両手を広げるのは、怖かったし得意ではないんだー私はこんなことにまだ慣れてない
私は参加していないけれど、実は「ジミー」を使ったオンライン対話会はすでに何度も行われている。
FBで呼びかけてイベントとなり、200人近くが参加した。「ジミー」自体に、学校や社会の問題が描かれているため、様々な分野から関心を寄せる人たちが集まり、いろんな角度から読まれている。
NVC(非暴力コミュニケーション)、ティール組織など新しい「働き方」を考えるグループ、カウンセリングなどメンタルヘルス系の関係者、女性経営者のコミュニティー、学校や塾の先生、コーチング、不登校のこどもたちをサポートするグループなど。
回が進むにつれ、「アイデンティティ」「疎外」「多様性」「アンコンシャスバイアス」といったテーマを扱う「テキスト」として使われるようになってきた。
「ジミー」を読むというよりは、それを使って対話を行い気づきを得る会となり、小説の可能性として面白いと私も思っている。
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さて、著者である私自身は、それに参加するのも変なので、ヨガの生徒さんたちと読書会を一度行っただけだった。
だけど、実際の私を知らない人の間で読んでもらうのも経験したいと、noteで読書会をしようと思い至った。
私にとってnoteは、「ことば」で人と繋がることのできた特別な場だ。年齢や性別、仕事や社会的立場と関係なく「ことば」で出会った人たち。
私の記事を読んでスキを押してくれたり「感動しました」と言ってくれる人がいる。だから「ジミー」を読んでほしいなと思った。
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カレンダーを見ながら、日にちと時間を決めた。
noteの記事を書き始めた時、ふと手が止まった。
疑問が湧いたのだ。
「わざわざ参加したい人がいるだろうか?」
いつもスキを押してくれたりコメントをくれる人たちと会ってみようと、私は最初、とても単純に思ったのだ。
だけど、スキのボタンをおすことと会うこと読書会にでるのは全然違う。
本名で申しこみメールのやりとりをし原稿を読み、Zoomとはいえリアルの私と顔を合わせること。
それをする人がどれほどいるだろう?
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私は、頬杖をついた。
noteの向こうにいるのは、私のことを知らない人だ。スキを押すのにだって、実は、そこまで意味がないかもしれない。だいたい、向こうにいるのはどんな人だか私も知らない。
怖い気持ちもある。
「私、小説を書きました。’私が’読書会を主催します。読みたい人とZoomで会いましょう」
そんなこと言う人、そもそも見たことがない。noteでそんな企画をしてる人の記事も見たことがない。
バカみたいに思われるだろうか。笑われるだろうか。
私は、なんだか分からなくなってむやみに立ち上がる。
でも、やらなければいいのだろうか。それは、他人にどう思われるかを気にしてるということではないか。もう私は、そういうことを止めようと思ったのではないか。
時計のカチカチという音が聞こえていた。
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私は、息を吸って坐り直す。
迷った末に「最少施行人数3」として募集することにした。一人か二人の申し込みだったらやらなければいい。3人以上だったら、試行。それ以上考えない。
「募集」なんて強気で書いたけど、本当は、こんな風にも思ったりしてた。
私の入らない対話会は、最初の3回でのべ100人ほどが参加する大規模なものだった。
(原稿を読んで心を打たれた人が、この中からたくさん出て来て「ジミー」の出版を応援したいと言ってくれている。私を知らない人が作品だけで評価してくれるというのは、別な意味で嬉しい)
だけど、私が呼びかけたら、誰もこないかもしれない。
「それでも傷つかないようにしよう」と心に決めて、私は記事を仕上げた。
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書き終え、リターンキーを押した。
時計をみると、12月8日の(マレーシア時間)夜中の0時過ぎ。
締め切りは3日後の11日(土)とした。それまでに3-4人くれば成立。そうでなければやらなければいいのだ。
もう寝ようと、ベッドに潜り込んだ。誰も申し込まなかったら、やらなければいいのだからと、もう一度自分に言い聞かせて目を閉じる。
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次の朝、ベッドから起き上がり、パソコンを開く気がしなくて、紅茶を沸かしてグズグズとしていた。
机に戻りメールを開くと、すでに2通の申し込みが来ていた。驚いた。夜中に記事を読み、すぐさま申し込んだ人だった。
それからも次々とメールがきて、2日後の10日(金)朝には、定員となり締め切った。(メールが届いていなかった人があり、結局は7人)
もう一つ驚いたことは、全ての申し込みに、私の文章に対するコメントや読書会への想いが、とても丁寧に書き込まれていたことだった。
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「エイミーさんの作品を拝読したく、また、エイミーさんご本人とお話がしたく、応募させていただきました。よろしくお願いいたします。」(百海さん)
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「エイミーさんの素直で心に自然と染み入るような文章が本当に素敵で、いつもどこかしんみりとしながら投稿を見させて頂いております。
いつも素敵な投稿をありがとうございます。
私も日記を書いており、自分の弱さや辛さ、苦しさを書くこともありますが、そういうものを書く時、どうしてもネガティブな文章になってしまいます。エイミーさんのように、自分の弱さをありのままに淡々と、それでいてどこか温かみを持たせて書くことは本当に難しいです。
私もエイミーさんのように、自分の心を素直に淡々と、それでいてどこか愛しながら表現出来たらいいなと、常々思っております」(なし子さん)
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「いつも惹き込まれながら拝読しています♬
お目にかかれることを楽しみにしています^_^」(Emaさん)
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「今朝記事を読んで、指が震えてしまいました。
なぜだか、自分のことを読んでいるような気持ちになったのと、エイミーさんと繋がれる機会を心から望んでいたからだと思います。
時間はなんとでも調整して作るので、ぜひ、参加させてください」(りこっとさん)
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「エイミーさんにお会いできることを楽しみにしています♪」(千夏さん)
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「どうしても、記事の中で出てくるジミーという作品が気になって仕方なく、どこで読めるのかな?とずっと思っていました。このような機会をいただき、本当にありがとうございます☺️
エイミーさんの飾らない丸裸な文章が好きです。とても楽しみにしています!」(Rintsuさん)
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「「ジミー」の出版を心待ちにしていました。本が出るまで待とうと思っていましたが、一日も早く読みたい気持ちが抑えられません。
心から楽しみにしています」(やよいさん)
(全て掲載許可済み)
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そんなコメントを読みながら、私は、なんだか分からないような気がしていた。
匿名の、顔の見えない相手のはずだった。だけど、一人一人が、私に向かって心を開いてくれていた。
「エイミーさんに会いたい」って。
私に?
私のこと、まだ知らない人が。
こっちだけが、両手を開いたつもりでいたのに...。
私は、こういうことに慣れてない。
ーー読書会に参加してー
'こんな機会に恵まれて幸せです' (Rintsuさん)
'ジミー'を通して新しい気づきがあった方、自分自身を見つめ返した方、ご自身のお仕事を振り返った方、気持ちが溢れて泣いてしまった方など・・・。
全員が’ジミー’を読んである体験をしているようでした。
それは、’癒し’の体験。(りこっとさん)
それぞれの心の奥の大切なものを吐露し合う場でもありました。お互いの気持ちにリスペクトして、共鳴し合い、あっと言う間の幸せな時間(やよいさん)
いつもありがとうございます。いま、クンダリーニヨガのトライアルを無料でお受けしているのでよかったらご検討ください。