、背中で見せてくれる父を尊敬もしていた。

父が泣いたのを私は2回、見たことがある。1度目は、私の結婚が決まり、旦那が初めて家にきて挨拶をした時だ。和やかに挨拶をして終わると思っていたのに、突然父は、鼻水を垂らして泣いて私の小さかかった時からの話をし始めた。その話は事前に考えられたもので、まるで結婚式の最後に新郎の父が話すようなスピーチだった。生まれて初めて見る父の涙は、私には衝撃的だった。

二度目は、私の結婚式の日。新婦の手紙を読み始めた時、父の顔を見ると既に顔を真っ赤にして子どもみたいに泣いていて、私はスピーチの出だしに声を詰まらせたのを、よく覚えている。

父が泣いたのは、いずれも私の喜ばしい日だった。父の私への愛の深さを感じた。

今年の夏、いよいよ視力を失い、最後の目の手術が行われた時。私はもう、父の目が見えなくなることを覚悟して病院へ行った。そして、その日父に1行の手紙を渡した。それすら読めない可能性はある。たった一言だけど、泣いて伝えられないと思った想いはこれだ。

「もし、お父さんの目が見えなくなっても、そんなお父さんも大好きだよ。」

私は、もうこれ以上の言葉を選べなかった。これに尽きると思った。

ここでもう一度私は、自分へ以前投げかけた問いを思い出してみる。
「なぜ、父がこんな目にあうのか。」

それは。それはね。

それは、私が父にこのメッセージを伝えるため。

こうでもならないと、私は父が生きているうちに、こんな言葉をかけてあげられなかった。情けない娘だけど。私はこの人生で絶対に言っておかなけれはならなかった言葉を、やっと伝えられたのだ。

全て、目の前に起きることにはメッセージがある。
悲しみの裏には、優しさが。
暗闇の裏には、光が。

私は父に、光を注ぎ続ける。



おわり


追伸:今私たち家族は盲導犬という選択肢を探りはじめています^^

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