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現実世界とジョークと。

先日の続きを書きます。

アンディが伝えたかったことというよりも、彼がどの立ち位置にいたのかが興味深いと書いた。

何故なら、彼にとってリアリティー:現実とは最高のジョークであったからに尽きる。

相手の気持ちを考えることから意図するコミュニケーションとはまたことなるアプローチに潜んでいる、どこにも寄り添えなかった人間がたどり着いた彼方。

彼は全てを手に入れた、とジムキャリーを通して語った。

 痛みを解っているはずの、ナイーブな彼が現実世界で追い迫る不条理な現実に、そこから抜け出したい人々に向かって笑いを誘った。

エンタメというフェイクに対する彼の姿勢は、1人の人間としてあの時代を生きる人々にとっての道標を作っていのかもしれないが、それはいつの時代でも変わらぬ演者としての姿勢な訳で普遍的な捉え方になってしまう。むしろ趣き。彼の趣だ。空転している様なジョークなのか本気なのかわからないほど回転し続けた彼が世の中に漂っている霧を裂き続けられたのは、彼のルーツから抜きん出た「愛情への葛藤」なのかそれとも「自己存在感を矛にした自動化された社会への脱出口」だったのか。

前者に関していうなら、前者で言うなれば環境形成において生成された無意識のうちに潜んでいる愛情の欠如。劣等感と空虚感の中でのコンプレックスの反動と読み解くのが王道であろう。よくある話だ。

。。。

ちょっとこの話はまだまだ続きそうです。

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