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困窮してみた No.3.5.『彼』について

noteのお題企画 #8月31日の夜に のために、先日ひとつ書いてみたのだけれど、『困窮してみたシリーズ』の横糸となる、幼少期〜現在に至るOZZYと共にあった『ある存在』、育てられ方、そして両親との関係が、もしかしたら関連するかもしれないなー、と思い、もう少しひっぱります。
いずれにしても、本編の前に説明が必要なことでもありますし。

『困窮してみたシリーズ』の一部ですが、単体の文章として完結していますので、 #8月31日の夜に タグで来られた方は、あまり気にせずお読み頂ければと思います。

『困窮してみたシリーズ』にご興味をお持ちいただけましたら、コチラ↓から、よろしくお願いいたします。

マガジン『健康で文化的ななんちゃらかんちゃら』


【1.はじめての友達】

これまで、『彼』について話したのはおよめさまだけだった。
こんな話は、ただの妄想だったり、厨二病的設定に過ぎなかったり……僕自身でさえ、そう思っていた。

それでもやっぱり『彼』は存在したし、今も変わらず存在するし……それに、もうすぐアラフィフのオッサンが、厨二設定語りだすのも、痛々しいし……。

『彼』について公にする気になったのは、小3からの幼馴染の友人の告白を受けてからだ。
彼は、僕に先んじて仕事上の人間関係で病み、心療内科にて、解離性障害の診断を受けた。
最も古い友人である彼の病状の告白を聞いて

『あれ? なんかヤツと似てね?』

と思ったからだ。
僕のいう『彼』が、そういう存在なのかはわからないし、僕にそういう病状があるのかもわからないけれど、読者の皆々様におかれましては、『まぁ、そんなこともあるんだね』的に流して頂ければと。

前フリでなんとなく察していただけたと思うけれど、僕には2〜3歳くらいから、常に一緒にいる『友達』がいる。
24時間365日、常に一緒の『友達』が。

『彼』は、合わせ鏡の奥から現れた。
保育園に通い始めたばかりの頃、祖母の鏡台で遊んでいた時のことだった。
無限に続く鏡の世界の奥の奥から。

僕と同じくらいの歳
僕と同じ背丈
僕と同じ顔
僕と同じ髪型
僕と同じ声

『彼』が自分とも、祖父母とも違う存在であることは、僕もわかっていた。
その日から今日まで、僕たちはずっと一緒に暮らしてきた。
他の友達と違って、夕方にバイバイすることなく、一日中僕と彼は一緒だった。
双子の兄弟というものがいたとしたら、もしかしたらこんな感じなのかな?

肉体を持たない彼は、主に僕の脳内をねぐらにしていた。
『僕』と『彼』とで、一つの肉体をシェアしている……とまではいかなくて『僕』の中に『彼』が間借りしている感じ。

『彼』は、僕の精神に負荷がかかると現れた。
怒りや悲しみ、寂しさ、理不尽に扱われた時の辛さ、コンプレックス……etc
そういった負の感情による負荷が一定のレベルを超えると、彼が僕の精神のコントロールを奪った。

『彼』は、僕のネガティブな性質を受け持っている。
厭世的で、嫌味ったらしくて、攻撃的な彼は、10代〜20代の頃、たびたび暴走した。
実際、僕の青春期は、彼との闘いに始終していた。
『彼』は、僕の怒りや悲しみを扱う代理人である一方、『僕』が、特に悲しみも憤りも感じていなかったそれらや、コンプレックスの種を、わざわざ掘り返して目の前に突きつける、厄介な存在でもあった。

人格が変わるとか、スイッチ後の記憶がないとか、そういうことは全くなくて、暴力を振るったりすることもなく、どこまでも僕でしかないのだけれど、思考や精神をジャックし、ラディカルな人間のように振る舞わせた。他の人といる時にスイッチしてしまって、普段と違う感じの自分になってしまっていることも昔はよくあった。

恐らく、彼は僕にとっての『バランサー』なのだと思う。
怒ることや悲しむことが下手で、自己評価が低すぎて、不当な扱いを受けても自覚が薄い僕が、『人間であること』を思い出すための存在。
そして、他者を迂闊に信じることで、心身に傷を負わないよう先回りして警戒を促す存在。

彼には申し訳ないが、前者はともかく、後者としての役割は、僕の人生にデメリットしかなかった気がするけれど、それについては、彼自身が猛省しているので、もう責めない。

30歳を超えた頃から、彼が僕をジャックすることは、ほとんどなくなった。
ネガティブな彼にはずいぶん振り回されたし、憎みさえしたけれど、彼がいなかったら、僕の精神が崩壊していただろう。
『彼』が、内罰的な傾向を持つ『僕』の思考を、他罰的な方向に逸して中指を立ててくれることで、『僕』の精神がどれほど護られていたかを考えると、今、彼に対しては、感謝しかない。

【2.共闘の日々/闘争の日々】

幼少期には、ただの遊び友達だった『彼』が、はじめてそのような存在として振る舞ったのは、小学三年生の夏休み直前。
2歳になるかならないかの頃から、祖父母のもとに僕を預けていた父母が、僕を引き取るために転校の手続きをしていた時だ。

大人の都合に振り回される理不尽に、呆然としていた『僕』を、初めて彼がジャックした。
それは、人生で初めて感じた『怒り』だった。
『僕』をジャックした『彼』は、転校関係の書類をゴミ箱に捨てた。
最初は、当時まだタバコを吸っていた爺ちゃんのライターを持ち出して、燃やそうとしたのだけれど、『僕』がそれを止めた。
子供心に、そこまでしたらシャレにならないことになると、ブレーキがかかったのだと思う。

結局は抗いきれるわけもなく、父母のもとに行くことになったのだけれど、しばらく僕たちの関係は平穏だった。
その平和な日々にピリオドが打たれたのは、中学の頃だった。

小6の頃から読書に目覚めた僕は、中学の頃には自分の読書体験の中から、自分なりの思想のようなものを構築していた。
中学〜20代までの僕(というか『彼』かも)は、ガチリベラルであり、遅れてきた共産主義者であり、アナーキストであり、世のあらゆる差別や理不尽に中指を立てていた。
高校時代には、村上龍の著書『69』の一節

『勉強をするやつは資本家の手先だ』

をリアルに口実にし、都内某底辺高の授業をサボタージュし、キング牧師の『汝の敵を愛せよ』、マルコムXの『マルコムX自伝』、マルクスの『資本論』、吉本隆明の『共同幻想論』等を教科書に、独自に学んでいた。当然学校の成績には反映されなかった。

両親との最初の衝突は、中学の時だった。
自分の勉強に始終し、『学校の勉強』を全くやろうとしない息子に業を煮やした両親が、勉強をしなければならない理由を説いたときだった。
曰く

「良い高校に入り、良い大学に入り、良い会社に勤めなければ、良い給与は得られない」

というものだった。
現代であれば、たくさんのツッコミが入りそうな、穴だらけのザル論法なのだが、僕が10代の頃は、多くの人が、割と真面目にこれを信じていたので、当時の両親を責めることもできまい。

けれど、残念ながら、両親の言葉は、僕に全く響かなかった。
だって、彼らが提示するその未来に、全く魅力的に感じなかったんだもの。
当の本人たちが勉強らしきことをしている姿を見せず、本すら読んでいる気配がないことが、さらに僕の不信感を加速させた。

大切なことを学ぶ時間を削って、『表現しなきゃ』という切実な衝動を殺して(その頃既に書くことは始めていた)、得られるものが、そんなつまらないものなら、それを聞いて「よし、頑張ろう!」なんて思えるはずがない。
だから、正直に言った。

”そんなもの、全然欲しくない”

母は、

「大人になればわかる。私はあなたのために、心を鬼にして言ってる。恨まれてもかまわない」

と返した。
残念ながら、この歳になっても、母の気持ちが全くわからない。
おぼろげにわかったのは、当時その言葉を言った母が、『母親』をやっている自分に酔っていたのではないかな、ということくらいだ。

一方僕は、親の不勉強に苛立っていた。

バブルの熱狂は理解できなかったけれど、1989年6月に起きた中国の民主化運動にしても、アフガニスタン紛争にしても、生まれた国や人種や性別で、機会の平等だけでなく、生存の平等すら与えられないことがあるということに、大きなショックを受けていた僕は、それらのニュースを、他人事のように見聞きし、あまつさえ、なんの感想も感慨も持たず、なんのアクションも起こさずにいられる鈍感さに、腹を立てていた。

未だに母と話をすると、そのあたりで全く噛み合わなくなる。
何を消費するかの話しかできない母と、『消費とは投票行為である』という話はできない。
価値観の相違は、未だに埋まっていないし、多分死ぬまで埋まらないのだと思う。


【3.インナーチャイルド】

今回、このような事態に陥って、良かったこともある。
およめさまとの会話が、必然的に、とても多くなったことだ。

およめさまとの対話の中で、過去の自分自身の感情を掘り下げていく作業を経験した。多分これは、カウンセリングと、大きな違いはないと思う。

その中で僕は、幼少期~少年期、青年期にかけての欠落を再確認した。

幼少期、37.5℃(低体温の僕には、39℃違い高熱)の熱を出し、食べたものはすべてはきもどす状態になったことがある。
母は餅入りの雑炊のようなものを食わせてきたが、これもまた吐いてしまった。その時
「なんで吐くのよ!」
と責められたこと。

小1くらいの頃、気まぐれに祖父母宅に、僕に会いにきた時のこと。
漢字の書き取りか何かの勉強で、頁(ページ)という漢字を知らない頃に、『◯◯偏にページって書くのよ」と教えられて、全くわからずパニックになって、カタカナで『ページ』と書いたら、
「ふざけるな!」
と、烈火のごとく怒られたこと。

「おかあさん」としか呼んだことがなかったから、ファーストネームを知らず「おかあさんの名前なんだっけ?」と聞いた時、怒られたこと。

中学の時、今も続く大切な友人たちを指して
「友達は選びなさい」
と言われ、猛烈に反発したこと。

先に述べた、『学び』についての、埋めがたい見解の相違。

父もだけれど、母もまた、壮健でありながらその自覚のない人なので、病気の人や、精神的に脆い人、障害者や貧困者、動物等、弱者への共感力が弱く、冷淡になりがちで、「うつは甘え」的なメンタリティが見え隠れするところ。

わけても、精神疾患や、脳の疾患による診療内科系の障害に対して、根強い偏見が見え隠れすることがあるところ。
僕が今回「もう無理だ。離職したい」と、死にそうな思いで告げた時に返ってきた言葉は
「生活どうするの?」
だった。
その心配は、全くもって正しいのだけれど、このタイミングでそれを言うのか、と、その事にさらに傷ついてしまった。

社会福祉等、公助に頼る事への、異常な程の忌避感が理解できない。
「そんなものに頼るくらいなら、死んだ方がマシ!」
と、今も昔も言っている。
そう主張するのは自由だけれど、息子がそこに落ちる可能性もある今、無年金で無職で経済的に息子ベッタリなあなたは、どうするの?
僕は、そうなっても生きたいよ。

溜息や無視などの不機嫌オーラで、家族をコントロールしようとする癖。
(今回のトラブルの引鉄にもなった悪癖だが、未だ治っていない)

上昇と向上を志向する割には、本当に有効な行動を取らない。
例えば英語を身につけたいなら、英語話者と話すしかないのに、何十年も本とノートで「英語の勉強」をして、「英語を勉強してる自分」に縋り付いているのが、モヤモヤする。

『豊かさ』に関する見解の相違。

マネーリテラシーの低さ(困窮している原因の一つ)

……etc

様々な、そしてきっと、とても些細な、理不尽に扱われた過去や、違和感を思い出した。

大したことではない。
笑い話にさえ聞こえるかもしれない。
親だって完璧ではないのだし、ネグレクトに当たるような事も(小3以降は)なかったし、クリスマスにも誕生日にもプレゼントをもらい、ケーキで祝って貰えていた。
愛されては、いたはずだ。

でも、それでもやっぱり、傷ついてもいたのだ。
母を赦すことは、自分の傷を放置して良いこととイコールではない。

「そんな些細なこと」だろうが、当人が覚えていなかろうが、それは起こって、僕はそれに傷ついた。

謝罪も賠償も、反省すら、今更求めないけれど、ちいさな僕を、

「辛かったね」

と、抱きしめてあげる必要は感じた。

埋めがたいギャップと断絶がありながらも、母を捨てるわけにはいかない僕は、彼女が亡くなるその日まで、一緒に暮らすしかない。

とばっちりを喰うカタチになり、およめさまには本当に申し訳ないのだけれど……。

【4.かつての子どもから、今の子どもへ】

傷ついたこと。
おかしいとおもったこと。

そう感じた自分、そう思った自分を、否定しないであげてください。
世間的にどうとか、倫理的にどうとか、もっと辛い人はいるとか、そういうのは、一旦置いておいて、『自分がそう思ってしまったこと・感じてしまったこと』を、あなた自身だけは、許してあげてください。

言わなきゃいいんです。あえて言わなきゃいいだけなんです。そう思ってしまう、感じてしまうことまで、止める必要はない。
おとうさんも、おかあさんも、おともだちも、100%全部を好きになる必要なんて、ないんです。
好きなところや嫌いなところがあって、好きなところのほうが多かったら、それは素敵なことだし、嫌いなところが多かったとしたら、じゃあどうしたらいいかを、いろいろ考えてみたらいい。
「なおして」って言えるなら、言ってみてもいいし、言えないような間柄なら、すこし離れてみてもいい。
親子やきょうだいだと、物理的に離れるのはすこし難しいけれど、「好きだと思えない自分」を認めてあげることができたら、自分で自分を傷つけることだけは避けられます。

矛盾しているようですが、「愛せない」ことを認めると、もっと大きな「人間愛」とか、「博愛」のような括りであれば、愛することができることに気づけたりします。
皮肉だけれど、「愛さなければいけない」という足枷に縛られているうちは、愛することはできないんです。

そしてこれは、あなた自身にも言えることで、「こんな自分が嫌いだ」と思っている間は、あなたはあなた自身を愛することができないけれど、「全部じゃないけど、好きなところもある」って認めることができれば、少しづつ自分を愛していけると思うんです。

何を愛して、何を愛さないのかは、あなた自身が自由に決めることができます。
それだけは、覚えておいてください。

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!