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ホドホドのホドはホドロフスキーのホド

5月19日に東京流通センターで行われる文学フリマ東京38に「字幕翻訳家ホドホド日記」を出品します。

いつもは映像翻訳者を自称していて、自分で字幕翻訳家って言うのは正直なところ面はゆい。でもときにこういうフックって必要やん? だって注目されて1冊でも多く売りたいんだもん。字幕翻訳家の言葉どおりふだんは家で映画の翻訳をしている。しかしこれは翻訳者ではなく通訳として撮影現場に参加したときの日記である。

“ほどほど”という言葉を辞書で引いてみると「度が過ぎないで、ちょうどよい加減であること。適度。適当」とある。しかしこの日記を読み直すと、ちょうどよい加減からはほど遠い。なぜならこの“ホドホド”はホドロフスキーのホドだからである。

2015年、チリで行われたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エンドレスポエトリー」の撮影に行って、途中でクビになって、その後ちゃっかり旅行して日本に帰ってきたとき、いろんな人から話を聞かせてくれと、飲み会やお話し会に呼ばれた。だが、その時点ではまだ撮影中。その後にポスプロが控えていて公開がずっと先の映画の話なんてできるわけがない、いきおいS氏のやなヤツエピソードを語ることになる。一度など3時間ぶっ通してS氏の悪口でしのいだときもあった。でももう9年も経ったし、公開してもいいかなと思って。

公開当時にみんなで映画を見に行くイベントを立て、その後の飲み会でこの日記の存在が明らかになったとき「出版されたら絶対買う」と言ってた人たち覚えていますか? ついに出すので買ってください。

今回、zineを作るにあたり当時の日記を読み直し、補足情報を加筆しながら、あらためてなんでクビになったんだろうと考えた。わたしに通訳のスキルが足りていなかったのは間違いない。通訳と翻訳の両方をやる人はいるのだけど、同じ外国語を使う仕事でも使う筋肉は違うというのが実感だ。帰国子女のように気がついたらバイリンガルになっていた人はどうだかしらないが、後天的に外国語を学んだ人は外国語を話すときに意識して言葉の出し方を切り替える。

例えばGood morningは“おはよう”であって、誰も“よい朝”だとは考えないように、反射的に出る簡単なやり取りは直接外国語で考えているが、少々込み入った話をするときはやっぱり日本語で考えている。日本語で考えているのだけど、外国語にアウトプットしやすい日本語で考えている。(少なくともわたしは)そこへ日本的な話法、つまり結論を先に言わずに、話がどう転ぶか分からない枝葉の部分から始める話し方(ときに本人すら言いたいことが分かっておらず、言いながら探っていたりする)で来られると、そこからの脳の切り替えが難しくしどろもどろになってしまうのだ。あと、原語と日本語での使われかたや意味が違う外来語(例えばアグレッシブやナイーブは英語ではまったく誉め言葉ではない)を多く使われると、一瞬、その単語を使いそうになるけど「これだとニュアンスが違っちゃう、いかんいかん」と違う単語を探すのにタイムラグができる。

おそらく通訳を生業としている人は、そういう単語の対照表みたいなものが頭の中にあるのだろうし、まさにそれがスキルの一部分だと思うのだけど、それがわたしには圧倒的に足りていなかった。じゃ、しゃーねーな。

さて、表紙は見てのとおり三五館シンシャリスペクトです。本家の表紙イラストを描いてらっしゃる伊波さんにお願いしたら快諾していただけたのですが、その時点でもう優勝確実じゃないですか? さらに出来上がったイラストを見てびっくり。ラフではわたしが着ているシャツがパープル1色だったのにボーダーに変わってる! 今でこそ数は減ったけど、かつては持っている服の7割ぐらいがボーダーだったときもある。もちろん赤白ボーダーも持ってた。なぜバレたんだ?(あとで聞いたら、偶然だったそうです)

わたしが参加するブースは:う-57〜58 (第二展示場 Eホール)「ゆる結社うっかり」です。
ゆる結社というだけあって、ゆる~く結びついた多様なメンバーでやっているので、一見するとどういう団体?って感じだけど、みんながみんな自分の好き勝手にやってます。よしなに。

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