『イシャータの受難』(全41話)第1話 『シャム猫のイシャータは捨てられて“飼い猫”から“野良猫”へ転落します』
人間と同じく猫にも派閥がある。
おっと失礼。わたしの名はペイザンヌ。都内はN区にねぐらを持つ野良猫だ。
わたしたち猫というものはまず単純に大きく二つに分けることができる。それは野良猫と飼い猫だ。
交際範囲をどんなに広く薄くパン生地のように伸ばそうとも、しょせん単体というものはどこかひとつのグループ所属せねば生きづらい。つまりは、そういうことなのだろうか。
まあ、もっと細かく言うのであれば、その野良猫の中でも一派を組む連中がいたりするわけだがとどのつまりそれはそれ。鳴こうがわめこうが結局はノラはノラ以外の何者にもなれない。
例えばギノスなどがそれにあたる。
ギノスはことあるごとに一匹猫のわたしとぶつかるこの界隈、つまりN区のボス猫だ。
そしてイシャータはメスのシャム猫であり、彼女は“飼い猫”であった。
飼い猫にいたっては、その飼い主が貧しいか裕福かということは関係ない。肝心なのは誰かに飼われているというブランドなのである。
イシャータは今日も上流階級の証である「首輪」をちらつかせながら商店街を闊歩していた。そしてわたしたち野良猫を横目に眺めては憐れみに下げずみ、さらには御丁寧に同情のリボンまで掛けて、話しかけてくるのだ。
「あら、大変ねぇ。今日もそんなとこで残飯あさり?」
そんな嫌味のひとつも慣れてしまえばどこ吹く風、ギノスはただフンと鼻を鳴らしただけだ。だが今日のイシャータはやけにしつこかった。
「あ、なんだったら明日は私んちのゴミ箱をあさる? 今夜は御主人様たちがパーティーするはずだからいつもより上品な食事がとれるかもしれなくってよ」
ギノスもここでキレてはノラのプライドがすたると不敵に笑ってみせた。
「言いたいことはそれだけか? だったらさっさと行ってくれ。せっかくの魚の骨がその臭いシャンプーの匂いでだいなしになっちまう」
一方、余裕綽々のイシャータもそんな挑発には乗ってこない。
「さすがにカルシウムだけは足りてるみたいね。ま、そりゃそっか。骨しか食べてないんだもんね」
イシャータはそう言ってカラカラ笑うとツンと上を向き、つまさきを立てて優雅に歩き去った。そんな一部始終を見ていたわたしにギノスが話しかけてくる。
「おい、ペイ。聞いたか? 人間に飼われるとああまで堕落しちまうもんかね。俺たちの野生はどこにいっちまった? スカしやがって」
いつもは敵対している我らもこの時ばかりはノラという名のもとに仲間に戻る。ああ、これが派閥か。結局『敵』というものは『必要悪』なのかもしれない。
さて、それから数日が過ぎた。
わしゃといえばいつもの日課で「電車」を見ようと駅の改札に向かっていたところだった。電車を見るとなぜかワクワクするのだ。人間たちが毎朝毎朝あんなに並んでまで乗りたがるくらいだ。さぞかし楽しいものなのだろう。いつかわたしゃも乗ってみたいものだ。
そんな想像を巡らせながら歩いていた時だった。駅近くにある住宅街でイシャータの姿を見かけたのである。
鉢合わせするとまた面倒になること請け合い。なのでわたしはそろりそろりと気づかれないように通り過ぎることにした。
だが、その時──わたしは妙な違和感を覚えて立ち止まった。何かがおかしい。
わたしは知っている。イシャータがいま腰を下ろしてるのは彼女の飼い主の家の前だ。それはいい。自分のうちの前に座っていて何が悪いというのか。だがそれでも──やはり何かががおかしかった。
その時は気付かなかったが、次の日も、また次の日もまるで石像のように同じポーズで座り込んでいる彼女の姿を見てわたしはようやくその疑問の答えを自分なりに見つけた。
ガレージには車もない。新聞も届かない。日に日に荒れ放題になっていく玄関口を見てわたしは理解した。
この家には、もはや人は住んでいないのだ──と。
イシャータは捨てられたのだ。
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第2話『野良猫デビューの日』
第1話『シャム猫のイシャータは捨てられて“飼い猫”から“野良猫”へ転落します』
(本編となります)
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