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愛の賛歌。

「親の亡いボク
子の亡いキミ」

今朝は東京大学の
生徒のひと
担当の朝学習

過去がどうであれ
「いま」
キミがどうしてるのか
そこに人は興味がある

頭の中が
「老化」すると
いくつであれ
「過去の栄光」ばかり
繰り返し話す

鏡をご覧ください

過去がどんなに
立派でも
現在だらしなく
いま「人でなし」では
説得力も無い

失敗してもいい
負けてもいい

いま
くじけずに
前を向いて
歯を食いしばって
挑戦し続けてるか
闘ってるか

その姿に
ひとは感動し

感動するから
信頼し
信頼するから
尊敬できる

仏様も
人間社会から
遊離し悟りを
澄ますのではなく

現実の苦悩の
真っただ中
自らも悩みながら
他者を救おうと
闘い続ける

それが仏様だと。

まさに
キミの姿だ
学びながら
キミを浮かべた

人生の逆境に
挑みながら
苦悩の友人に
手を差し伸べる
寄り添うその姿
神々しく
光輝く

だから
いつも若々しい
青年のこころで
お過ごしなのだなと

もちろん
「青年」とは
男子のみならず
「若者」の別名

また
「年齢に囚われない
ひとの
生き生きとした姿」
としてボクも
使用しています

今朝の学びは
そのテーマの中でも

「どう捉えるか」

目の前の
何の変哲もない
青空

見上げれば
いま
キミの目の前にも
広がっている

これが不思議であり
「妙」である

キミの
こころ
悲しければ

仰ぎ見た瞬間
悩みの涙が
頬へと
零れ落ち

嬉しくて
たまらなければ
感動の涙が
零れ落ちる

洗濯中に
バルコニーから
仰ぎ見れば
涙も零れない

同じ今日の青空なのに
感じるこころは
別々なのです

当たり前のようで
この不思議

「苦労や鍛えは
人生の原動力になる
未来の宝になります」

今日の担当の
学生さんが
発言した

同じものをみても
自分の命や魂の
状態で別々な
捉え方に変わる

例えば
野球をする人なら
甲子園へ行くため
厳しい練習に耐えれる

ただ厳しいだけの
甲子園など
縁遠い草野球なら
耐えられない

試練の現実に
希望の意味を
見出せるか

それだけで
現状は変化する
キミの味方になる

お子さんを喪い
悲嘆にくれる近所の
奥様が夫妻で来てる

風邪ひいた
病院へいった

気づけば
肺炎だった
寝かしつける時
「こぇよんで」
絵本読んでとせがまれた

最期だった
朝目覚めると
冷たくなっていた

「どうして?!」
「なんでうちだけ?!」

お葬儀のとき
近隣の方々は
その声を
聴いている

命の揺らぎ

暗闇に灯りを求め
朝学に辿り着き
毎朝の学習に
没頭する姿

ご夫妻は
ボクの境遇を知り
この朝学習会に
参加するようになったと
話した

心の底から
人の命の「使命」
というものを理解し
ご自身のお子さんの
「使命」を
「確信」した

そう話した

逆境を転換し
境涯の高みへと跳躍する
生命の大歓喜

この哲理

どのような
「煩悩」や「苦」や
「業」であろうと
仏の「生命」と「智慧」
そして「福徳」
勝ち開いて行く

変えられぬ
運命は断じて無い

決して嘆かなくてよい
絶対
あきらめなくてもよい

そう学んだ
今日はボクやご夫妻の
体験を交えて
教えて下さったので
とても感動した
わかりやすかった

時間は長かったが
アッというまで
興味深かった

本日担当の
東京大学の
生徒のひとは
また参加したいと
云って下さった

いつも参加してる
名古屋大学の生徒さんと
仲良しみたいだ

お二人とも
今日のために
なにやらたくさん
書類を持参して
参加してくださった

ボクもますます
楽しみだ


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遅くなりました
読んで下さって
ありがとうございます

じゃまたあした

読了ありがとうございます 世界の片隅にいるキミに届くよう ボクの想いが次から次へと伝播していくこと願う 昨年のサポートは書籍と寄付に使用しています 心から感謝いたします たくさんのサポートありがとうございました