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不登校だった私が社会にでて思うこと

これは何年も、決まって思うことは学校を行かなくたって、いつか辛いことは必ずやってくるということだ。だから、学校で慣れておけっていう感じもする。でも、回避する術も身につけておけ、とも自分へ思う。


1. 回避する術

2. 戦い抜く術

3. 安心できる場所

4. 夢中になる力


ってので、私は4で生き残った人かなと思う。そんな人が社会に出てみると、ズレているのは当たり前で、そのズレを修正しようと思って毎回できていて、特に何か心の中で積もっていくものもないのなら、それは、学校へいけている人だったかと思う。

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でも、そうはならないことを改めて思うと、やっぱり不登校はなるべくしてなったもんだなと思うんです。私の見て感じている現実が、多くの人が営んでいる社会と合わないっていう感じで。

どうして、こんな全員で集まって話を聞かなきゃいけんだろうとか、数学とかは今の私にはそこまで特に必要ないのに、どうしてやらなきゃいけないんだろうとか。もっと今、やるべきことがあるのに、この時間を、自分で自由に使えるはずなのに、どうしてそれができないんだろう?と思うと、

やっぱり8時30分に出勤して17時退勤の (ミスチルの曲にもあるようなあの) 世界には、住めないなと思うと、やっぱり学校という中では成長と共に自分なりの考えが進んでいくと、暮らせなくなっちゃったんじゃないかと思う。

とか言いつつ、3. があったら私は学校へ行けていたと思う。つまり家が安心できる場所だったり、どんな時でも味方になってくれる友達とか。・・・でも友達はいた。「気にすんなよ」と言ってくれた友達もいたけど、そういうことでもなかったようで。

もうちょっと言うと、もしかしたら学校へ行くのがバカらしくなったってのを、割と、うまいことそういう周りからの嫌がらせと繋げて自分を自分であえてパンクさせたのかもしれないって思ったりもする。まー仮病みたいなもんで。

私は、昔からよく仮病を使っていた。さすがに仕事では使わないけど、、、でも、どうしてもそっちの方が大切・・・!!ってなると、なにがなんでも差し置いてそれをやってしまわないと気が済まないタイプです。晴れている日になんで、ずっと会社のビルの中にいなきゃいけないんだと。


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そんなこんなで、2がある人は色んな人にも迷惑かけながら生き残れるだろうし、逆に迷惑かけすぎて不登校(停学)ってパターンもあるだろうし、回避しまくって、引きこもりが楽しいパターンもあるだろうし。


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でも、ひきこもっていた人は今は勝利ですね・・・!こんなネットだけで済む時代が到来するとは。みなさん健全なるウィナーかと思っています。もちろん、学校へ毎日行ってしっかりと時間を体に叩き込まれて、その箱の中に慣れた人もウィナーだと感じます。

こういう話には、やっぱり森田童子がどこか合いますね。














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