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高齢の患者さんの心を支える大切さ

先日とあるご高齢の患者さんと介入時の休憩中にお話をしていた時のことを今回は書こうと思います。

これを読むと、技術も知識も大事だけど、セラピストには患者さんの心を支えるコミュニケーションスキルも大事だということが、少しでも伝わると考えています。

10分以内での執筆を目指します。


その患者さんはご高齢ながら、難聴と循環機能以外はものすごくしっかりしていて、傍から見れば「何でもある程度は自分でできる人」という印象をスタッフだけでなく、同じ患者さんでも持つくらいの方。

だけどご本人と話をしていると、
「私は何にもできない」
「迷惑をかけていないか心配になる」
というワードが飛び交うわけです。

何とかしてあげたい。

そう思うのが人情だし、セラピストだったりする。

でも、技術や知識でどうにかなるレベルではない。
例えば痛みが気になって動けないとかであれば、疼痛に対する運動器的なアプローチで対応できるかもしれない。もちろんご高齢である身体に対しては限界があるかもしれませんが。

循環機能はいきなり良くなることはないし、加齢とともに心不全みたいなものはどうコントロールしてもじんわり進んでいく。

ある程度若い方で、心リハプログラムで対応できるような病態の方であればまだ何とかなるかもしれません。

でも、90歳とか、100歳手前とかその年齢になると、心リハの適応も難しくなってくる。

そう。セラピストの持つ技術や知識では、なかなかこういう患者さんは支えきれない。我々から見たら「できる人」なのに、ご本人は自身のことを「何もできない」と言って蔑んでしまっている。

こんな時にセラピストとして、一人の人間としてどうしたらいいのか。
治らない病態だしセラピストとしてはできることはない、と諦めたり、適当に受け答えするのか。

私はそうは思いません。

確かに心不全とか、循環機能の低下しているのをどうにかするというのは難しい。私も心リハを担当していた時期があるので、その難しさはよくわかります。

なら諦めるのか?

「何もできない」
「迷惑かけている」

そう言っている人に対して何もできないのでしょうか?

私は、
「今は身体に不自由あるかもしれないけど、それは今まで頑張ってこられた証拠です」
「皆さんが若い時に頑張ってくださったからこそ、今の日本があるし、今の私たちの暮らしはあると思っています」
「だから、今はできないことがあってもそれは頑張ってきたから。だから今は少しくらい頼っていいし、できることは頑張りましょう」
そう伝えました。

そうしたら患者さんから
「そんな風に言ってくれると嬉しい!」
「そう思ってくれる人が若い人にもいてくれると思うだけでありがたい」
と言ってもらい、笑顔が戻って、張り切って歩行練習の続きができました。

笑顔が戻ろうが戻るまいが、歩行練習の続きは多分やったと思うのです。真面目な方でしたから。

でも、笑顔で練習をして、その後も笑顔で他の患者さんと話をしていたりする方が、歩行練習にも意味があるし、その後の病棟生活のQOLも高いと思いませんか?

「なんだそんなことで」

みたいにネガティブな目でこの文章を読む方もいらっしゃるかもしれない。
それは考え方の違いなので仕方ないかもしれません。

でも、私が患者さんになるとしたら、どうせ同じ○○練習をするなら、しんどい中にも楽しい気持ちを持ちながら、その時間を大事にしようと思えるような介入をしてほしい。

自分がしてもらって嬉しかったり、一般的な話に置き換えたときにおかしくないようなことであれば、患者さんにもうまく合わせて提供したい。

私は日々そう考えながら、知識と技術を駆使しつつ、コミュニケーションにも相当なエネルギーを使って対応しています。

皆さんに何か少しでも伝われば幸いです。
今日も13分掛かってしまった・・・10分は難しいですね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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