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主語が「自分」の強さ

最近、主語が「自分」の人は強いと思うのです。

一人称で生きる。
そんなこと当たり前じゃんって思ってる方も多いかもしれません。
自分も昔はそんなこと考えたこともなかったし、自分は自分なんだから当たり前じゃんって思っていました。

けれど考えてみてください。

何か意思決定をするとき。
〇〇があのように言っていたから。〇〇にやれって言われたから。
何か行動を起こさないといけないとき。
やらなきゃいけないから。
何か失敗したとき。
あいつが〇〇したから。勿論自分も悪いけれど、あいつにも責任はある。
苦しい状況に陥ったとき。
あいつの言ったこと聞かなけなければよかった。〇〇のせいだ。
といった具合に実は自分の意思で動けてないことが多いと思いました。

これらを聞いて気づいたのではないでしょうか。
主語を自分として生きることの難しさに。

誰かのせいにすれば、
責任を一人で背負わなくて良いように思えて楽になれます。
勝手に仲間ができたように錯覚します。
後々何かあった際に何かのせいに出来ます。

主語を自分にして動けないときって、自分に自信がなかったり、責任を取りたくなかったり、後ろめたい気持ちがあったり・・・
マイナスの感情が多いのではないかと思いました。

そう、自分の人生を生きてるようで実は生きれてなかった。
当たり前に自分として行動しているようで行動できていなかったんです。

当たり前のように自分で動ける。
このことは、説得力や人間性を始め色々なものに通じていると思っています。
だからこそ主語を「自分」で常に出来ている人間は強い。

そう気づいてからは
自分で意思決定をし、主語を自分で生きようと決意しました。
少し意識してからは自分で考え、自分の意思で動いているので
勿論慣れないことでしんどい面もありますが、
・動く理由がはっきりしている
・辛くなった時に踏ん張りが効きやすい
・周りが見えるようになった
・自分を意識するようになり自己理解が深まった
・責任感を明確に持てるようになった
等プラスのことが増え人生が良い方向に向かっているようないがします。

また、最近Twitterを結構使うようになったのですが、
Twitterで伸びている人も今までサラッと見た主観として
・自分の意見として発信している
・自分の経験や体験を話している
・自分の意志で行動している
等、結局は「自分」で行動している人が伸びているような印象を受けました。


自分の人生、主語を「自分」で生きる。
あたり前のことのようでなかなか出来ないこと。
当たり前のことを当たり前に出来る人間に。
誰のものでもない自分の人生は自分の意思決定のもとで自分の為に生きる。
明日からは主語を「自分」へ。

一緒に自分の人生を生きましょう。

自分の気分の赴くままに旅や、生活について書いています。 発信することが好きなのでこれから頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。 少しでもコメントや反応を示していただけると励みになりますのでお願いします!