太宰治を事例としたBPD関連論文を読んで(ざっくり解説と感想)
太宰治を事例にしたBPD関連論文が、読みものとして面白かった。
論文のURLはこちら。
太宰を事例にし、BPD当事者の心理状態・意識・経験に焦点を当てようとしたこの論文。
人間像や病像を把握できるよう、分析の題材として選ばれたのが太宰の綴方(作文)や書簡(手紙)だからか堅苦しさは皆無。かなり楽しく読めた。
以下、ざっくり解説。
ざっくり解説
上記題材を繰り返し精読し、全体の文脈と照らし合わせ、BPD患者としての太宰を示す上で重要そうな箇所をいくつか抜き出し、それらの共通点や相違点に注目しながらカテゴリ分けを行う。
その結果、以下のような8つのキーワードが浮上した。
・母性体験
・病気の経験
・死(死への憧憬/処世術としての死)
・愛情希求
・書くこと、語ること
・芥川賞への渇望
・対人関係
・自己憐憫
太宰が好きな人やBPD関連の情報に触れたことがある人にはお馴染み、と言えるようなキーワードが出揃った。
論文内では「母性体験、愛情希求、書くこと・語ること、芥川賞への渇望」が連結し、結論へと向かっていくように感じられた。
以下は太宰の生活史と上記8つのキーワードを網羅した、論文著者によって作成された一人称視点でのテクストである。
(ちょっと長いけど、BPD的傾向がよく示されていると思うのであまり省略せず引用してみる)
出ない乳の代わりに「昔話(語り)」を与えたのが叔母であり、「本」を与え「読む」という言葉への能動的なかかわり方を教えたのが奉公人(タケ)である。
つまり太宰にとっては言葉と根源的な母性体験は重なり合っており、書く(読み聞かせる)ことには母性体験への憧憬と願望が潜んでいる。
それゆえ作家を志すのも不思議ではなく、芥川賞への渇望は「愛情希求」の変形であり、太宰にとっての生きる糧(乳/母性愛の代用)だったのだろう、と結論づけられていた。
以下、感想。
感想
論文ではBPDの病理やパーソナリティ構造ではなく「BPD患者としての太宰治という個人の生の営み」に強く着目していたが、私はBPDの疾患特性にも目配せしながら好き勝手に感想を述べてみたい。
たしかにBPDを抱える人は母親関連の問題を抱えることが多い。
太宰の実母も私の母親同様、情緒的に冷淡で接触を拒むタイプだったのだろうか?
乳の代わりに物語をくれる叔母や、本を与えてくれる奉公人がいても実母への想いは晴れないようで、切ない。
「本を読んでも、書いても何もくれなかった。実母に対して感じるのは侘しさだけだ」と言っているのも強がりに思えて、侘しいというよりは本当は寂しくて傷ついてるんだよね……と声をかけたくなる。
その一方で、叔母に本を読めばまた新たな昔話がもらえるというのはあくまで、叔母と太宰の間だからこそ成立していた相互行為であるように思う。
つまり、(心のどこかで期待しながら)実母に同じことをして「実母は何もくれない」と失望するのはBPDにありがちな「理想化とこき下ろし」なのかも?という気がするのだ。
そして「一番欲しいのは愛情」と言いながら、希望はいざ知らず、さり気なく「名誉」も加えるところにBPDとは切り離せないであろう「承認欲求」の問題を感じる。
矢継ぎ早に変わる感情に由来する、自己像の不安定感から自分で自分を認めることができず、他者や世間からの承認にすがって、そこに存在意義を求めたくなるのだろうな、と思った。
他者承認が満たされているうちは自己愛が優勢になり万能感に酔う一方で、他者承認が得られないと「空虚感」に圧倒され、キーワードにも出た「処世術としての死」に誘惑されるのかもしれない。
また心中や薬への依存は(満たされない哀しみが潜む)「怒り」による行動だから、と弁明するのもBPDの心性だろう。弁明(自己弁護)するか自責するかは個人差がある気がするが。
以上、太宰治を事例としたBPD関連論文に対し、太宰好き+BPD傾向のある私が感想を述べてみる、という試みでした。👐
【参考】
田中誉樹, 2014「境界性人格障害の心理的理解と支援についての質的研究─作家 太宰治を事例とした解釈学的現象学の立場から─」『京都ノートルダム女子大学紀要 44号』pp.37-48.
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