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パニック障害になってからのこと ラスト

ー パートタイム労働を経て休職 ー

さて、いよいよ「パニック障害になってからのこと」最終回です。

2020年3月、初めてのパニック障害を経験しメンタルクリニックへ。
薬物療法開始するも途中でやめてしまい、翌月4月、短大へ入学。
保育を学び2022年3月卒業。

ここまでを1、2、3でお話ししました。

↓前回の記事


ここから、2022年の4月から私がどのように過ごしたのか、そして現在に至るまでのことを書いていきます。

全然楽しい話ではないけれど、これも何かの参考になればと思っています。




まるっとコロナ禍だった短大生活を何とか終え、私は保育士資格と幼稚園教諭二種の資格を取り、短大を卒業しました。

この頃は体調も割と安定し、ご飯ももりもり食べて、飲食店やカラオケ、温泉に車移動の旅行なども行けるようになっていました。
ふとした時に予期不安に襲われたり たまに気分が少し落ち込んだりもするけれど、できることが増えてきた喜びに、パニック障害を克服してきているのかも!電車に乗れる日も近いのかな!と心が躍っていたのを覚えています。

卒業してすぐ就職するのは少し不安が大きく、パートから始めて1年くらい経った頃に就職しようと決め、実家から徒歩で通える放課後等児童デイサービス(以外放課後デイサービス)で働くことになりました。

放課後デイサービスは短大に行く事になったきっかけの場所で、自分の目標とする場所でした。
しんどい中でも私が短大の勉強を頑張れたのは、大学休学中に出会った子どもたちのおかげです。
新しい場所で、資格を持って子どもたちと関わることができることがとても嬉しく、新しい職場ではどんな子どもたちが待っているのか楽しみでした。


放課後デイサービスでは多くが送迎付きの支援を行っているため、私は卒業後すぐに車の免許を取りました。
そして管理者の方には体調のことなども相談し、週2〜3回からスタートという形でシフトを組んでいただきました。

管理者の方も他のスタッフの方も良い人ばかりでしたが、私とは少し考え方や支援の方法が合わないなと思うことも多くありました。
今思えば少しずつストレスは溜まっていたのに、私は心のサインを無視していました。


自立したい。早く実家を出て一人暮らしがしたい。
自分で働いて自分で稼いで自分で自分の生活を作れるようになりたい。
元の、パニック障害じゃなかった頃の生活に戻りたい。


そんな気持ちばかり先行していたその年の暮れ、コロナにかかりました。
私の彼氏くんとその友達、そして私と私の小学生の頃からの友達A子ちゃんの4人でカラオケに行ったところ、どうやらそこで感染してしまったようでした。
(ちなみに彼氏くんの友達とA子ちゃんは付き合っているので、ダブルデートに近い状態でした)

そんな中、あることがきっかけで私はA子ちゃんに不信感を抱くようになってしまいました。(彼氏くん絡みとかではないです!)
小学生の頃から仲良しで、お互いコナンが大好き。
毎年公開日にコナンの映画を見に行くのが恒例でした。
しかし、コロナのこと、仕事のこと、パニックの体調のこと、そしてA子ちゃんへの不信感から、どう頑張っても私には前のようにA子ちゃんと話せるだけの心の余裕はありませんでした。



私は昔から正義感が強めで、あまり嘘をついたり隠したりするのは得意ではない方でした。
友達に嘘をついたり隠し事をするのは、とんでもない体力とエネルギーを消費しなければならず、本当に友達なら話せないことなんて無い(もしどうしても言いたくないことがあるなら、信頼を失ったり相手が傷つくような隠し方はしないように徹底する。もしそのことで相手を傷つけてしまったら相手が納得できるように包み隠さず話し合うべき。)と思う派だったので、ずっと仲良しだった大好きなA子ちゃんへのしんどい気持ちを見て見ぬふりし 普通に接することは私にとってはかなりのストレスでした。
(これについて詳しく書くとあまりに長くなるので割愛しますが 結果だけでお伝えすると、ほぼ絶縁する感じになってしまいました。仲が良かった友達と絶縁したなんて話はよく聞きますが、本当にそうなることってあるんだ…とかなりショックでした。)


また、家庭内でもプチトラブル発生で、体調はまた悪化していくばかり。
それでも「この2年間は少ししんどくても、ちょっと頑張ればほぼ乗り越えてこられたんだし大丈夫!私は来年自立してちゃんとした社会人になるんだ!」と、焦って無理をしてしまった私、、本当に馬鹿でした。

昨年2023年4月に特大パニック発作が起こってしまったのです。

もちろん仕事になんて行けず、ご飯も食べられず(再び1食3時間コース)、飲食店含めコンビニやスーパー、デパートなど、いわゆる「お店」のカテゴリに入るところに行くなんてもってのほか。
1人で家の外を散歩することも全くできなくなりました。

ものすごく楽しみにしていたコナンの映画も公開してすぐは当たり前に行けず、公開終了間際に発作を抑えながら彼氏くんにも付き合ってもらい何とか見れたくらいでした。
美容院に歯医者に病院、生活する上で必要な場所以外にもネイルサロンや行ってみたいカフェ、大好きなカラオケ、美術館に映画館、レジャー施設など、行きたい場所はたくさんありました。
でもその全て「私には行けない場所」となり、楽しかった場所全てが消えてしまいました。


そんなこともあり、初めての発作の時に比べて気分の落ち込みはかなり酷かったと思います。
3年かけて積み上げてきたものが一気にマイナスにまで下がってしまったような感覚。

え?もしかして、また1から?
次は何年かかるの?
私が「普通」になれる日はもう来ないんだ。
また頑張ったってどうせ報われない。
やりたかったこと
行きたかった場所
食べたかったもの
会いたかった人
全部我慢してきたのに。
SNSで楽しそうにしている友達を見てとても苦しく悔しかった思いも、いつか必ず元に戻ると信じてきたから乗り越えられたのに。

今までだって毎日が全部楽しかったわけじゃない。
学校は嫌いだったし勉強も運動もできなくて、周りの人よりも少ししんどい思いをして生きてきたことだってあったけど、でも…
人生って残酷だなーと毎日毎日思って生きていました。

何も頑張る気になれず、何もしたくなくて、どうやって死んだら楽なんだろうとばかり考える日々。
そんな時にも発作が起こったり予期不安に苛まれたり。
生きていくのが本当に苦しかったです。
生きている感覚も気持ち悪くて。
息の仕方、歩き方も何だかよく分からなくなりました。
家族の心配も、周りからの期待も、全部がしんどかったです。

今までも落ち込んだことはあったけれど、こんなにもしんどい落ち込み方をしたのは初めてで、とにかく病院に行きたかったです。
メンタルクリニックでも精神科でも心療内科でも、何でもよかった。
このままでは本当に死んでしまうと怖かったからです。

初めの発作の時に出してもらっていた頓服ももう3年経っていて飲めなかったし、薬を出してもらう以外にうつ病かどうかも診断して欲しかったのです。
気分の落ち込みが病気のせいなのかどうかを知りたくて。
でも初めに行ったところはあまり話を聞いてもらえないかもと行く気になれず、近場で行けるところを片っ端から電話し、直接行って頼んだりもしました。

家族も彼氏くんも付き合ってくれて、色々連れていってくれましたが、なんと全敗。
どこも新規の予約枠は埋まっていて、取れても3ヶ月後など…

今しんどいのに。
今助けて欲しいのに。
今死にそうなのに。

断られた病院から泣きながら帰ることも何度もありました。

でも、実は昔うつ病の友達の医療機関を探すのを手伝っていたときも同じような経験をしたことがあり、想像はついていました。
あーやっぱりこうなるんだ…とますます生きる気力が失われると同時に、こんなに病院を必要とする人が多いんだから、私なんかが予約枠を埋めるよりもっと必要な人がいるんじゃないか、私なんかが時間をとってもらっても良いのかとまで思い始めていました。

そうして病院を探す中、毎週決まった曜日の決まった時間にだけ電話で1カ月分の初診受付をしている病院を見つけました。
何週連続で電話をかけたのか覚えていないのですが、とにかく最後の砦のように電話をかけまくり繋がらず、繋がった頃には予約枠は終了。というパターンで数週間が過ぎた頃、奇跡的に電話が通じ、初診の診察を受けてもらうことが叶ったのです。

先生は新しい先生で、話も前よりずっと丁寧に聞いてくれました。
おすすめの本なども教えてくれて、頓服用のお薬も出してくれました。(今回は毎日飲む用のお薬は、私が吐き気がするのが怖いという理由でお断りしました。)

気分の落ち込みに関しては、パニック障害の症状以外にうつ病っぽいということを話すと、最初からうつ病とは言えない、診断するならまずは適応障害になりますねと言われました。

それから数週間は毎週予約をして通っていて(初診以外は予約を取りやすい)、良くも悪くもあまり変わらずでしたが、先生はどちらかというと好きだったのでしばらく通う…はずでした。

予約をしていた日の朝、前日に夜更かししたわけでもないのにどうしても起きられず、予約をすっぽかしてしまいました。
そのあと謝罪の電話をしてもう一度予約を取ろうとも思いましたが、申し訳なさと罪悪感、そして自分の情けなさに落ち込んでしまい、まあ毎週出してもらうお薬もお金も無いし、カウンセリングでもないから診察時間もそんなに長くはないしな…と、そのままになってしまいました。

そして気分の落ち込みはその後もあまり良くならずに過ごしていましたが、ここで事件が起きます。

祖父が亡くなったと連絡がありました。

コロナで3年間会えていなかった祖父。
2019年の夏に、来年も絶対来るね!と約束したきり会うことが叶いませんでした。
亡くなる数日前から少し体調が悪いとだけ聞いていましたが、まさかそのまま亡くなるなんて、家族の誰も予想していませんでした。
あまりに突然のことで受け入れられず、心の中が真っ暗で何も考えられなくなったことを今も時々思い出します。
何を見ても、何をしていても祖父の顔が浮かび、信じられず。

お葬式に行くと痩せ細ったおじいさんが棺の中に寝ていました。
これ本当に祖父なの?と疑い、本当は私のおじいちゃんはまだどこかで生きてるんじゃ…とも思いましたが、そんなわけもなく。

お通夜のときには少し発作は起きてしまったものの、うつ病っぽかった気分の落ち込みやしんどさは消えていました。

祖父の件があってしばらく、しんどいことは全部祖父への悲しみと寂しさに変わり、泣くことは多かったけれど、他の余計なことは考えなくなっていたためか普通の生活は取り戻しつつありました。

そんな中、彼氏くんからプロポーズを受け、家を出ることが決まりました。

パニック障害になる前に付き合い始め、パニック障害と診断された時も、私のストレスが溢れて八つ当たりしまくっていた時も、私の不自由な生活のせいで迷惑をかけていた時も、どんな時も彼なりの優しさで支え 見守り、隣にいてくれた彼氏くん。

まだまだ日々の生活はしんどいけれど、この人がこんな私でも必要としてくれるならもう少し生きてみようと思い、プロポーズを受けました。

そして私は短大に入る前にアルバイトで通っていた放課後等児童デイサービスにお願いし、またパートタイムシフトから働かせてもらえることになりました。
体調を整え、今年の夏頃からを予定しています。

この放課後デイサービスの先生方とは自分の支援の方法も合っているのが分かっていたので安心して頼むことができ、休職していた施設には辞める挨拶とお礼をしに行きました。
(休職していた施設は、自分の波長とは少し合わなかったけれど、多くのことを学ばせてもらったし、優しい先生方ばかりで本当にお世話になったと感謝しています。)

そして2024年3月、プロポーズ後から彼氏くんが私の両親に挨拶に来たりするたび緊張していた私、またやってしまいました。

また久しぶりの発作で去年と同じような状況になってしまいました。
何とか引っ越しは終えましたが、ご飯が食べられず1カ月で5キロ?6キロ?落ちてしまいました。
過去1番太っていた時期は2023年1月。
その時から計算するともう約10キロマイナス!
ひ〜!

私は吐くことが本当に怖くて(嘔吐恐怖症)、少しでも胃にものが入ると、吐いてしまうのではと怖くなり食べられません。
ただ、今までに一度も嘔吐恐怖症やパニック発作、予期不安などが原因で吐いたことはありません。
それなのにダメなんです。

体力も落ちてしまい水分もなかなか取れずにいたので心配した家族に連れられ、点滴を受けに行ったりと苦しい1カ月でした。

先週くらいからようやく食べる量も少しだけ増えてきてひと安心です。
また波は来ると思いますが。。

今回も食事のときには渡辺直美さんとぺえさんにお世話になっています。(あさぎーにょちゃん、ひなたさん、ひよゴンも食事の時に見るのがだいすき☺︎)
最近では寝るときにまで渡辺直美さんのYouTube「【生配信】今夜は寝かさないぞSP」や、インスタライブのスムージー作りの録画を流しながら寝たりして、本当にお世話になっています。
もうセリフも全部覚えてしまいました。(笑)

嘔吐恐怖症から検索して出てきた心療内科にも行ってみましたが全く理解してもらえず、ダイエットによる拒食症などの診断をされそうになったり(ダイエットはしていません)、パニック障害であることまで疑われたり私のしんどさにも否定的で悲しい思いをしました。
病院は合わないと辛いだけになってしまいますね。
自分に合った病院選びは本当に大切だと改めて学びました。

上記にも書いた通り、3月の発作からまた食事ができなかったり、それから1人で外に出られなかったりと またできないことの増える日々です。

これからのことを考えて不安になることもしょっちゅう。
でも私はこうやって生きていくしかない、こういうことを繰り返して生きていくしかないのだと思います。




こんな感じで現在に至ります。
まだまだ現在進行形でしんどい状況ではありますが、今年は去年ほどの気分の落ち込みはありません。(日にもよりますが)

また体調に関しては載せることもあるかもしれません。
そのときはどうかあたたかい目で見守っていただければと思います。


さて、1〜3も含めここまでのながーーーーい文章、全て読んでくださった方、またどれかひとつでも読んでくださった方、興味を持って覗いて行ってくださった方、本当におつかれさまでした!& 本当に本当にありがとうございます!!



次回からは、もう本当に自由に書きたいことを書きたいように書いていきます。
文体なんかも、投稿によって変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。

くだらない私の文でも、何か少しでも誰かの生きるヒントになればと、その気持ちはずっと変わりません。

いつかの私のためにも、こうやって自分のことを文に残せたことはとても良かったと思います。
改めましてここまでお読みくださりありがとうございました。


また良ければ覗きに来てください☺︎




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