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「学ぶこと」と「探究すること」にはギャップがあるのです。

「何かを学んだり、新しいことを知ることは楽しいことだ」、ということを実感している人は、日本においてどれくらい存在するだろうか。

私は比較的幼いころから、そういう感覚を持って生きてきたところがあるように思う。明確に「学び」とは思っていなかったとしても、身近な疑問の答えのようなものに触れたり、それが不意に解決されたりする瞬間に、ちょっとした快感を得るような実感があった。

特に印象に残っているところで言うと、「蒸発と沸騰の違い」が分かった瞬間などについては以前にも書いたことがある。

このような、自分にとって新しいことを知る、という体験が与えてくれる楽しさや喜びは、確かに存在すると思う。

一方で、その「学び」をさらに推し進めると、何かを探究的に追及することで得られる楽しさや喜びの感覚を得られるときがある。

この、「何か新しいことを知ることで楽しみや喜びを得ること」と、「何かを探究的に追及することで楽しみや喜びを得ること」には、少しだけギャップがあるように感じている。

「何かを知ること」だけに着目すれば、それはまだ受動的な営みの域を出ない。周りから入ってくる情報に対して注意深くいることができれば、「知ること」自体は達成することができる可能性がある。

それに対して、「何かを探究すること」は、大変主体的・能動的な営みである。自分が一体何を探究したいと思っているのか、何を探究すべきなのか、について自らの手で定め、それを実現するための方法、実現できたものが目的に見合ったものであるかを確める検証、などなどを全て自分自身で行わなければならない。

そして、きっとこれから先の世界で大事になりそうなのは、この「探究する」という感覚で物事に対することではないか、と思う。

「学ぶことは楽しい」と思える人間から、「探究することはもっと楽しい」と思える人間へと変わることができたら、もっと深い学びを楽しむことができるだろう。

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