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わたしが母の隣で料理をしない理由

わたしは、料理をするのが苦手です。
正確に言うなら、母が居るところで料理をすることが嫌です。

今、わたしは実家で療養しています。
ありがたいことに、毎日上げ膳据え膳です。
そして、同居家族の中で、わたしだけが食べている野菜スープ(茹で野菜をミキサーで細かくしたもの)があります。

先日、その作り置きの野菜スープが酸っぱくなっていたので「要らない」とわたしが食べるのを拒否したところ、一緒に食卓を囲む父が『それなら、自分で作れ』と怒って、わたしを注意しました。

父は、毎食ご飯を作ってくれる母に対して、わたしの態度が失礼だと思って注意したのだと思います。
父の言う通りです。
わたしだけが食べるのものですから、自分で作ればいいのです。
文句があるなら自分でしなさいということ。

「わかった。これからは自分で作る。その代わり、キッチンを占拠することになるよ」

野菜を切って茹でて、ミキサーにかけるだけの簡単な調理。
だけどその間、母はキッチンには立てないよ。

わたしは、母の背中に向かって言いました。

すると数分後、わたしが食べるのを拒否した野菜スープを母が一口食べて『うん、なんか酸っぱいね』と言い、野菜スープを作り直し始めたのです。

わたしが「いいよ作らなくても、これからは自分で作るから」と言うと、母は『いい。あんたが作ると時間がかかって仕方ないから』と言いました。

『あんたが作ると時間がかかって仕方ないから』

この言葉を聞くのは初めてではありませんでした。

わたしが小学2年生の頃。
母の料理している姿を見ていて、手伝いたくなって、1つ下の弟と手伝いをしたことがあります。

母は、わたしたちができるような簡単な作業を割り振り、手伝いをさせてくれました。母が姉弟のそばに付いて、こうして、ああしてと指示していました。
しかし、途中から「もういい。時間がかかって仕方ないから止めて」と、わたしたち姉弟の手伝いを拒否し、材料を引き上げてしまいました。
幼い子どもがすることなので、時間がかかったり散らかったりするのは仕方がないことだと思うのですが、母はしびれを切らしてしまいました。

それ以来、わたしは母の料理を手伝うことは、母にとって迷惑なのだと思い、キッチンに一切近づかないようになりました。

大学生時代、わたしは初めて1人暮らしをしました。その時、初めて自分の自由にできるキッチンを手に入れました。

毎日お弁当を作って大学へ行き、休日はクッキーを焼き、パンを焼きました。料理をすること自体が苦手ということはないのです。

わたしは、”母の隣で” 料理をすることができないのです。

わたしは父に対して「母さんは、わたしがキッチンに立つのは嫌なんだってさ」と言いました。
そして「『わたしが作ると時間がかかって嫌』って言葉はね、小さい頃にも言われたことがあるんだよ。だから、わたしは作らないんだよ」と続けました。

父は、目を丸くしていました。
そして、そそくさとダイニングから退散していきました。
母は、『そんなこと、言ったっけ?』とつぶやきながら、野菜スープを作っていました。

もう30代後半にもなる娘が、一切料理をしない理由を、父は単に「怠け」だと思っていたのでしょう。
わたしが料理をしない理由「なぜ?」を想像したことがなかったのでしょう。
かと言って、幼いわたしと母の間にあった出来事を、仕事に出ていた父は知る由もありませんから、父を責める気にはなりません。

母の作る料理を、作ってもらっている側が「不味い、食べられない」と言うことに対して、パートナーである父が「お前は何様だ」と気分を害すのは、十分すぎるほど理解できます。
実際、父がそんな風に母の料理を批判する姿を、わたしは見たことがありません。
父は母の手料理が大好きです。単身赴任をしていた時も、毎週末 車を運転して家に帰ってきて、ご飯を食べて、また戻っていくほどに家庭の味が好きなのです。

母は元々は結婚する気はなく、看護師として一生働いていくつもりだったようです。
しかし、結婚して専業主婦になってからは、家が母にとって唯一の世界になりました。
そして「自分の生きる価値」を家庭に求めた時、得意だった料理に、それを見出していました。

母にとってキッチンは、誰にも邪魔されたくない聖域であることを、わたしはずっと前から知っていました。
料理が不味いという批評より、料理の場を奪われることの方が、よっぽど辛いことを、わたしは知っていました。しかし、父はそれを知りませんでした。

夫婦、父と子、母と子、それぞれの思いが交差した時間でした。

そんな訳で、わたしは母と一緒に料理をすることはありません。
これは、ある意味、母に対する わたしの復讐でもあるのです。

今日から数日、両親そろって家には居ません。
だからわたしは、自分の食べるものは自分で作ります。
母の聖域を侵す者ではありませんから。


(おしまい)