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納得感を作り出すには長い時間がかかるのです。

昨日、「自分の言葉で語る」ことについて書いたが、これは「言うは易し行うは難し」なことでもある。

特に私は、自分の中で納得感が作られているかどうかがすごく気になるタイプの人間なので、自分が取り組んでいること、あるいは今後やることなすことなどについて、必ず何らかの根拠を必要とする。そしてそれが自分自身を説得できるほどの論理が構築できていないと納得できないところがある。

振り返ってみると、今の自分自身が取り組んでいる各種活動について「なぜやっているのか」を説明することには、ものすごく長い時間をかけてきた。

例えば、地元でやっている子育てコミュニティの活動も、そのコミュニティでの活動の社会的意義や自分自身にとっての意義などについて、徹底して考えて説明できるようにしてきた。

別に誰かに対して説明したかったわけではない。誰かに対しての説明はあくまで副次的なもので、本当は自分自身の中から生まれてくる疑問に、なんとか答えるためだ。(疑問というよりは自己否定に近いかもしれない。なぜわざわざそんなことをやっているのか?という、若干ケンカ腰の悪魔が常に脳内にいるのだ。)

自分としてはそれにかなり苦しい思いをした(し、今でも対象が変わって苦しんでいるところもある)。上記のコミュニティ活動も、心の底から納得するまでには5年程度かかった。

だとしたら、今取り組んでいること、あるいはこれから取り組む予定ことも、同じように時間がかかるのではないか?と思えてきた。なかなかしんどい道ではあるが、それが自分自身の持つ性質なのだと思って受け入れるしかない。

しかし、そうやって突き詰めて考えるクセがあるということは、物事をある程度解像度高く把握するためには必要なことなので、この性質がポジティブに働くときも大いにあるのだ。

だから当面は、そうした悪魔を頭の中に飼いつつひとまず取り組む、というスタンスでやっていかないといけないのだと思う。

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