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縄文杉トレッキング

午前2時30分に無理やりかけたアラームで、周りのメンバーを起こしつつも自分は45分に目覚める。炊飯器に仕掛けておいたご飯に池田から持参したゆかりと前日にスーパーで買った塩昆布を入れて混ぜる。おにぎりはみーことあやめで作ってくれた。

バスのチケットは前日までに屋久島観光センターで買っておくのがおすすめです。

屋久島自然館というところで5時発のバスに乗る。バスを待つ人々はかなりの人数になり、登山・トレッキング用品のカタログの写真を見ているような気分だった。(私が富士登山の時にAmazonの評価を見ながら吟味して決めた安くて良さそうなグッズたちの選品はあながち間違いではなかったことがわかる。)

観光バスのような専用バスに乗り込み、荒川登山口へ向かう。同じ金額を払っていても補助席まで人が詰まる。かなりのボリューム感である。

トロッコ道がこの写真の右手から始まっています。

登山口に着くとわらわらと人々はトロッコのレールの敷かれた森の中へと消えていく。ガイドのいるパーティーもあれば、夫婦やカップルで進んで行く人もいて、黎明の森に足を踏み入れる恐怖を少し感じた。(富士登山の夜23時の入山よりはマシ。


ここからトロッコ道をひたすら進んでいく。入り口付近に朽ち果てたトロッコがあった。


線路の上をひたすら歩いていく。

谷川を何度も橋で渡り(レールなので両サイドに隙間があり、いささかひゅっと気持ちが震えるような気もしたが)こんな森の奥までトロッコを敷こうと思った人間の近代的なアイデアと、そこにレールを敷いていった人々に想いを馳せながら歩いていく。


1時間ほど歩いたところに、石畳の階段があり、その先は不思議な空き地になっている。大阪のNHKホールの側にある難波宮跡を見た時に幼心に抱いた「そこに何かがあった」ことへの虚無感・恐怖心を思い出す。

小杉谷小学校校歌。「歴史の流れはいかになるとも われら生まれて故郷を愛す」

『小杉谷集落』というのが昔そこにあったという。戦後復興・高度経済成長期に屋久杉が必要となり、そこで林業に従事する人たちが最盛期には家族を含めて500名ほどいたそうで、学校もあったという。小杉谷休憩所では集落の年表や校歌が書かれた大きな看板があり、その集落の歴史を知ることになる。閉山が決まり、人々は引っ越しをし、閉山式をして、最後はみんなで周辺をハイキングしたそうだ。人々が切り拓き、家庭を作り、社会を作り、(少なからずとも)日本の成長の一端を担い、そして時代の流れとともに自分たちで幕を閉じる。その顛末をこうしてわずか50年後の私たちはこの看板を通して知る。故郷を作り、そして離れる人々の気持ちは一体どんなものだったのだろう。この自然を最後に味わった時に、一体どんな気持ちでいたのだろう。校歌は自然を讃え、人々を讃えていた。


そこからまだまだしばらくトロッコ道を歩くと『仁王杉(阿形)』がある。「阿」と言う仁王の顔にその瘤が似ているからということだが確かに自然の造形とは思えないほど「阿」である。

その少し先に『仁王杉(吽形)・倒木』という看板がある。皆朽ち、果て、自然に還っていくのだ。


トロッコ道が終わる。橋を渡ったその終着地点にはトイレがあり、ここが最後のトイレとなる。多くの人が一旦休憩し、装備を直し、橋を戻って狭くて急な小道へと消えていく。

ほんまにこんなとこ行くん?と口に出していってしまったが、橋の袂で中国人が話しかけてきて「私たちはどこに進むのか?」と聞かれあそこだよと言うと、彼女たちも私と同じような反応を示した(いささかオーバーだったが)。


ここからは世界遺産の区域となる。

意を決してその狭くて急な小道を進む。今まで緩やかで穏やかな線路だったのが突然急な山道へと変わる。岩も木も水もその辺に転がっている。が、至る所で人間が敷いた木の板や目印があり、またこれまでの登山者たちがつけた轍があり、大体の通るべき道というのは理解できた。


ところで、私は登山がきっとそんなに好きではない。理由は「ずっと下を向いて歩かないといけないから」である。足元を見ていないと何が起こるかわからない。この姿勢がきっと好きではない。

否応なく、自然と自分と向き合わないといけなくなる。こんなに時間があるのに、足元のこと、目の前の自然について考えないといけなくなる。いつも「時間がない」と切迫している自分の現状から真逆の世界にある。時間のことを考えると時間が進んでいないように感じる。しかし、時間のことを考えなくなると、あっという間に時間が経ってしまう。自分の日常には訪れない感覚である。私にとって「いささかハードで斬新な」時間との向き合い方である。

普通に滑って転ぶ。立ち上がるのも大変なので注意。

みーこに登山の良さは?と聞くと、「達成感でしょ」という答えが返ってきた。なるほど、と思ったが、達成した後にまた元来た道を戻らないといけない、というのがやはり馴染まない。そう、登山の達成感というのは元来た道に帰ってきた時に味わうものである。


『ウィルソン株』という、倒木した木の空洞の中に入って上を見上げるとハートの形になっているという株の前ではさすがに人が多く、私たちも中に入るのに少し時間がかかった。入って上を見上げると、何がハートなのかさっぱりわからなかったが、周りのガイドさんの説明を盗み聞きすると、大きくしゃがんで入り口右手前の位置から上を見上げると見える、というものだった。やってみたが、あまりわからなかったので、後から写してもらった写真を見ると確かにハートである。レンズの中からしかわからないハートだと思ったら、どうも写真家の人が見つけたらしい。写真家の視点というのも不思議なものだ。

入口入って右下から大きくかがんで見上げるとハートに見えます。

このツアーで私はヘッドホン越しに様々な音を探した。しかし基本的には「こういう音が欲しい」というイメージから探したものばかりだった。自分のイメージ以外の音で良かったのは「山を歩く靴音」だけだった。フィールドレコーディングもまだまだ初心者である。ウィルソン株に入ってハートを見つけた写真家のように新しい見え方(聞こえ方)を発見してみたい。


どんどん歩く。

翁杉

『翁杉(倒木)』という看板の先にあった杉はすでに朽ち果てていたし、夫婦杉も大王杉も立派なれど古株のように見えた。もう明日倒れてもおかしくないくらいだそうだ。古くなればどんどん黒ずんでいく。味わい深さというものなのだろう。

大王杉というのは縄文杉が見つけられるまで1番古いとされていた杉

道は色んな状態になっており、「姫沙羅(サルスベリみたいなやつ)」の木は根っこまでつるつるとしていて、木の根っこや苔は基本的には踏んではいけないのだけれど、誤って踏んでしまった時には足を取られてしまったり、人が敷いた木の板も新しいものと古いものがあって、古いものでうっかり足を滑らせてしまったりもした。

どのせせらぎの水も美しい。

途中、せせらぎがあり、水を飲んでみた(屋久島の水はどこでも美味しく飲める、というのがウリである)が、やはり美味しかった。甘みが強い軟水。喉越しも柔らかで、体がぐんぐん吸収していくような感じ。


午前10時30分、予定より30分早く縄文杉に辿り着く。その森の深くに佇む様子は、古来よりおそらく下界の由無し事を「何も知らずに」生きてきた籠の中の鳥を思わせた。耳に挟んだ話だと(大体ガイドの人たちの声は大きい)良い杉は早い段階で切り倒されてい流ので、これだけ残っているということは、実際何か問題があった「木の劣等生」だったと考えられるということだった。しかし、それは人間にとっての劣等生であって、こうして根を生やし縄文時代から今も倒れずにここに存在しているということは、木として非常に優秀なものであったということであり、人間の価値基準などちっぽけなものだと思う。


写真中央の木が縄文杉

とはいえ、「大王杉よりまだ奥に大きな杉があるかも知れない」と山道を踏み込んで行った発見者の熱意にはやはり凄みがあったのだと思うし、それも人間の情熱なのだと思う。(大王杉でやめてくれてたら、もう少し短いルートで済んだのにと、山がほんのり好きになってきた私は思う。)


10分ほど撮影などして、来た道を戻る。ルールとしては登り客優先なので、自分たちがそうしてもらったように立ち止まって「もうすぐですよ」と声をかける。

そもそもの予定では16時のバスが目標で、17時の終バスになんとか乗れれば、というスケジュールだったのだが、途中「15時のバスに乗れるかもしれない」と監督が言い出し、トロッコ道からこれまでの1.3倍速くらいのスピードで下山することになった。2時間。必死の早歩きで黙々と歩みを進め、先ほどのんびりと見た杉やトイレを通過し、下り客を追い越し、突き進むパーティー。トロッコに乗ったような気持ちで、というより、トロッコになったような気持ちだった。これが道中何よりもキツく、つい先ほどまではしょうもないことを言いながら上がれたが、歩くことに集中し、最後の方は足首が固まり、手の先の爪は真っ白になっていた。


14時45分、無事登山口に戻り、バスの切符を手に入れた。


疲労困憊

私たちは昨日の時間を自分たちの足で取り返したのだった。ある意味、感動、というよりも、ま、やればできるかなくらいでしか思わなかったが、当初のスケジュールでは帰って餃子作って食って寝る、だったのがあれやこれやと行けることになり、嬉しかった。


1日目に行く予定だった「白谷雲水峡」を目指す。もののけ姫の舞台となったトレッキングコースもあるが、大きな岩をいくつか超えた向こう側の流れが岸辺に近く、音源によりマイクが近づけられそうだったので試しにヘッドフォン越しに聴いてみたら、理想的な流れの音だったので集音した。ここではかなり良い音が録れたと思う。

この流れがかなり近距離で見られる。
この音、ぜひ皆さんに聴いてもらいたいです!


葉から水が滴る音を録っている

屋久島一番の夕日スポット。地元の夫婦がお寿司を持ってながめに来ていた。

その後、予定にはなかったが一湊の「東シナ海展望台」へ行く。夕日の絶景スポットというところで、口永良部島の右肩上に夕日が落ちていく。富士山で共に朝日を見て、屋久島で共に夕日を見る仲間がいることは素晴らしいことだと感じた。

日が沈む最後の瞬間まで見た。

帰りに「ヤクデン」という(多分屋久島電器センターの略だと思う)地元のスーパー兼何でも屋に寄って餃子の用意を買う。醤油の種類は前日のA・コープの方が多かったがやはり鹿児島だけあってかなりの数がある。また、「山東菜」という白菜とレタスと青梗菜のあいのこ、のような野菜を見つけ、スープに投入することにした。お土産屋さんもいいけれど、こういった地元のスーパーで食材を探すのも楽しい。刺身はカンパチが旬だったのだと思う。やたらめったら鶏の色んな部位が売っており、どうやって調理するのか気になった。

左の鍋の中にスープが入っている。

1時間かけて戻りすでに時刻は夜8時を回っている。真っ先にご飯を仕掛け、ゆき・みーこと協力して餃子を作る。優秀なIHコンロで、すごく大きなホットプレートもついており、そこで餃子を焼いた。家に持って帰りたくなるくらいいいIHであった。

めちゃくちゃいいコテージだった。
その後の記憶はほぼないが、山東菜はとても美味しい野菜だった。


この音も録った
いたるところに屋久猿が転がっている。

縄文杉までのトレッキングは「富士山に比べれば」難易度は高くないし、何よりも整備されていることで山登りのしんどさもきっと軽減されている。美しく甘い水というのが屋久島の魅力だと思ったし、自然の強さや奥深さ、また人間との交わり方について改めて考えるきっかけとなった。

「ブレンド屋久島」ぜひお買い求めください!美味しいですよ!
20240409


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