見出し画像

震災をきっかけに障害者雇用の道へ。「はたらく意思や目的のある障害者の社会的自立を支援する」ことが永遠のテーマ【わたしのキャリアストーリー#07】

パーソルダイバースでは、「障害者雇用を成功させる。そして、その先へ。」をミッションに掲げ、多様な社員がはたらいています。

”わたしのキャリアストーリー”では、多様性を尊重する組織で異なるバックグラウンドや経験を持つ社員が、どのように活躍し自己成長を遂げているのか、社員のインタビューを通して紹介します。

7回目は、パーソルダイバース 雇用開発本部 雇用開発グループに所属する洪信男。

彼は、自社で多様な障害者雇用の実践や、そのノウハウを人材紹介やコンサルティングに活かし、多くの貢献を重ねてきた社員のひとり。これまでの経験を振り返り、現在の仕事と将来について、インタビューしました。

※2023年11月取材当時の内容です。

【プロフィール】洪 信男
大学卒業後、国内・海外で人事業務に関わる。その後、フリーランスで人事コンサルタントして活躍。あるきっかけにより障害者雇用推進コンサルタントに転身。2011年にパーソルダイバースに入社。障害者雇用シニアコンサルタントとして、人材の発掘と雇用開発を担い、多数の自治体と協業活動を実施している。


新卒で入社した会社で知った多様性:私の人生に刻んだ影響


―今まで、どんな仕事をご経験されたのですか?

新卒で就職したのは、多角化経営をしている会社です。7年ほど勤務しました。最初の3年間は中国に赴任し、婦人服や紳士服の生産に携わり、工場の労務管理や採用などの人事業務を担当していました。

言葉や文化の違いから困ったことはありませんでしたが、初めて「多様性」を受け入れるためには、どのようなアプローチが必要かを経験しました。

当時、私たちは日本の文化に則した工場を設立したため、入口に「引き戸」のドアを設置しました。しかしこのスタイルは、当時、中国では一般的ではなかったので、まずドアの開け方から教える必要がありました。

口で説明するだけでは、十分な理解が得られなかったため、絵を描いたり、写真を撮影して視覚的に確認できるマニュアルを作成しました。こうすることで、自分で確認することや他の従業員に教えることができ、結果として、従業員全体で理解が深まりました。

この経験が、後に私のキャリアで障害者雇用を推進する上で、非常に重要な気づきを与えてくれました。

そして、韓国に3年間赴任。日本に帰国後は経営企画の部署に配属され、管理会計業務全般を担当しました。その後、営業企画や管理本部のポジションにも携わりました。
最終的には人事部門の部長として、人事制度の大幅な改革や独自の制度を導入しました。

―導入した独自の制度とは、どのような制度でしょうか?

企業内大学制度を導入した経験があります。

この制度では、管理職以上の優秀な社員が講師となり、従業員に実践的な知識とノウハウを共有することで、社員一人ひとりのキャリアアップを支援し、社内で優れた人材を発掘するための施策として、非常に成功したと考えています。

その理由は、講師として活動する社員は、業務を通して得た知識や技術を共有でき、そのプロセスで自身のスキルも向上させる機会があること、また受講した社員は講師の部署に異動願を提出する機会があるためです。

その後、これまでの経験を活かして、人事コンサルティング会社を立ち上げました。
依頼企業に合った、人事戦略の策定、人材育成カリキュラムの構築、人事制度の刷新に取り組み、独自のアプローチを用いて、様々な企業のコンサルティングを行いました。
これらの成果と経験は、今でも私にとって非常に貴重な財産です。

震災をきっかけに障害者雇用に専念:ビジネスの可能性を追求


ー人事コンサルティング会社では、専門的に障害者雇用に取り組まれていたのですか。


企業から障害者雇用のコンサルティングの依頼がありましたが、本格的にこの分野に取り組む契機となったのは、2011年3月に東日本大震災です。

高校時代を宮城県仙台市で過ごし、縁のある地域で、友人たちも震災の被害を受けました。当時の仲間と協力して、家の準備など、被災した友人のサポートを行っていました。

そうした活動の中で、友人から、「石巻にある、障害者支援施設を見に来て欲しい」と依頼があり、そこで働く職員の方に「障害者が自立できる方法を、考えていただけないか」と相談を受けたのです。

この依頼が、私の視点を障害者支援に向けた新たな方向へ導くきっかけとなりました。

金銭的な援助ではなく、彼らに仕事の機会を提供し、社会的な自立を支援することが、ビジネスとしても成り立つ可能性を示唆されました。
その結果、私は障害者雇用専門のコンサルティングに取り組むことを決意しました。

―障害者雇用専門のコンサルティング、どのようなことからまず取り組んだのでしょうか?


障害者雇用に関する多くの書籍を読み、専門家からアドバイスを受けるなど、初めてこの分野について学び始めました。企業に対しても、積極的に営業活動を行いましたが、会社側はこの提案にあまり関心を示そうとしませんでした。

最後の希望を胸に、営業に出向いたのが、当時インテリジェンスの子会社で特例子会社であったインテリジェンス・ベネフィクス(旧パーソルチャレンジ、パーソルダイバースの前身となる会社)でした。
私の考えに共感していただき、それなら一緒に…と8月に入社し、本格的に取り組むことになりました。

54歳で障害者の就労支援の道へ:はたらく意思や目的のある障害者の職域や雇用の拡大に奔走


―今では、2500名以上の社員数となる特例子会社になりましたが、2011年の入社当時の状況を教えてください。

私が入社した2010年当時、社員数は約80名で、自社で障害者を雇用する取り組みにおいては、多くの試行錯誤があり課題は山積み。

まず最初に取り組んだのは、仕事を可視化し、細分化して、一つの業務を単純化することで、難易度の高い業務も標準化でき、個人の力に依存せず、チームとして完結される仕事に改編しました。

その中で思い出したのが、新卒で入社した会社で経験した「多様性」を受け入れるためのアプローチです。

この方法により、一人ひとりの能力にあわせた業務配分が可能になり、難易度の高い業務も受注することができるようになりました。結果的に、業務量が増え社員数も増加。パーソルグループの障害者雇用を担う会社として、成長していきました。
さらに、今までの経験を活かして、人事制度の改正やマネジメントにも積極的に携わってきました。

―社会でより多くの障害者が活躍できるよう支援するサービス開発を手掛けたのですね。


自社だけではなく、社会で活躍できる人材を支援することは、障害者雇用全体の認知度向上にも寄与すると考え、積極的に取り組んできました。

個人向けの支援サービスとして、2016年には、障害者手帳や診断の有無にかかわらず、大学生向けのコミュニケーション支援プログラム(CSP)を立ち上げました。

その後、2019年には、先端ITやビジネススキルの向上をサポートする就労移行支援事業所「Neuro Dive(ニューロダイブ)」の企画にも参画しました。

現在、全国に5か所の拠点を展開し、これまでに200名以上の方が利用しています。先端IT領域での活躍を目指す人材を70名以上輩出するまでに、大きく成長しました。

―そして入社から12年目の現在は、どのような業務を担当していますか。

現在、雇用開発本部の雇用開発部に所属し、新たな障害者雇用の領域や業務の発展に取り組んでいます。特に、就労が難しい地方などで雇用モデルを構築することに焦点を当てています。

私が特に力を注いでいるのが、障害者の就労支援者に携わる支援人材への学習機会の提供です。

多くの企業でデジタル化が進み、障害者が従事する職域や業務も変化しています。そのため、現在の労働環境に対応した障害者の就労支援がますます求められています。
昨年、全国の障害者雇用支援事業者の方々と協力し、1年間かけて、障害者が企業での就職を前提とした人材育成に必要な学習内容を研究し、実証実験を行い、カリキュラムを完成させました。

今期からは、このカリキュラムを活用して、就労支援者向けのオンラインセミナーを開催しています。また、自治体が主催するセミナーなどにおいて、私は講師として登壇しています。


―これから挑戦したいことはありますか。

「はたらく意思や目的のある障害者の社会的自立を支援すること」が、震災の出来事をきっかけに選んだ、私にとっての永遠のテーマです。

ビジネス環境は絶えず変化しています。だからこそ、年齢に関係なくトレンドに適応し、柔軟性を保つことが大切です。そのためにも、学び続ける姿勢は持ち続けたいです。

はたらきたい障害者の自立を社会全体で支援ができるように、障害者支援を担う支援機関や地方自治体との連携し、これからも挑戦し続けていきたいと思います。

【お知らせ】
パーソルダイバースの採用サイトはこちら▼

【パーソルダイバースSNS公式アカウント】
採用面接情報や、当社の主な取り組みなど、最新情報を配信中!
それぞれフォローしていただけると、とてもうれしいです。

・note:https://note.com/persol_diverse/
・X(旧Twitter):@persol_pdi
・Instagram:@persol_pdi
・YouTube:@persoldiverse

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

人事の仕事