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エッセイ | 「これでいいのだ」の哲学的一考察

 これでいいのだ。

 言うまでもなく、赤塚不二夫先生の名言である。タモリさんの弔辞にも「これでいいのだ」について言及したくだりがある。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係から絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 これ以上に簡潔かつ正確に「これでいいのだ」の哲学を凝縮した言葉を私は知らない。だから、これから私が言うことはすべて蛇足に過ぎない。ただ、思うところを少し書いてみたい。

 「これでいいのだ」

 噛みしめる度に、深みを感じる言葉だ。「これ『が』いいのだ」ではなく、「これ『で』いいのだ」。
 たった一文字の違いが大きな差異をうむ。
 「これ『が』いいのだ」というと、事前に思い描いていた理想のようなものがあって、それに合致してよかった、のようなニュアンスになる。
 「これ『で』いいのだ」というと、思い描いていたものとは違うけれども、「これはこれでいい」という感じになる。予定調和ではないが、もうすでに起こってしまったのだから「認めざるを得ない」。しかし、「これじゃなかった」というのではなく、「これでいい」と言ってみる。多少の諦念がまじりつつも、前向きに肯定しているように響く。

「失恋しました」
「これでいいのだ」

「倒産しました」
「これでいいのだ」

「試験に落ちました」
「これでいいのだ」

「男の子がよかったのに、女の子が生まれました」
「これでいいのだ」

「まだ、7月なのにこんなに暑い」
「これでいいのだ」

「わたし、不細工なんです」
「これでいいのだ」

「おじいちゃんが100歳という若さで死んでしまいました」
「これでいいのだ」……

これでいいはずはないのだが、「こんなはずじゃなかったのにね」「もう少し、こうしておけばよかったのにね」というより、運命を潔く受け入れ、前向きな気持ちになるようだ。

 もちろん、悲しいときもある。
 打ちひしがれて前向きな気持ちになれないとき、泣き続けるときも
「これでいいのだ」と言ってみる。これもまた、前向きに感じられる。

「落ち込んでいるんです」
「これでいいのだ」

「涙が止まらないんです」
「これでいいのだ」… …


「これでいいのだ」の代わりに
「それは困りましたね」
「お気の毒です」と言うと、ちょっと「上から目線」に響く感じがする。


「これでいいのだ」は思っている以上に人を前向きにさせ、物事を肯定的に捉えさせる力のある魔法の言葉だ。
「これでいいのだ」を発案した赤塚不二夫先生、そしてその本質を的確に捉えたタモリさん。どちらも偉人だ。

 20世紀最大の哲学者と言われるハイデガーは「死への存在」ということを言った。死を意識することで、現在の生き方を見つめ直し、本来の自分を取り戻す。

 天才バカボンの登場人物は、まるで一秒後の世界さえ考えていないかのようだ。しかし、永遠に2度とやって来ることのない「今」という「一瞬、一瞬」を完全燃焼しているように見える。「天才バカボン」はハイデガーを超越しているように私には思える。

 今日は金曜日。

「タモリ倶楽部には、過去も未来もありません」
「これでいいのだ❗」



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