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パーソナル・スペース | 近すぎる距離感は嫌悪感を生む

 コロナが二類から五類感染症に移行してから再び気になり始めたのが、パーソナル・スペースの問題。

 コロナ禍にあっては、三密回避のために、いわゆるソーシャル・ディスタンスをとるという意識があった。しかし、最近は他人との距離感が再び近くなったように思う。

 自分自身のパーソナル・スペースが平均値と比べ広いのか狭いのかはわからないが、私は他人に近寄られることを嫌う。これは好きな人・嫌いな人に限らずの話である。

 たとえば、共感する人も多いと思うが、ガラガラに空いている駐車場なのに、わざわざ、私の隣に車を止める人は頭がおかしいのではないかと、腹立たしく思う。
 電車でも同じて、他に空いてる席があるのに、隣近所に座ろうとする人は気持ち悪い。満員電車なら、多少パーソナルスペースは変化するけれども、近すぎるとやはり嫌だ。
 仕方のないことだが、男性の小便器でも同じ。隣に誰か立たれると出るものが出にくい☄️。できるなら、隣に立たないでほしい。

 今書いたことは、物理的な距離感と心理的抵抗感の話だが、純粋に心理的な距離感というのもある。

 たとえば、初対面なのに、家族構成やら学歴やらを尋ねたり、自分語りする人は嫌いだ。話して何の意味があるのかわからない。驚くべきことに、ほとんど初対面なのに、まれに人生相談のような自分語りをする人もいる。

 何年か親交があって、いろいろな個人的なお話もできるようになるのはいい。けれども、互いのことを良く知らないうちから、自分のプライベート過ぎることを語ったり、相手のプライベートを尋ねたりするのはいかがなものかと思う。

 極端な話をすれば、相手のどうでもいいことまでなんでも知ることが密な関係なのだと勘違いしている人がいるように思う。
 その人との親密さにも依るが、必要以上に詳細な情報を探ろうとすることは、相手に嫌悪感しか与えない愚行だ。あなたに干渉しないから、私に干渉しないでくれ、って気持ちになる。
 

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