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「分離-個体化の困難」から考えるBPDの心理的特徴―マスターソンの理論を参考に―

マスターソンの理論がようやくまとまりをもって理解できそうな気がしてきた。噛み砕いて説明できるか少し試してみたい。

彼は「分離-個体化の困難」という点から境界性パーソナリティ障害(BPD)の心理的特徴をとらえるために、小児科医・マーラーの分離・個体化論を発展させ、持論を展開した。

子どもの発達過程

以下はマスターソンが述べた、子どもの発達過程を簡略化したものである。

①共生的な段階
母親と子ども、2人で1つの単位を形成する。1つの境界を持つ融合状態。
母親が全ての世話を焼いてくれる、子どもにとって万能的な状態。

分離-個体化の段階(マーラーの分化期、練習期、再接近期に相当)
よちよち歩きをはじめ、母親から離れる能力を伸ばし、母親から分離していく自分のイメージが形成される。「再接近期」の過程で認知的、情動的な発達から子どもは自分の分離を意識し、分離不安に陥る。

かつての共生段階での万能状態の復活を願うが、実際にはもう叶わない願望なので放棄しなければならない。これを再接近危機と呼ぶ。また、分離による母親の喪失をめぐって「母親を押しのけたい気持ち」と「母親にしがみつきたい気持ち」という両価的な感情が急速に交替する。

③対象恒常性への途上にある段階
母親が目の前にいなくても、心の中に母親の存在を感じて安心することができるようになる。言語能力を獲得し、現実検討能力も発達し、自我境界が確立されていく。
J.F.マスターソン(1990)『自己愛と境界例―発達理論に基づく統合的アプローチ』

マスターソンはBPD患者が経験する幼少期の「分離-個体化の困難」に言及しつつ、「BPDの患者は人生を通じて分離-個体化(とくに再接近危機)の問題にはまって抜け出せない状態にあるようだ」と語った。

そして分離-個体化の困難により、WORUとRORUというイメージの分裂が生じると彼は考えた。

分離-個体化の困難が生むもの

WORU

本来的には子どもの自立を喜び、自己主張を微笑ましく見守ったり、奨励したりする役割が母親には期待される。

しかし、母親が子どもの自立を喜ばない/歓迎しない/否定する場合も存在する。同様に、自己主張にも良い顔をしてくれない場合がある。
(※なぜ母親がそんな行動をとるのかはまた別の記事で整理してみたい)

こうした状況は子ども視点では「愛情の撤去=罰」と捉えられ「懲罰的、批判的、否定的な悪い母親のイメージ」が子どもの中に生まれる。

この「子どもが抱く○○への悪いイメージ」をマスターソンは撤去型対象関係部分単位(WORU)と名づけた。

WORUは日常の至るところで作動し、母親だけでなく自己や愛着の対象にも適用される。

自己に関しては「愛される価値のない人間だ」、愛着の対象に関しては「欲しいものをくれない/自分の要求を満たしてくれない嫌な奴だ」など、否定的で攻撃的なイメージを脳内に充満させてしまう。
(※BPDで問題視される「対象のこき下ろし(価値下げ)」に繋がるかもしれない)

こうした経緯もあり、BPDを抱える人は愛情が撤去される予感に過度に敏感になるとされている。

RORU

さて、自立や自己主張をしようとすると、母親から愛情を撤去される/愛されなくなる/見捨てられると学んだ子どもはどうするだろうか。

母親の望む姿を演じ、自立や自己主張を控えるのである。すると、母親は喜んでくれる。

無力で従順な子どもでさえいれば褒めてくれる。愛情を撤去されない、つまりは見捨てられないと学習するわけである。
こうして「条件つきで愛情を与え、満たしてくれる良い母親のイメージ」が生まれる。

「子どもが抱く○○への良いイメージ」をマスターソンは報酬型対象関係部分単位(RORU)と名づけた。

RORUも日常で活性化され、母親だけでなく自己や愛着の対象にも適用される。注目すべきは、RORUは単体で作動するときと、病的な自我との同盟の果てに活性化されることがあるという点である。

まずはRORU単体から。

自己に関しては「大事にしてもらえるだけの価値がある/愛されて当然の人間だ」、愛着の対象に関しては「自分の要求を満たしてくれる素敵な人だ」など肯定的だが、やや妄想的なイメージを繰り広げてしまう。
(※これは対象の過剰な理想化に繋がるかもしれない。理想化の程度が強いほど、こき下ろしはひどくなる)

次にRORUが病的な自我(=退行的な自我)と同盟を組み、活性化されるパターンを見てみる。

先程の「条件つきの良い母親のイメージ」で触れたくだりを思い出してほしい。無力で従順でさえいれば褒めてくれるという文章の「無力で従順」という部分が退行的な自我に相当する。

従順とは、つまりは自分の思考や感情を抑制している状態である。自己の確立には自己主張(思考や感情の表出)が必要とされているので、きわめて従順な状態は退行的と言えるだろう。

従順な状態とは別に、RORUが問題行動と結びつく場合もあるのも心に留めておきたい。
(好きな人に冷たくされて心が満たされないからお酒飲んじゃお……と過剰飲酒に走るのもRORUと病的自我の同盟が活性化された結果のようだ)

偽自己

RORUと病的自我の同盟が子どもにとって馴染み深いものになり、パターン化され、固定化されると「偽自己」が形成される。

○○してさえいれば愛される、という自信のもとに日常を生きるので外見上は何の問題もなく機能している、あるいは適応しているように見えるが、そこに自分の意思は存在しないらしい。過度な適応はやがて破綻をきたすだろう。

偽自己は愛情の撤去/見捨てられ抑うつから心身を守る防衛手段の1つであるが、同時に自己の障害の1つでもある。

自己の障害もBPDの中心的な病理であり、症状が改善されるにつれ真の自己(あまり好きな表現ではないが……)が姿を現してくるとのこと。

自己の障害は重篤な順に自己像の欠如、偽自己、貧困な自己像というグラデーションを成す。

自己の障害についてはまた別の記事でまとめてみたい。

終わりに:分離-個体化を起点とする「境界障害トライアド」

長くなってしまったけど久々に構成ありきの文章が書けて嬉しい。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

分離-個体化による母親の愛情の撤去は、患者にとって「見捨てられ抑うつ」を導き、「見捨てられ抑うつ」は偽自己・否認・回避などの「防衛」を導くとマスターソンは考えた。

この「分離-個体化」-「見捨てられ抑うつ」-「防衛」を彼は境界障害トライアドと呼び、治療の指針とすることを推奨している。

実際の治療に関する理解がもう少し深まれば、このトライアドを念頭におく有効性についても検討してみたい。

※備考:見捨てられ抑うつは「抑うつ・怒りと憤り・恐怖・罪悪感・受け身性と無気力・空虚感と虚しさ」で構成される。

(参考)
J.Fマスターソン(1990)『自己愛と境界例―発達理論に基づく統合的アプローチ』,星和書店.

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