「ホッとする」について。
室内に入ることにより、寒さという緊張からの緩和を味わい、眠くなります。どうも、コーシです。
「世界はひとつじゃない。」
星野源さんの「ばらばら」という曲はこの一文から始まる。
この歌詞を聴いた時、心から、ホっ、とした。良い意味で、自分の中で一つの”諦め”が誕生し、解放された感覚を味わった。
ここ2年間くらい星野源のオールナイトニッポンのリスナーで、ラジオを聴いているうちに、いつの間にか星野源の新曲を待ち侘びる1人になった。その中で過去の作品も楽しもう!と聴いてみたこの曲に特別な想いを感じた。
まだ半年くらい前のこと。”分からない”ことに悩んでいた。身の回りで”当たり前として語られていることに共感できないことが多々あった。
もちろん、人それぞれ全員に考え方の違いがあって自分の当たり前は人の当たり前ではない。それは当然の如く、むしろ忘れないように生活していた。だから自分が言ったことが共感されないことは特別なんとも思わなかった。その都度、学んで、うまく向き合っていこうと、自分の一つの性格として落とし込んでいた。
ただ、その逆。複数人が話していることの前提が理解できないこと。これが辛かった。最初は、「人それぞれ考え方は違うよなぁ」程度だったが、「社会や、人間世界に”当たり前”が存在しているかもしれない。そしてそれは多分自分の想像する世界とは全く違う。」と思い始め、ものすごく不安を感じていた。
家族やたまに会える深く親しい人たちと、こぢんまりとした世界での会話は理解できるし、ホッとできるのに、大きめの世界で会話をした途端にこの有様だった。
そんな時にこの歌詞が心に響いた。ホッとした。
私が感じていた不安を言葉にするとそれは「世界が一つかもしれない。」ということだった。もしかしたら星野源さんが込めた思いとは違う解釈かも知れないが、「人の数だけ世界があるんだな。」と思い、ホッとした。
こんな風に、たまにある”ホッ”に助けられている。とある価値観や考え方に刺激を受けて、自分の中で議論をして、想像力を働かせて、今までを顧みて、やっと自分を確立したり、反省したり。その繰り返し。正直、不安がいっぱいだ。
でも生活の中には、これは信じていても良さそうだな、と思わせてくれる瞬間がたまにある。
これは「安心」とはなんとなく違う。もっと思わず涙がこぼれるような、緊張状態が緩和される感じ。
「あなたは独りじゃない。」と言われるのではなく、「独りだって悪いもんじゃない。」と言われている感覚だ。この感覚には、現実的な温もりがある。
「共感」ともどこか違う。というか共感を特別必要としているわけでもない。
共感できなくても、認め合えていることがホッとするのだ。
ある人から見れば、弱いくて情けない思想かも知れないし、パッとしない生活の仕方かも知れない。でももしそんな風にこの私の生き方をネガティブなイメージで捉えられるのならば、もうそう捉えてもらっていて構わない。
別にこれで良い。と私は思っている。
あの心が不安でいっぱいになる過程を歩んでいる時間は、無駄じゃない。むしろ、そこを面倒に思わない自分を大切にしようと思っている。
そしてその中でホッとできる自分を大切にしたい。
映画「怪物」をみている時、妙にホッとする感情があった。ずっと気がかりだったことがほぐれていく感覚。そしてそれが、世に発表されていることに対して、ホッとしていた。
オードリーや星野源のオールナイトニッポンを聴いている時は毎週ホッとする。菅田将暉とcreepy nutsのオールナイトニッポンのもホッとしていた。
あの感覚は言語化しづらい。あの時間に好き勝手話して、音楽をかけて、笑っている人がいることにホッとしているのかな。
僕らは同じ世界に住んでいながら、全くそれぞれの世界を信じて、眺めて生きている瞬間があるのだと思う。
だからいろんな世界を感じながら、自分の世界を楽しみたい。
なんだか納得のいく文章が書けた。ホッとした。
フクダコーシ しそとツナ缶。
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