見出し画像

下水の詩を朗読しながら、アヴェイロのキリスト教信仰と、ファドを探索する公演

こんにちは。
葬儀のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

フラメンコあり、ファドあり、
聖書あり・・

の全てオリジナル曲による
「墓の魚」ユニバース
配信ライブ第二弾
「C・オビホリミスの供養
~ミサ・ステルコラリス~」

が、いよいよ
今年の九月に収録(撮影)開始です。

[下水の詩を朗読しながら、
アヴェイロのキリスト教信仰と、
ファドを探索する旅]

「墓の魚」ユニバースは、
聖書のパロディ、
神学ユーモア、
キリスト魔女の物語を
作曲するオーケストラです。

墓地には黄ばんだ骨が転がり、
神に慰労を求めている。

ああ、誰も訪れぬ惨めな静寂!!

不気味な蜥蜴が這い回り、
シデ虫やエンマ虫達が
文字の無い詩を読む。

おお、臆病者よ。
人の為に整地されていない土壌に
足を踏み入れるのなら、
神の沼地の底を覗く
覚悟をしていくべきだ・・。

それは、
アヴェイロの海洋生物の死骸を集めて
ファドオペラを作る様な
ラテン語、スペイン語、
ポルトガル語文化圏の視点から描く
音楽の世界です。

ゴキブリとハトの
壮大な闘いの物語へようこそ(笑)

「町の歴史を探り、これは誰が建てた?この道は誰が作った?と遡っていけば、全て死者に辿り着くのだから、 それは最早、棺桶でしかないだろう・・
棺桶の中の洞を覗き込む行為だ。 町とはそういうものなのだ」(「墓の魚」の作品より抜粋)

言語学民俗学は、
人間が作り出したものを
大系として記すものであり、
医学生物学は、
人間社会の巣の外の真理を記していくもの・・
と考えられがちですが、
しかし、
医学や生物学で生まれた言葉を
探る行為もまた
言語学であり、
自然に対する人類の葛藤など、
結局は人間社会の産物の範疇なんですよね。

「蔑まれた者達を置いて、天国に行くつもりかい?」(「墓の魚」の作品より抜粋)

さて、芸術とは、

[人間が地上に生まれた痛み]
を別の形に投影するものである

と定義すると、
言語学も生物学も
キリスト教すらも
芸術の範疇であると私は思います。

私は、その洗練された
人類の知性の最先端の領域に巣食う
[冷たい外部性(他者性)]
(人間が作り出した個人の私有物が
崩壊と拡大によって
外部(荒野)の領域に移行していく疎外感)

や、
[希望や繁栄が時間によって
物理的に潰え、
世界の虚しさの姿として残る事(虚栄)]

そして
[聖書の書く調和と善を軸に、
その善を成しえない善人達の矛盾と
それを笑う魔女達の物語]

を「墓の魚」は、作品テーマとしています。

政治がどれだけ哀しみの死骸を作ろうと、
歴史がどれだけ亡命の烙印を押そうと、
悍ましい疫病の土壌の上に街が建とうと、
音楽は、神の静けさを
フォーブルドンや持続音により語り続ける。

我々は、海辺に落ちている片翼の
悲しい二枚貝の殻に過ぎない。
この世は虚しい葬儀であり、
無機は永遠の豊穣である・・

「それが幸福がどうかは私が決める事でありたいね。 腐敗したネズミは、腐敗してるかもしれないが、 それが美味いかどうかは私の舌が決める事だ」(「墓の魚」の作品より抜粋)

キリスト教をテーマに
人間社会の矛盾を突く無数の魔女達と、
善という力で
世界を制圧しようとする教会との対立・・

(「墓の魚」の作品より抜粋)

それらを超越したキリストの存在と、
無数の世界の調和を称える
蠕虫細菌達(つまり天使達)・・
が物語や詩として描かれ、
無数の作品が神話として
大系を成すのが「墓の魚」の作品です。

「そもそも、この世なんて生まれた事を苦しみ、日の光を嫌悪し、色白を他人に強要する悲しい死者達が闊歩する祭りだろ?
自分だけは[穢れなき生者]だって思っているのか?」(作曲家の言葉より抜粋)

ルネサンス音楽の中にある
気高さ、荘厳さは、
ポルトガル音楽のファドの中に今も息づいている・・

他の多くの音楽の中から
それらは無くなってしまったが、
ファドの中にだけは今も息づいている・・

「服に勲章がついてようと、糞がついてようと、 やる事は同じなんですよ。 どうせ、笑ったり、泣いたり、わめいたり、 人を尊敬したり、軽蔑したり・・
その程度の事しかできないのです」(「墓の魚」の作品より抜粋)

本当の音楽とは、
あるいは芸術とは、
病床ですら誰もが歌えるものであると思う。

それは思考であり、想いなので、
技術も必要なく、
楽器も、拍手も、舞台も必要ない。

なぜなら楽器も舞台も、
物理的な社会のしがらみであり、
(経済格差と見栄のある)俗的なものであり、
[俗を楽しむ余興]に過ぎないからだ。

本当の芸術とは、精神と世界の対話故に、
観客数や承認欲求などという
驕りや見栄もそこには無い。

厳粛なものは、
そして魂の自由は、
誰にも知られずに
個人の寝室で密かに奏されるのだ・・・

「この世界の真実を見つめ生きる者のみが、孤独な病床でこの[本物のファド]を奏でられるのだ・・」

ちなみに、
この「墓の魚」の新作
年内9月に収録、撮影が開始され、
そこから様々な編集を経て、
2026年頃に公開される予定です。

「何しろ我々の人生を締めくくる、 壮大な幕引きである葬儀は、 最低45ペセタあればできるのだ。 たった45ペセタだ!! それを喜劇と言うか、悲劇と言うか、 それは、各々が決めるがいい」(「墓の魚」の作品より抜粋)

オーケストラ
「墓の魚ユニバース」

これからも
よろしくお願いいたします~。




【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
配信動画
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
こちらで公開中です↓↓↓

◇◇◇楽団公式サイト◇◇◇

◇◇◇「墓の魚」の音楽動画(ちゃんねる登録してね)◇◇

◇◇◇Twitter◇◇◇


この記事が参加している募集

自己紹介

仕事について話そう

自作の詩による詩集「沼地の聖書」(ハードカバーによる分厚い豪華本を予定)を出版する為のサポートを募集しております。ぜひ、よろしくお願いします!!いただいたサポートは詩集の費用にさせていただきます。