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楽を選び続けるとかえってつらくなる。

 人生、楽に生きたいものです。しかし、楽は楽でも、他人の言うことを聞いて生きていく選択や他人の基準で行動する選択という名の楽を取り続けると、かえってつらくなるかもしれません。

 自由に生きるのと、誰かの言うことを聞いて生きるのとではどちらが楽でしょうか。自由に生きる方が楽だというイメージかもしれません。しかし、多くの人が誰かの言うことを聞いて生きているのはなぜでしょうか。その方が楽だからです。考えなくて良いからです。その人のせいにできるからです。自由に生きるとは、自分でやることを考えなくてはいけません。誰かのせいにもできません。

 「共有地の悲劇」という経済学上の言葉があります。例えば、コロナでトイレットペーパーがなくなるという噂があったときに、個人として、合理的な行動をとると、トイレットペーパーを買いに行くということになりますが、みんなが合理的な行動を選ぶことでかえって、トイレットペーパーが全くなくなってしまい、みんなが困ってしまうというような内容のものです。

 それと似てるかはわかりませんが、楽に生きたいという大きな目的があるのに、誰かのせいにする。とか、思考停止で動く。とか、目の前の楽な選択を選び続けることによって、かえって、苦しくなり、楽に生きるという目的から遠ざかってしまうのではないでしょうか。

 逆に言うと、目の前の1つ1つの選択の積み重ねが、自分の将来を大きく変えてくれるという希望にもなります。そのため、目の前の1つ1つの選択を自分は、何のために行っているのか、悪い意味での楽をしようとしていないか、まずは、気づくとかから始めて、徐々にその選択を意識的に変えていき、最後には、無意識的に本当の意味で楽に生きられるように自然と選択できるようになれたらよいものです。もちろん、目の前の楽な選択をしていることに気づいたとしても、その自分を否定する必要はまったくありません。

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