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今日は「何もしない」をしよう

今日は「何もしない」をしよう。

朝起きてしゃこしゃこ歯を磨きながら、そんなことを考える。
温かい紅茶でも飲むのもいいし、ちょっとうたた寝するのもいい。
今日は雨だというから、雨の音に耳を傾けてぼーっとするのもいいかもしれない。


こんな考え方が出来るようになったのは、つい最近のこと。

以前の自分なら、1日に何か達成感がないと焦燥感にかられていたし、
なんだか無駄に過ごしてしまったような気がするから、何かにつけて目的を設定し
「今日はこれをやったんだ」と思えるように生活していた。


でもこの1年間で大きく考え方が変わった。
きっかけは去年。

去年、漸く自分がやりたかった仕事に少しだけ近づくことが出来た。
とても喜ばしいことだったけれど、その仕事はこれまで自分がやってきたこととはかけ離れた世界だったから、基本的なことから自分で学ぶ必要があった。

一人前になるために、もっと高みを目指すために毎日休日も関係なく勉強した。
時間が惜しかったから、自分の趣味の「絵を描くこと」や「個展に行くこと」も
辞めたし、友達にも会わなくなった。毎日毎日…死にものぐるいで努力をした。


その結果、ある程度までは仕事で成果を出すことは出来た。
会社に答えられる程の売り上げも上げることが出来たし、昇給もした。
けれど、あれだけ毎日達成感にこだわって生きてきたのに、成果もあげたのに
全然達成感が自分の中で巻き起こらなかった。


ご飯を食べているだけなのになんだか涙が溢れてきたし、
夜は全然眠れなくなったし、楽しいと思える瞬間が少なくなってしまった。
心が、身体が悲鳴をあげていた。


このままじゃ、壊れてしまうかもしれない。
正月休みに仕事と少し離れた時に、ふとそう感じた。
目的を持つことは大切だ。そのために努力し続けることも大切だ。けれど。
自分のペースを崩してまで思いつめて必死にやることは、少し違うんじゃないか。



朝起きてから夜ベッドに入るまで、のんびりと過ごす。
その時その瞬間に自分が思ったまま行動する。
趣味に費やすもよし、うたた寝するのもよし、読書するのもよし。
そんな日があってもいいじゃないか。
毎日せかせかして生きていても、心身が悲鳴をあげて、しわ寄せがやってくる。
心にゆとりをもって、毎日を穏やかに過ごしたい、と今は思っている。


いつもたくさんありがとうございますっ!