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自分の思う正解は、誰かの不正解なんだよ。


生きていると、超絶に我が強い人に出会うことがある。我が無い人、なんてのはいないのかもしれないが、こちら側が圧倒されてしまうような"自分の正解の押し付け"をしてくる人がいる。

別に、他者の生き方なんてどうでも良いはず。それでも、今までの自分の生き方がまるで正解だ!と言わんばかりに、文句をつける人がいる。

そこまでの我を押し通せるの、すげえなあ。と思いながら、同時に可哀想だなあ。と思う。いや、その人にとってはある意味、幸せなことなんだと思う。今までの人生に自信を持っている現れだと思うし、多少憧れるような一面も昔はあったように思う。

ただ、歳を重ねるにつれて可哀想に見えてしまうことが多い。なんでだろう?なぜそう思えてしまうのだろうかと自分なりに考えてみた。
結論としては、正解と不正解は紙一重であり、人それぞれであるのにも関わらず、あたかも自分の歩んできた人生がこの世の正解のような振る舞いで、他人の正解を受け入れるのが怖いのかなーって。

何十年も信じてきた自分の中の正解が、崩壊していくのは確かに怖い。その怖さが故に、自分の正解を周りにも押し付けて、あ!やっぱ俺の、私の生き方って間違ってないよね!そうだよね!と納得したいのかな。それはあなたの正解なだけで、僕らの正解はまた違う所にあるのに。

そんな我の強さに、太刀打ちできる正解を持っていないと、あれ、やっぱ自分の生き方って周りと違うし、不正解なのかな。。と思ってしまうことが多いのではないか。他者との比較の弊害。全くそんなことはないし、自分には自分一人だけの正解があっていいはずで、それを周りから決められるのは違うんじゃないの?と。

正解はあっていい。けど、周りは違う。僕の正解は周りの不正解かもしれないし、周りの正解は僕の不正解だ。だから、気にすることはない。軽くあしらって、少しずつ距離を取っていいよ。答え合わせは自分の中で自問自答するだけで良い。人に合わせがちな僕ら日本人が直面しがちな問題に、一石を投じたくなった。

正解は、人の数だけあるんだよ。

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