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自分の欲求の扱いと、心の分割について―コフートの理論を参考に―

自分の欲求(意見や願望)の扱いが下手、である。

基本的に欲求の存在を見失いがちなのに、突然欲求が暴走することもある。

なぜ私はこんなに欲求の扱いが下手なのか。
そして欲求にまつわる「心の構造」はどうなっているのか。

そのあたりをコフートの理論を参考にしながら考えてみたいと思う。

欲求の扱いが下手な人間の末路

幼い頃から自分にウソをつき続けた。

本当は欲しいものを「欲しくない。全然いらない」と自分に言い聞かせ、○○したい!という強い願望は抱くことすら憚られて心の奥底に隠した。意識の下に埋めようとした。

(そして「欲求の埋葬」が失敗したときは「なぜ私ばかり我慢しなければならない!」とばかりに欲求が暴走する傾向にある)

こうしたことを繰り返した結果、私は自分の欲求を見失いがちな人間になったのではないか?と思われる。

そして自己心理学者のコフートが言うところの「誇大自己の統合不全」を中途半端に起こし、様々な問題を抱えることとなった。

注1※
自分の欲求を踏みにじり続けたために「(日常生活を営む上で機能する)心の中心部分」と「(自己愛的な)欲求を持つ心」が分かれてしまった状態を私は「誇大自己の統合不全」と解釈している。

注2※
「中途半端」と言ったのは、誇大自己の統合不全は自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の中心病理とされているが、私自身は主治医からはNPDという正式な診断は受けていないため。(しかし自分ではNPDの「傾向」がある、と感じる部分が大いにある……)

誇大自己の統合不全と、心の防衛

コフートによれば誇大自己の統合不全はパーソナリティの断裂をもたらし、治療場面で是認や称賛に対する欲求が満たされたとき「水平分割」や「垂直分割」という心の分割状態をつくりだすらしい。

分割の状態が水平になるか、垂直になるか、それとも両方になるかは「心の防衛」の位置による。

今思えば「私の意見や願望(=欲求)はとるに足らないもので、叶わないだろう。叶える価値もないだろう」という幼少期に染みついたであろう思考の癖も、自分の心を守るためだったのかもしれない。

もっと言うならそれは「欲求に忠実に動いて、その欲求が叶わなかったときのショックや失望から自分を守る仕組み」だったのかもしれない。

さて、2つの分割の違いは何だろうか。


水平分割

水平分割(=抑圧障壁)

・抑圧され、満たされない幼少期の自己愛的な欲求が大元にある

・子ども独自の自己愛を母親が拒絶したことに関係する

・自己愛欠乏状態を呈する(自信の喪失、漠然とした抑うつ、仕事への熱意のなさ、自発性の欠如など)

・情緒的な冷たさを示す

イメージとしては、心の深い部分に水平方向の壁がある状態。

今更母親を悪者扱いもしたくないが「みてみて、きいて」が受け入れられたことは記憶にないし、「おねえちゃんなんだから(弟になんでも譲りなさい/あんたは我慢しなさい)」という言葉を浴び続けたのは事実であるので、拒絶といえば拒絶なのだろう。

自己愛欠乏に関して、コフートが『自己の分析』の中で示した解説や「心の分割」に関する図を参考にして、私なりに考えてみた。

心(サイキ)の分割に関する図。

まず、心の水平分割状態により、自己愛エネルギー(顕示性と誇大性)の源泉である自己愛栄養は「現実を生きる私」に届かなくなってしまう。

その結果「現実には楽しいことだけじゃなく辛いこともある」という理解や「欲求(快感情への希求)を一時的に先送りにして不快感情に耐える」という行為が難しくなり、先ほどまとめた「漠然とした抑うつ」などの症状を呈するようになるのではないか、と感じた。

なお、情緒的な冷たさは、自己愛的な補給を得たい対象から距離をとり続けることに固執するという形をとって現れることもあるらしい。
(遠ざかりBPDとの関連があるのかないのか?気になるところ)

次は、垂直分割についてまとめてみる。


垂直分割

垂直分割

・否認により維持されている

・開けひろげに誇示される幼児的な誇大性が大元にある

・子どもの行為を母親が自己愛的に利用したことに関係する

・表面上一貫性のない態度を示す(激しい自己主張と静かに抑圧された誇大自己の共存)

イメージとしては、心の比較的表層が垂直に分割されている状態。

ここで使用される「否認」は少しわかりにくいかもしれない。
「認めてほしい」という要求が満たされない状態を認めない……「私を認めないやつが悪い」とでも言い出しかねない誇大性、と言えば伝わるだろうか?

「子どもの行為の自己愛的利用」については母親ではなく、祖母がよくやっていたなという印象を抱く。

態度の一貫性のなさは(日常を営む上で機能する)心の中心的な区域から自己愛的欲求が隔離されていることに起因しており、以下の「2つの状態」の交替という形をとって現れる。

a)うぬぼれやプライドの高さが露呈する、誇大自己の要求にもとづいて度を越した激しい自己主張をする状態(意識されつつ分割された誇大性)

b)空虚や低い自己評価の感情が露呈する、自己愛欠乏の状態
(パーソナリティの深部に埋もれ、近寄りがたい静かに抑圧された誇大性)

aは一般に「わがままで自己中」と言われるパーソナリティ像だろう。
bは先に見た水平分割の状態と重なる部分も多く、よく似た症状や態度を示すこともある。

なお水平分割や垂直分割の是正は成熟した自己愛形成のために必要な介入だが、水平・垂直の両方の分割状態が確認される場合は垂直分割から着手し、次に水平の抑圧障壁を取り除く、とテキストには記されている。


まとめ:自分の欲求の扱いが下手な要因と今回の検討による収穫

欲求の扱いの下手さに由来すると思われる要素は、

・染みついた「自分の欲求は無価値、叶わない」という思考の癖
・「みてみて、きいて」が満たされない環境
・抑圧の蓄積と強化
・自分の行為を慢性的に自己愛的に利用された経験

あたりが濃厚だろう。

過去を嘆いても仕方ないけど、幼少期の否認や抑圧がここまで尾を引くとは……!という感じである。

今後はちゃんと自分の欲求に耳を傾け、過度な抑圧を避けていこう。

自己愛との関連という制限つきではあるが、漠然とした抑うつ感・空虚感・突如湧き出る誇大性などに「説明の可能性」が与えられたのは1つの収穫だったように思う。
(BD、BPD由来の気分・感情状態との識別は課題になるだろうけど……)

あと(業務ではない)記述欲求が満たせてよかったです。笑

(参考)
ハインツ・コフート,『自己の分析』,みすず書房.

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