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自主学習テーマ:80年代という世代が残した文化とネオリベ主義

『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』宮沢章夫

文化の発展
・表現における不合理さを擁護することで生まれる
→不合理さへの擁護は資本主義社会における一種の愚かな行為
→文化の発展には経済が好況であることが必要?
*どうして最近のテレビ番組は面白くないのか?
笑いを合理的に行おうとするからなのではないか
→ごっつええ感じやとんねるずのコント番組は莫大な資材が必要であった
→視聴率や収入の割に合わない
→だからこそ、笑いの質が高かった?

80年代という時代
①非身体性の時代
70年代から80年代中旬まで 
・身体的な笑い
→叩かれる、転ぶなどの身体の行為に対する笑い
ex:ドリフ
80年代後半くらいから
・非身体性の笑い 
→その状況や物語、場面など身体性を伴わない間接的なものへの笑い
ex:ダウンタウン、とんねるずなどのコント

②ピテカントロプス・エレクトス(以下、ピテカン)
・1982年に原宿に最初に出来たクラブ
・閉鎖的で敷居が高かった
◎どうして敷居が高かったのか?
・かっこいい、かっこ悪いというものさしで様々な文化を差異化していた時代だったから
・ここに来ている人たちはある種、そのほかの文化を見下していたところがある。
→だからこそ、そこに行っている人たちは憧れの的になる

③音楽性の中にある毒
・YMO 細田晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の三人
坂本龍一)ほか二人は音楽の毒の中にどっぷり最初からハマっている。自分はその毒に自らの身を投じてみようと思った。(要約)
◎毒とは何か?
*その音楽やその人にしかない魔力的なもの(それがかっこいいなのか?)
*中毒性を引き起こす原因となり得るもの
・テクノ音楽が流行する
→テクノという考え方の持つ冷たさ、醒めた姿勢が必要であると考えた。
→グループという湿度の高い閉鎖性は時に人を拘束しかねない
→いかに「個」として自立していられるか

④クリエイティブというイデオロギー(社会思想/政治思想)がフリーターを成立させる
・アルバイトという雇用体制が60年代に生まれ、クリエイティブな活動を主に生活のための労働をする人が増えた。
・資本から見ればこのイデオロギーによって生まれたフレキシブル(柔軟な)な労働力は資本編成に利用する以外、考えられなかった。
→欲望(表現したいというクリエイティビティ)をいかに利用して、資本(商品)にするか
→労働力をいかに欲望と絡めるか
⇒おぞましい資本制度

◎このおぞましい資本制度から表現を守るには?
・表現欲を持つ人間を擁護しなければならない
*おぞましい資本制度に完全に侵されないためには、消費されるだけの中身が空っぽな表現(スタイル)ではなく、中身の詰まった表現をする必要がある(その表現は大衆性とはまた異なる気がする)
*チェッカーズはそれまでの自分たちの表現とは異なるアイドルとして商品にされたが、実力や音楽性が長けていたため、その後、消費されるだけの商品ではなく、表現者として成り上がれたのではないか。
・旧来の価値や当たり前の中の二分法から出ていくこと
→新たな価値を規定すること

⑤おたくという存在
・80年代のおたく
=同じ情報を持っているという根拠を持つ人間同士でのみ連帯する存在・現象
・コミケが流行し、おたくがコミケに集まるようになる。
→コミケでは互いに○○さんや○○くんではなく、おたくと呼ぶ。
→コミケには個(という単位)で存在せず、空虚なカラダを有し、共有したものでのみでつながる集団(という単位)で存在している。

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問い:憧れられる集団とそうでない集団の違いは?
一つは個としての集合体か否かという点である。ピテカンは個としての単位が存在した上での集合体であったが、おたくは個という存在がなかった。YMOの話にも出てくるが、湿度の高い閉鎖性内ではいかに個が個として自立していられるのかが重要である。個としての魅力が十分に備わったうえで、その魅力が集合し、集団となった場合に憧憬のまなざしを向けられるのではないかと考察する。
これはまた、アイドルにも言えることなのではないか。80年代は個としてアイドルが自立している場合が多く、そのアイドルたちがA級アイドルとしての地位を確立していった。明菜ちゃんや聖子ちゃん、キョンキョンに見られるように個としての魅力(これはこの著者の言葉を借りるなら毒である。この毒については私もこの著者もなんだかよく分からないので言語化できないのですけれど、私の中では明菜ちゃん(この方の中毒性はもう天下一品だと思っている、私は)、チェッカーズ(特に藤井フミヤさんの毒はもう…ねえ…)、世界の終わりの深瀬君と彩織さん(この方たちはあれかもな、毒というよりもこの後に出てくる私の気づきに最も適する人たちかもな)、あとそうねえ、私の恋愛観を幼少期には歪ませてくれていた中島みゆきさんかしら)がある上で、歌唱力、美貌、その時代に類似しないキャラクター性があり、完璧であったことから偶像に値する地位を保持し続けることが出来た。しかし、おニャン子のようにおたくに近い、個としての自立ではなく、集団としての魅力単位で活動したアイドルは長く続かなかった。(おニャン子が悪かったわけではなく、長くは続かなかったという点でのみ例としてあげさせていただきました。好きだったという方は自信を持って好きだったと言ってください。あ、私、ピテカンの人みたいになっている…ごめんなさいね)その二者の大きな違いこそが個として確立できていたか否かであったと考える。そう考えたら、神セブンと呼ばれたAKB48の初期メンバーはある種、ピテカンに近い集団であったかもしれない。(AKB48自体に詳しくない人間でもあっちゃん、たかみな、ゆうこなどという個の名前は知っている人が多かったように感じる)
もう一つは、内部でのことを外に働きかけるか否かである。ピテカンは閉鎖的かつ敷居が高くはあったが、決して保守的ではなかった。しかし、おたくは閉鎖的かつ内部的陥没を起こしていたため、他者に働きかけをしなかった。内部での状況が不透明であるとどうして人は不信感を抱くのか。一つ考えられることとしては、良くも悪くも様々な想像が可能となり得て、そのどれ一つにも根拠を見出すことが出来ないからだ。きっといい集合体だろう、そう思いたくてもそう思うに相応する根拠が情報一つない事柄からは見いだせない。よって、保守的な人間はその集団から距離を置くようになる。しかし、その一方でおたくに似た集合体でありながら、多くの人間を集めた集団組織がある。その例としてこの著の中に出てくるものがオウム真理教である。私は98年生まれであり、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件をニュースで実際に見たことがあるわけではないため、歴史の中の出来事としての認識しかない。そのため、この宗教団体に対しては悪、人を恐怖に貶めた人たちのようなイメージしかないが、『世代の痛み』(上野千鶴子/雨宮処凛)を読んだ際、この集合がどうして人々の共感を集め、組織として成り立つことが可能だったのか、そのことを考えるに値するヒントを見出すことが出来たように感じる。それこそがこの集団が存在した時代情勢である。オウム真理教が事件を起こしたのは1995年、阪神淡路大震災と同年である。ピテカンやおたくが生まれた80年代でのバブルが崩壊し、経済情勢には暗雲が立ち込める。この時代、就職活動期を迎えた雨宮さんの世代(以下、ネオリベ世代)は氷河の中でさまようことになる。この世代がもっとも欲したもの。それは内定でも、明日生きるためのお金でも、性欲を満たすための対象でもなく、「信じる何か」だったと雨宮さんは述べている。学校教育でこの世代が洗脳されていたこと、それこそがネオリベ主義(新自由主義)、雨宮さんの言葉をお借りするならば「自己責任社会/頑張れば報われる」というものだった。(この学校教育や団塊世代が残したネオリベ世代への傷跡について私はとても興味を持ち、世代の痛みを読んだ考察としても私なりにまとめましたので最後に載せておきます。興味があればご参照くださいませ)☆
ネオリベ世代にとって、オウム真理教を信ずるのに根拠など必要なかった。とにかく、自身を肯定してくれる何かにすがりたかった。それが人によっては学歴だったかもしれないし食わせてくれる男や女の存在だったかもしれない。
(話が少し脱線したので戻します。なんの話だったかというと、そうそう)憧れられる集団とそうでない集団の違い。その問いに私なりの見解を示す前に、もう一つ、この文化論を読んでいたはっと気がついたことがある。それは「人は閉鎖的かつその中でしか通用しない共通言語を有する集団に憧れを持つのではないか」ということである。これを示すのに最もいい例が専門職者間でのコミュニケーションではないかと考える。(「TPはどうたら、WBCはいくつです!」「では、○○と○○準備して!」みたいなもの)ほかにも、バンドメンバー間にしかない仲間を超えた家族のような繋がりなどが私には想起された。
集団として存在した時点で、それ以外という存在が存在することになるため、閉鎖的になることは理である。(でも、そう考えたら単独でいるときも閉鎖的といえば閉鎖的よね、まあ今度、そのへんについては考えます)
以上のことから、その集団が他者から見て憧憬の的となりうるか否かの分岐点は、現段階の私の見解としては「個としてそれぞれが自立した個による集合体であるか否か」「内部的陥没を起こさず、外部への働きかけを行うか否か」である。
ここまで書いて、このまま80年代やアイドル、ネオリベ主義、世代による学校教育の在り方なんかを研究し続けられたらとても幸せなのだけれど、それは間違いなく留年や精神崩壊との引き換えになるので、片手間でたまにこうして読んだ本から学んだことや考えたことを有形に出来たらと考えている。
(あと、ずっと描きたいと考えていることがあって、それへの鋭気、知識やヒントを得ることがこの二日間の引きこもり読書時間で得ることが出来たようなそうでないような)
こうやっていろいろ考えたり、学んだりしていくと、世界が開けていくことへの快楽を味わうと同時に、まだ知らない世界があったことへの無頓着さに対する悔しさに苛まれる。ああーってなる。

そういえば、「当事者意識を持つことは本当に良いことなのか」「恋愛は契約で友情は約束なのではないか」「男女っていう型が存在していることへの懐疑的視点がない男女論は意味があるのか」そんなことをコロナウイルスが広がる前にコメダ珈琲、居酒屋、路上で問うてくれた、そして会うたびに何かを考えるきっかけをくれ、「高校が同質性の高い集団だったことに気が付いていなかったことの怖さってどこで垣間見えて存在するんだろう」このような私の問いに対する自分なりの答えに辿り着くためのヒントや彼女なりの見解を提供してくれ、私の支離滅裂なぼやぼや見解を否定することなく聞いてくれる友人が本当に偶然なのだが、今日、一つ歳をとった。人生二回目のゾロ目歳を迎えた。「誕生日だ、わーい」なんていう歳(別に昔からそういうタイプだったわけでもないけどね、お互いに)ではなくなって、そういえば「私って今、何歳だっけ?ああ、この先輩が確か何歳だからその一つ、二つ下だから…ん?ってことは親が何歳になるのだ?」みたいな状態になりつつあることに何も感じていないのだが、確実に老化は進んでいることがフラペチーノとアイスの消費量低下(低下というかもう食べられへん)、豆腐にかつお節とネギ、じゃこを乗せ、ポン酢で食べたら感動的に美味しいと感じたこと、納豆ご飯とみそ汁の組み合わせを身体が自然と欲するようになったこと、キュンキュンとかトキめきみたいな感情が存在しなくなったこと(これはもう小学校に置いてきた気がする。でも、これってあんまりよくないんだってね、どっかで聞いたような聞かなかったような)気が付いたらああ、お酒が呑みたいと思って、食料品売り場のお酒コーナーの前を経由してしまっていること(これに関してはお金がないので、見るだけで終わります。だって、キャベツと発泡酒がほぼ同じ金額なんだよ!そりゃ、キャベツやろ!と言いつつも、母と妹が以前、アパートに遊びに来た時、食料品をともに買いに行ったのだが、母の持つカートのカゴに素知らぬ顔してハイボールの缶を放り込んだ犯人は私です。ハイボール初めて呑んだのだけど、美味しかったぞ)
その他、もろもろ老化現象を感じる機会は数知れずだが、世間的には女子大生と言われる身分でいさせていただいておりますので、(でも、私は巷で女子大生とか聞いても自分ごとだと感じないのだ。何でやろ?)まあ、物事を分解することはほどほどにして(これが出来たら苦労しないのだけれどね。無意識にしているからとても怖いよ)楽に考えるべきことはえいやーと考えて生きられたらいいいですね。はい。これが今年の目標かもな。分解すべきところは分解して熟考し、感覚で生きる方がいいところは感覚でえいやーと。って、毎年、似たようなことを言っている感も否めないので、多分、永遠のテーマなのでしょうね、私にとっての。まあ、いいや。

結局、何の話だったのか。そう、この文章を書き始めた当初は自分の中だけの論文にしようと思っていたのだよ。それが書いているうちに「あ、これもやん、あ、こんなことも考えられるやん」と調子に乗り始めて、気が付けばこんなことになっていた。というわけで、前半は私の中ではかなりお堅い感じになっておりますが、次第に緩くなっていきますのはそのせいでございまして。ええ、一貫性がないって?そうです、そうです。変化するのが人間ですもの。と、とりあえずの自己肯定絆創膏を貼ったところで終わりにします。かなり時間をかけて表とかも書いて自分の理解を促していたので、我ながらとても良い勉強時間だったなと思う。これがきっと、本物の自主学習ってやつよね。課題なんて自主学習じゃねー!とぼやいて、本当に終わります。


最後に、友人よ、お誕生日おめでとう。私ももう少しでゾロ目になりますので、コロナが落ち着き次第、ゾロ目パーティーでもしましょう。さいころふってゾロ目が出たら、お酒を一本、ご馳走しあうってのはどうだい?プレミアムモルツで良いです?

『世代の痛み』上野千鶴子/雨宮処凛【*:考察】【◎:why】
あくまで私のまとめと考察です。と強調しておいて…

・ネオリベラル主義(新自由主義)
政府による個への介入が最小限になり、自己責任が大きくなったもの
→どうして生まれたのか?
*バブルが崩壊し、経済が不安定になったため。
*団塊世代が頑張れば報われたと勘違いしていたためその洗脳が学校教育において行われたため。

・「怒れ」と言われたところで生まれた時からずっと自己責任と言われてきた
*怒るためにはその事柄に批判的な目を持つ感覚がある必要がある。
→批判しても良いと考えられていること
→自分は当たり前に対して否定的に感じても自身はおかしくないという自身への肯定力の必要性
しかし、学校教育でその自己肯定力を奪われていた。
◎その時の教育とは何だったのか?
頑張れば報われる正義の洗脳
競争社会(けれど、口ではみんな仲良くという矛盾性を孕んでいた)
社会のせいにするなという教え
人に迷惑をかけるな!

80年代という時代
・大量消費が進む(中身のないものは消費される)
・ものではなく、情報が売られた時代
→お皿を売るのではなく、そのお皿が空間の中でどのように存在するのかという情報を売っていた
・欲望を利用した資本制度が存在し始める(クリエイティブというイデオロギーの出現)
→クリエイティブを労働力として商品にしようとしたおぞましい制度が生まれる
・洗練された美というものに対する価値が生まれた⇔70年代は地べたに座っていた
・経済が豊かであったため、文化が発展する

それらを経てバブル崩壊が起きると
・経済が窮屈になり、社会保障が国民に満足に出来なくなる
*それによって、政府が生み出したのがネオリベラル主義的思考だったのでは?
→これによって、国は国民の生活保障や社会保障からの責任を逃れようとした。
・リストラや賃金や安価になり、生活していくことが出来なくなる国民の大量発生
*自分の生命保持が第一優先になり、他者のことを顧みる余裕がなくなった。
*人を蹴り落としてでも自分がより安全な社会的立場に安住しようと必死になる
→競争社会が激化する(学歴主義)

*どうしてそんな教育が行われたのか?歴史的背景は?
バブルの恩恵を受けた団塊世代がバブル崩壊を受けて初めて危機的状況を体験する。それまでの生活水準とは異なる生活を強いられたという現実があった一方で、自分たちの世代は頑張ったからこうして報われていたと思いこみ、その教訓を次世代にも適応できるだろうと勘違いしてしまったから。そして、その世代が教育現場を統括していたため、その考えが正義だと思い、ネオリベ世代に洗脳してしまった。しかし、報われていたのは頑張ったからではなく、たまたま高度経済成長期で日本の景気が良かっただけだったと考えれば、本来、ネオリベ世代に必要だった教育は「人(社会)を上手に頼って生きなさい」「こういうことになったのはあなたたちの責任ではない」「信じられる何かとその根拠の提示」だったのではないだろうか。

◎それらの教育(社会)が残した傷跡は何だったのか
・自殺や自傷、引きこもりやいじめ、精神疾患患者の増加
・競争社会の激化
・非正規労働者の増加
→攻撃性を内側に見つけるアクティング・インが横行した。
どうして矛先が内側に向かったのか?
→自己責任主義を植え付けられていたから
壊れることでしか自分を守れなくなる
壊れなかったら、頑張りが足りない、サボっていると言われる

レポート

*そのネオリベ世代が私たちネオリベジュニア世代(と勝手に私がつけました)に残した(す)ものは何だろうか?
・自身の世代が出来なかったことへの代替的役割
・学歴や資格の有無が豊かに生きていくための唯一の手段であるという偏見的な考え
・合理的か合理的でないか、効率的か否かというスピードや最低限の資源で物事を行うことが良いとする考え
・何者かになることが前提である社会 (大きくなったら何になりたい?という文言に対する私の懐疑的視点から)
・他者を信用することへの躊躇心
・少子化(エリートを勝ち取った世代の人間)
・政治への不信感
・自身の怒りや感情を表現する人間への冷ややかな目線
・自身の感情を表に出さないのが良い(大人である)という価値観

ここまで読んだあなたは強者です…多分…
読んでいただきありがとう。
とても嬉しいです。
いろいろなことが起きて、あぁ、今日もまたかなぁとなる日々が続いているけれど、終わりがないものは未だかつてなかったという歴史を根拠にして、いいことがあるかもしれないとちょっとでも信じられたらいいなと思います。
これを機に、今まであんまりやってこなかったことに挑戦してみるのも良いかもね。私は何したかな…うーん、こうやって文章を真面目に書いた。うん、そんな感じや。あ、あと本を読んで、思考回路をフル回転させた。いい運動だったよ。


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