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ep.7 あの写真の場所を探して | サントリーニ島の冒険

私はきっとひとり頭の中、想像の街をつくりすぎていた。一枚の写真から、この街を歩く空想に浸ってもう何年たっただろう。私がこの旅に出た理由をつくった二人。その一人に出会ったのは、札幌では老舗にあたる文房具店の目の前。自転車をとめ、路上に写真を並べてどうやら売り物にしているらしい彼は、往き交う人の視線を集めていた。興味本位で近づいた私は、彼の写真の世界に飲みこまれ目を見開いた。それは今まで写真集や映像で憧れ続けてきた世界の絶景と、無垢な瞳でレンズを貫く子どもたちの写真だった。決して辿りつくのが容易ではない人里離れた場所や、地の果てようなところばかりで、ここ全てに行ってきたのかと私は尊敬の眼差しで彼を見つめた。

気になる写真を指さすと、それはサハラ砂漠へ行ったときだ、それはニュージーランドのマオリ族の子どもたちだ、と撮った時のちょっとしたエピソードも交えて語ってくれた。視線を移すと青のドームと白い壁が連なる美しい街の写真があった。ギリシャのサントリーニ島である。

「写真の値段は君が決めてくれ」という彼から、二枚か三枚買わせてもらっただろうか。撮影場所を黒のサインペンで書いてくれた、日に焼けた肌をさらす彼の名はマルちゃん。ポルトガル出身の写真家でありバックパッカーだった。私はその時決めた。いつかこの写真の青いドームの場所に行こうと。マルちゃんみたいな逞しいバックパッカーになろうと。

それから時々目を閉じては想像した。人々がひっそりと暮らす迷路のような小路を巡り、白で塗られた狭い両壁をつたって階段をおりたその先に忽然と青いドームが現れる。その脳内映像のままに私はサントリーニに来ていた。最低限の交通機関だけ調べて、ほとんど現地の情報を見ずにここまで来ていた。

だからこそ、目の前に「有名な撮影スポットだ」とニコがいう青いドームの教会があるのに、釈然としなかった。ここなのか?何度も思い描いてきたあの場所とは全然違うように思う。もちろん下調べせずに勝手な想像だけで来てしまったのだから、ギャップを感じるのは仕方ない。でもここではない、そう思った。

そう。青いドームの教会はここサントリーニ島に幾つもあるようなのだ。マルちゃんがカメラにおさめたあの場所は一体どこだったというのか。肝心な写真は実家に置いたままで、実際のところ随分長いこと目にしていなかった。もうどこまで本当かわからない、脳裏に浮かぶ記憶と想像の混ざったあの写真の情景。だけどここではない。それが私の直感だった。

昨日見たホテルやレストランの並ぶキラキラした街も私のイメージしてきたサントリーニとは違った。もちろんまだ滞在二日目で、首都フィラのメインストリートしかほとんど見ていないわけで、今日のドライブで一歩街を出ると、現地の人らしい生活もほんの少し見えたから、まだまだサントリーニの起きた顔くらいしか見ていないのだ。

きっとマルちゃんの写真の場所にも巡り会える。そう頷いてヴァンに戻る。疫病の伝染を防ぐ意味もあったという白く塗られた壁。今はサントリーニを象徴する一つのカラーとなったその白さで太陽の光を照り返す家々を横目に、ヴァンは北西へ進む。

最後の目的地イア(Oia)に着くと、時刻は17時をまわっており、ツアーメンバーはすっかり馴染んでいた。サンセットを見る場所を教えてくれたドライバーのニコは我々と一緒に来ないというので、迷わないよう一同固まって歩き出す。どの集団にも話をちゃんと聞いている人がいるもので、先頭に立ったご夫婦はニコに代わって一同をナビゲートしてくれた。

海が見えてきたところでグループはばらけていき、私はマリアと目を合わせて一緒にサンセットを目指す。時々通路の隙間から奥に、折り重なるイアの街並みが見える。サンセットを迎える前の独特の落ち着きを見せる家々の中では暖かく彩り豊かな夕食の準備が始まるのだろうか。街はこれから徐々に夜へ向かう。美しく、ただ立ち尽くしたい。そんな風景だった。

人混みを縫ってサンセットビューをするイア城に辿りつく。ここはその昔、海賊を見張る場所だったという。マリアの抜群のコミュニケーション能力により、既に座って待っている人たちの間に入らせてもらい腰を下ろす。座ったとたん、隣の女性に話しかけられるが、どうやら中国語だ。中国語は話せないと伝え自己紹介すると、大きな愛らしい目を丸くしてロンドンに住んでるの!と笑顔を見せてくれた彼女は、フランスに住んで20年という。その彼女の隣には、チャーミングなフランス人のパートナーが座っていて、二人は今ボルドーに住んでいるという。英語はあまり話さないという彼女は、フランス語が話せない私のために丁寧に柔らかな声で英語のコミュニケーションをとってくれた。私にはフランス人の彼が惚れ込む理由が少しわかったような気がした。一生懸命で優しく、なんだかとても可愛い人なのだ。

実はフランス語を勉強しています、と伝えると、私のド素人さを知らない彼がComment allez-vous ?とフランス語で話しかけてくれた。思えばフランス語を習い始めてから、リアルな場面で見知らぬ人とフランス語で話すのは初めてで、心は一気にざわつき始めた。先生、この時フランス語でなんて返すんだっけ!と初心者は不気味な笑みを浮かべてごまかす。隣ではマリアが饒舌に冗談を飛ばし、隣に座っていたインディアンカップルを笑いの渦に巻き込み、サンセットのopening act(前座)を務めあげていた。

待つこと1時間。今日は水平線に沿って雲が待機しており、マリアは隠れがちな太陽をいじりはじめた。いよいよ本気のサンセットなのだが、ぷかりと浮かぶ雲に隠れていく太陽を見て、マリアが「This is sunset No.1.」と解説し、その後再び雲の下からオラヨっと出てくる太陽に「This is in case someone missed that.(これはさっきの見逃した人用ね)」と付け足す。マリアのおもしろ実況は声が大きかったので、恐らく周りのみんなに聞こえていたのではないかと思う。

this is sunset no.1

その後は分厚い雲が流れてきて、太陽を覆ってしまう。本当なら海に沈みゆくオレンジを見たかったが、もう諦めようかというところで、三つほど開いた雲の穴を通して太陽の光がちょっと見える。それがどうもハロウィンの目の吊り上がったかぼちゃの顔のように見えて、フランス人の彼がこれまでになく嬉々として、シャッターを切り始める。私もつられてカメラを向け、最終的にはこれはなんの写真だという変なアップ写真ばかりが残ってしまった。

最後に太陽が見せてくれた変顔にみんなで笑い、寒い中1時間待った結果、写真に出てくるようなサンセットではなかったけど、いい人たちと過ごせたから穏やかな解散となる。暗くなり灯りに照らされる道。マリアと二人、ヴァンを目指す。帰りの車の中は、フランス語が話せるカナダ人を隣に、習ったフランス語で数字の1から100まで言ってみるという、なんとも辛抱強いフランス語クラスとなった。湯船の中であれば皆がのぼせてしまう遅さで百が数えられる中、ほとんど何も見えない真っ暗な道を進むヴァンは瞬く間にフィラへと戻った。気づけば私の降車ポイントに来ており、すっかりくつろいでいたヴァンの中、急いで荷物をまとめて降りる。みんなとのバイバイは一瞬だった。

フェリーのキャンセルで、明日からの日程が未定・宿なしの現実に戻った私は、荷物を預かってもらっていたホテルのロビーに立ったままフェリー会社に電話する。どうやら天候の改善は明日も期待できず、フェリーの運行は怪しそうだ。電話を切った背後から、中国語で話しかけられる。振り返ると女の子がこちらを見ている。またまた中国語が話せたらよかったのだけど、できないのよと、本日2回目の説明に、残念そうにする彼女はどうやら私の電話をずっと聞いていたらしい。

フェリーの状況を懸念している人がここにも一人。彼女はミコノス行きのフェリーがキャンセルになり、ドミノ倒し的に次の計画にはねてくるため、どうしても明日中にミコノスに移動したいとのことだった。限られた日数で旅するときは、どこまで不測の事態を見込んで日数に幅を持たせるかの判断が伴うが、彼女も私も割とやりたいように日程を組んだようだ。行き先は違うものの、明日に期待できない現実は同じと見て、フェリーは諦めてフライトを予約した方が良さそうだねとの結論に至る。お互いうまくいくことを願って、私はここから数分先にあるはずの今晩の宿へと移動する。

そんな予感はしていたのだが、安宿だったのでちゃんとしたホテルのレセプションなるものが見当たらない。入り口と思われるドアは閉まっており、電話番号のメモが貼り付けられている。ダイヤルすると女性が出る。これから行きます、と言うので待つこと約15分。強風にブルブル震え始めた私はもう一度電話をポケットから出す。すると赤いジャンパーの女性が「待たせてゴメンネ」と登場。ようやく中に入れるかと思いきや、私の宿はここではないと言う。

言われるがまま彼女にくっついて坂を下る。歩きながらホテルの説明を口にする彼女は、代金は現金で払ってほしいという。その値段は、ウェブサイトで予約した時のものよりわずかに高い気がする。地図に載っていた建物とは違うロケーションに向かっているし、何かとチグハグに聞こえる説明に、暗い坂道をくだればくだる程、不安が募る。暗さは人の想像を膨張するのか、なんだかこのシチュエーションが怪しく思えてきた。カードで支払ったらだめ?と尋ねる私に「うーん、ボスがキャッシュ(現金)でないとダメって言うからなー」とモゴモゴ。この理由も怪しいセリフに聞こえてきた私は「まだ着かないの?」と我慢できず尋ねる。すると彼女が「あれよ」と指をさす先に、なんだかとってもモダンな建物が待っているではないか。

この流れからは想像もしなかった展開に私は口を開ける。最初に訪れた建物よりずっと新しく見える。強風から逃れ、やれやれと中へ入るとまずは肝心の支払い。私はウェブサイトで予約した時の価格を証拠に見せる。「うーん、ボスに怒られるからなー」と、またそれかいなと言う理由に、数ユーロとはいえど予約した時の価格でないと払わないと私も意思を突き通す。結局現金で払うことには妥協したが、チップの入った瓶から価格差分のコインを返してもらい、私たちはニヤリとしてボス問題もうまいこと解決である。

部屋もきれいで、普段この値段では到底泊まれない部屋のように見える。海に入るのが寒くなってきたサントリーニはオフシーズンに向かっているのだ。ここまで案内してくれた赤いジャンパーの彼女は「ゆっくり休んでね」と言ってくれ、怪しいと思ってしまった私はごめんねの気持ちが入り混ざったビターなありがとうを返す。

これで今晩は無事眠るところができた。荷物を置いた夜ご飯ハンターは再び街へ繰りだす。メインストリートへと続く通りに差しかかると、あのゴリ押し客引きおじさんがいつも通りレストランの前に立っている。私なら強風の中、1時間で弱傘のように心が折れそうだが、このおじさんの心は強靭だ。昨日からすでに2回断っていた私を目にしたおじさんは、さすがにもう声をかけてこなかった。

ギリシャの夜は長い。どのお土産屋も朝から開いていたのにまだ店の電気が消える気配がない。メインストリートで色々物色するも、疲れた体で一人というのもあってレストランには入る気にならず、かといって昨日と同じファストフードもなぁと定まらない足先は、チャイニーズのお持ち帰りに落ち着く。どこへ旅してもチャイニーズのお店は入りやすく、メニューも基本的に同じものがあり、調理も早く、白いご飯が食べられるという点で、常にありがたい選択肢の一つであった。アジア飯は世界の食も旅人も支えている。

もはや自分の中で定番となったスイート&サワーチキンと白いご飯を注文する。ホテルに戻り、小さなテーブルに座って箸を割りさっと食べる。今日は砂やら風やら潮にまみれたので、温かいシャワーを浴びた。するともうまぶたが重い。ふらふらとロクに布団もかけずベッドに横になると、次に目が覚めたのは照明の光に目が眩む午前1時だった。

オレンジに包まれ彫刻になる人々



ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

寒くなり、朝ごはんを温かいポリッジに切り替えた今日この頃です。

「サントリーニ島の冒険」は、100ページを超える手書きの旅誌をもとに、こちらnoteで週更新をめざしています。

強風に髪をなびかせてグループツアーの朝をスタートする、一つ前の記事はこちらです。

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