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あと何回、恩返しさせてくれるだろう。


現在、僕が働いている京丹後に地元愛知から母親と祖母が旅行に来ている。

2人ともコロナもあってか数年ぶりの遠出らしく、親とおばあちゃんであるが子どものようなはしゃぎようだ。今までは、どこかに連れていってもらう立ちなだったのが、28歳にもなると流石に立場が逆転するようだ。たくさん撮ってもらっていた写真も、今回は僕が2人の専属カメラマンのような立ち振る舞いでパシャパシャ撮っていく。「綺麗に写るようにしてちょうだい。」なんて祖母の一言に全力で答えようとするくらいには大人になったか。

この数年を振り返ってみても、祖母と母に助けてもらった回数で言えばもう数え切れないし、うつ病のどん底にいたときも、ずっと救いの手を差し伸べてくれたのは2人だった。2人がいてくれたおかげでこうやって愛知を離れて働くチャンスを掴めたし、また生きてみようかなと思わせてくれたのも間違いなく2人の存在のおかげだった。

noteを始めた初期にも書いたけれど、僕の祖母もうつ経験者である。僕が発症した頃にはだいぶ回復していて、経験者としてずっと話を聞いてくれたり、考え方や生き方など随分と多くのことを教えてくれた。母に至っては、そんなうつ状態の祖母を大袈裟に言えば介護してきたので、息子のうつ発症にもどこか慣れている感じがした。思い返すと、3年前はずっと祖母の家に通い詰めてはうつの自分を認める作業をしていた気がする。その度に声をかけてくれる2人がいたから乗り越えられたのだと、生きてるのは2人のおかげと言っても過言ではない。

2年も引きこもっていた20代後半に差し掛かった息子(孫)が、サウナするから京丹後行くわ!なんて言った時も、何のいちゃもんもつけず背中を押してくれた2人のおかげで、今こうして楽しくやれている。
僕はツイていると思う。あまりにもツキすぎている。愛知にいた頃は、2人の存在が普通だと思っていた。けれども、こうして距離が離れて改めて考え直すと、あまりにもスペシャルな2人だ。この2人が身内にいるなんて、僕からしたらどんな宝くじに当たるよりも最高なことであり、生まれた瞬間から大当たりだったなんて言っちゃっていいくらいだ。


助けてもらった分、恩返ししたい。お互い年齢をとって、考えたくないけれど、いつどこで何が起こったって不思議じゃない。それなら、なるべく顔を見る回数を増やして、大好きなパンを買って帰るくらいの小さな恩返しもコツコツやっていく。2人にあとどれくらい楽しんでもらえるかが僕の人生のサブテーマにもなっている気がするから。しつこいくらい会いに行こう。

いつもありがとう。

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