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小川哲『ユートロニカのこちら側』感想 流れに逆らう生き方も結局流れの中にある

内容(「BOOK」データベースより)
アガスティアリゾート―マイン社が運営するサンフランシスコ沖合の特別提携地区。そこでは住民が自らの個人情報―視覚や聴覚、位置情報などのすべて―への無制限アクセスを許可する代わりに、基礎保険によって生活全般が高水準で保証されている。しかし、大多数の個人情報が自発的に共有化された理想の街での幸福な暮らしには、光と影があった。リゾート内で幻覚に悩む若い夫婦、潜在的犯罪性向により強制退去させられる男、都市へのテロルを試みる日本人留学生―SF新世代を担う俊英が、圧倒的リアルさで抉り出した6つの物語。そして高度情報管理社会に現れる“永遠の静寂”とは。第3回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。

小川哲『ユートロニカのこちら側』を読んだ感想です。
以前から読もう読もうと思いつつ積み本にしてしまっていた本なのですが、note企画で早川書房さんから推薦図書として紹介されていたのを見かけ、この機会に読んでみました。

理想的に便利な生活の対価として、住民が差し出した個人情報。最先端都市での生活を満喫する人々で溢れる一方、そんな生活に違和感を抱え周囲の人間とのギャップに苦しみ精神を病んでいく人々もあらわれます。
これは対話が消えゆく静寂な世界〈ユートロニカ〉と、それに虚しく抗うことで〈こちら側〉に置き去りにされていく人々の哀しき6つの物語。

とにかく凄い本でした!もっと早く読んでおくべきだった!


状況によって実質的に強制されている選択肢しか許されない窮屈さ、ラジコン人間とのコミュニケーションの絶望的な断絶、情報等級を意識することで変質する生活習慣、想像力の欠如によって変質そのものを忘却してしまう恐ろしさ、AIによる評価が不能な『シナリオの谷間』に属する人間への差別、命がけで公開したスキャンダルでも揺るがないシステムへの依存と社会の無関心。

日頃自分が漠然と感じている違和感・嫌悪感を言語化してくれているような気がして、何度も唸らされました。本文中、思索的な会話が多く、ちょっとこれは難しいけどどういう意味なんだろう?と考えさせられ、読み返すことも何度もありました。

人々の願望を愚直に叶え社会にフィードバックしていくアガスティアリゾート。このシステムに誰もが依存する共犯関係の中では、安易な二元論での他者へ責任転嫁して嘆くこともできません。その上本作には世界を影から操っていたり陰謀を巡らすような悪の組織や親玉はいません。悪意を持った人間さえほとんど出てきません。

各章で触れられる思索的な問いの数々は現代社会へもそのまま通じるものだと思います。それゆえに本作のアガスティアリゾートを悪=ディストピアだとみなす資格は現代人にはないでしょう。自分たちが現在依存し許容している世界は、過去にディストピアとされた世界をとっくに通り過ぎてしまいました。

「深く考えすぎるな」と想像力を喪失していく大多数の人々を相手に、ただただ絶望的なディスコミュニケーションを繰り返す孤独な人々の静かな叫び。今の時代に読めてよかった一冊でした。

関連:思い出した作品

真っ先に連想したのは『PSYCHO-PASS 』シリーズでした。類似点が多く、シビュラシステムを必要悪として容認して改善していこうとする『PSYCHO-PASS 』と、明確な悪意が不在のまま自動化の流れが加速していく『ユートロニカ』、両作品を見比べてみるのも面白いかもしれません。

あらゆるストレスを外部委託化した結果によって引き起こされる意識消失現象の最終段階【ユートロニカ】は、伊藤計劃『ハーモニー』で御冷ミァハが目論んだ意識の簒奪【ハーモニープログラムの強制発動】とどちらが恐ろしいだろうと考えてしまいました。(この二択を考えることそのものに意味があるのかさえ自分でもよくわからないないのですが)

Netflixのドラマ『ブラック・ミラー』〈シーズン3〉の人気エピソード『ランク社会』も思い出しました。自分が評価される方法に固執することで、徐々に変容してしまう人間性とそれに対して累積していく無自覚なストレス。日々SNSをついつい利用し過ぎてしまう自分も人ごとではないなと自省する気持ちになります。

自由を嬉々として手放していく世間の流れに抗うことそれ自体さえもまた不自由だ、と葛藤する登場人物たち。その姿にロックバンド『THE NEUTRAL』の不朽の名曲『パンとピストル』を思い出しました。
流れに逆らう生き方も結局流れの中にある。




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