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診断書から伝わってきた先生のあたたかさ―障害年金申請、任務完了―


鬱病10年生。今さらながら、障害年金の申請に向けて動いている。
身体はあまり動かないけれど、、、、、、、

昨日(12/7)、診察日だった。


前回の診察のとき、障害年金の申請をすることにしたことを話し、診断書をお願いしたのだけれど、

「これ、、、、、、時間がかかるんですよ。」

と言った先生。次回の診察(4週間後)までに間に合うかどうか、というニュアンスで話していたので、少し不安だった。

申請に向けてお願いしている社会保険労務士さんには、その前に、「”出来上がったら連絡します”と言われると思うので、そのときに取りに行く形」ということを聞いていた。だから、4週間もかかるとは思わなかった。

でも、急かせる立場でもないし、社労士さんも「その感じだと、次回診察までには完成させてくれると思う」とのことだったので、とにかく、待つことにした。

その診断書を受け取るまで、次の作業ができない状態だったので、”待ちの姿勢”で、普通に日常を送った。



今の先生にかかったのは、2015年春から。

いつも落ち着いた口調で、決してフレンドリーな感じはないし、心から共感してくれるわけでもない。共感してもらえなくて、いつも「〇〇できるようになると、いいですね。」という言葉しか言わないのでなんだか、不信感を抱くときもあった。もう少し寄り添ってくれたら、、、という気持ちで帰ることが多い。
ただ、いつも冷静でいてくれることで助かることはある。死のうと思ったことを明かしたときも、「鬱病になるとそういう気持ちになってしまうことはありますからね。」と、深く感情移入せずみてくれていたことは、今となってはよかったかな、と思う。
そして、私は、”話したいひと”だ。家族のことでのストレスで具合が悪いときが多く、それはどこでも話すことはないし、誰かと会って話す機会自体がない生活なので、先生に聞いてもらうしかない。いろいろ、家で起こったときに、「少し長くなってもいいですか、、、」と切り出すと、「いいですよ」と普通に答えて聞いてくれる。ほかの患者さんには申し訳ないけれど、先生はそれでも私に話したいことを吐き出させてくれる。

ただ、共感は少ないけれど、、、、、、


今回、申請に向けて一緒にがんばろうと言ってくれた母。

※詳しくはこちらの記事へ。


家で、私が母に診察時の先生のことを話すとき、”共感してもらえなかった”と言うことがある。
母は、私が発する話からしか、私の主治医の先生のことを知りえない。
そして、一緒に診察室に入ったこともない。
母は、自分も別のメンタルクリニックに通っているということもあってか、私の主治医に直接会うことはできるだけ避けたい、私と一緒に診察室に入ることはしたくないようだった。


私が母に話さなければいいのだけれど、家での話し相手が母しかいないもので、、、、、、
共感してもらえなくて寂しかったなという私の話を、どこかで気にしている様子はあった。
「あんたがネガティブなことばっか喋るからでしょ!そうやって帰ってくるんだったら前向きなことを話してきなさい!」
と、私が怒られて終わることが多いのだけれど。



来春からの、我が家全体の経済的な事情(父の退職後の収入が激減する)から障害年金の話になって、今進めているのだけれど、今回診断書を待っている間の4週間、ときどき母は心配になるようだった。

先生に診断書をお願いするとき、社労士さんとも話して、『日常生活状況』という欄について、家庭での様子がどうかを書いた紙を渡した方がよいということになった。何せ、先生は、家での私の様子が見えるわけではないので。

下記サイトに載っていた一例。

※厚生労働省の、障害年金の診断書(精神の障害用)の記載要項について。


この7項目について、家での生活において実際どうなのか、ということの参考にしてもらうための資料として、家族や社労士さんと相談して、私が直筆で書いて、診断書を渡す際に他の資料と共に先生に渡していた。

これを書くとき、社労士さんには、「いちばん悪いときの状態を書く」ということを言われていた。いいときの状態を書いてしまうと、年金が支給される可能性が下がってしまうからだ。※もちろん、嘘は書いていない。

実際に手書きしたものの一部。
一応PCについていたスタンプを使って若干のカモフラージュをしたけれど
あまり意味がない、、、、、、


ただ、これを、先生がみて、いつもの通院時に話す内容と違うな、と思って、先生の判断で書かれてしまったら、それはそれなのだ。



4週間の”待ちの姿勢”が続く間も、母が、今後の我が家の経済的なことについて思い悩む日々が続く。
父は働くことはできるが、働くこと以外何もできない、考えようとしないので、その姿勢に母がブチギレて我が家は大荒れ。
怒号が苦手な私はすっかり疲弊したし、母ばかりが今後のことを背負おうとしている現実に寄り添いたいし、私が働けないせいで家計を圧迫しているのは間違いないし、年金のことについても診断書を待つ間は何も動けないし、、、、、、鬱調子が良くなるわけはなかった。
母が荒れ狂って、父にも私にも妹にも怒鳴り散らした夜はもうどうしようもなくて、私はベッドの上でうなり声をあげていた。もう無理だ。助けてくれ、誰か。
家族、みんな限界を感じている。


”待ちの姿勢”3週間目あたりで、母が

「”診断書まだできてませんか?”って、病院に電話できないの?」

と、私に言った。


でも、、、、、、
先生を急かすことはいいことではない。
先生はもちろん忙しいし、そんな中電話して急かして書かせてしまう診断書なんか、いい書類になるはずがない。
遅くなろうとも必ず、しっかりしたものを書いてくれるであろうという確信が、私にはあった。
クールで感情こそあまり激しく出さないものの、6年ほどお世話になって、私はたくさんのことを伝えてきたし、そんな私を否定せずずっと見守ってきてくれた先生だ。


「急がせて無理やり書いてもらうより、遅くなってもちゃんと申請が通るようにしっかり書いてもらう方が私はいいと思うよ」

と、私は答えた。

母は「そっか」と、納得してくれた。



今から12年ほど前。
まだ私がこうなる前に母がビッグダウンしたとき、軽度鬱病と被害妄想、という診断をうけたらしいが、前兆として被害妄想がひどかった。
不安になると、ひとを信じられなくなることがあるようで。
しかも、一度もあったことのない娘の主治医なんて、信じられる要素はそんなにないだろう。ここまで長患いしているし、、、、、、

私は、先生が真面目で一生懸命であるということは信じられた。だから、待った。きっと大丈夫。私や、家のこと、いつもきっと私は同じようなことを話しているから、何に苦しんでいるかはわかるはず。申請しても受給できないように書くことはまずないだろう。
そういう確信のもと、昨日の診察日を迎えた。




今までは電車や自転車でひとりで通院していたが、もう、先月からは、母の送迎、付き添い(待合室まで)がないと病院に行けなくなっていた。
昨日も、車で連れてきてもらって、母には待合室にいてもらった。

、、、、、、、、、、私。

”診断書をもらって次の作業へ”、ということを考えすぎて、4週に一回のいつもの診察なのに、現在の調子を伝えるということをすっかり忘れ、話すことを考えていなかった。調子は悪かったのは確かだけれど、それをどのように話すのかも、最近メモしないと話せなかった。そのメモをすることも、完全に忘れていた。

そのまま、診察室に呼ばれた。

診察室へ入って、いつものように先生に

「調子は、どうですかー?」

と言われた。


日記(手帳)を持って入ったものの、言葉がうまく出てこない。

「えっと、、、、、、」
「調子は、、、、、、」
「母が、、、、、、」
「すみません何を話していいのかわからなくなっ、、、、、、」

ああ、もう、ダメだ、、、、、、

とりあえず、こういう状態であることを察してもらうしかなかった。


とりあえず、自分の鬱調子が悪いこと、母の調子、家のこと、なんとなく伝えたつもりだけれど、、、、、、


でも、先生は、

「まぁ、今回、
診断書、書きましたのでね。この申請ができたら、少し、変わってくると思いますよー。」





、、、、、、、わ!!!!!!



書いてくれた!!!!!!




思わず、無意識のうちに、

「ありがとうございます、、、、、、」

と、仏様を拝むように先生に両手を合わせてしまった(不謹慎)。



ただ、頭がもうわやわやした状態なので、しっかりとしたお礼はできなかった。
最後に、もう一度ぼそぼそとお礼を言ったくらい。



診断書が完成したことを知った母は、
身体から力が抜けたようだ。

「よかったぁ、、、、、、、、、、」

と何度も言い、

家に着くなり、私より先に、診断書の内容を確認していた。

私は、通院から帰宅後のルーティーンがあるのでそれを終わらせないと向き合えない(薬、保険証の片付けとか)。まず、通常のことをしてから心を落ち着けて、その診断書に目を通そうとした。



「すごく、よく書いてくれてるね」

と、母。


ほう、と思って、私も見てみた。


私が手書きで書いた日常生活のことに関しての記述をよく読んで、忠実に選んでくれていた、生活に関連する能力(食事、身辺の清潔保持、金銭管理、対人関係、社会性など)の4段階判定。
2012年から私が通った病院の記録、そして先生の所に通うようになってからの私の変化と、現在の状況。

、、、、、、あ、そういえば、パートに出てがんばったけど辞めてしまったけれど、その仕事をするまでも、しているとき、辞めた後のすべても、先生はみてくれていたな。
、、、、、、あ、サポステに通っていることも、書いてくれたんだ。

日常生活能力の判定では、どの項目に関しても、最高評価の”できる”のところにはチェックがない。
『適切な食事』、『他人との意思伝達及び対人関係』に至っては、最低評価になっている。




、、、、、、そっか。


やっぱり、私、しっかりと鬱病なんだ。

そして、私には今、障害年金が必要なんだ。



だから先生も、私が、私の家族が、楽になるように、でも決して嘘はなく、私が忘れているようなことまで、よーーーく、書いてくれている。


私が、年金を受給できるように、、、、、、



、、、、、、、、、、先生、信じてよかった。ありがとう。




診察であまりに共感されなくて寂しくて、病院を変えようかなと思ったこともあった。でも、感情をあまり表に出さないだけで、しっかりとこの6年、私をみていてくれて、この大きな診断書を一生懸命、考えて書いてくれていた。
この先生に、任せてよかった。


「いい先生だね。愛のある先生だね。よかったぁ、、、、、、、、、、」

と、母もすっかり肩をなでおろしている。


どこがどのように愛があったか、というのは、診断書そのままを載せるわけにいかないので表現が難しいけれど、、、、、、



一生懸命向き合ってくれる先生だという、私の予想は当たっていた。
いつ、どうお礼を言っていいのかな。

これで、次に進める。家族の負担にしかなっていないと自分を責めながら、我慢しながら生きる。そんなことから脱却する、チャンスがくるかもしれない。



※すっかり安心で疲れ果てた母が、デリバリーのピザをとってくれた!

ピザは私の大好物。私がpizzaと名乗るのもそれが由来。




そして、ここからも、私は試練が続くと思っていたが、社労士さんが言うには、

今日(12/8)、この診断書を社労士さんに手渡したところで、私の任務は終わった。
障害年金の申請における、全ての、任務が終わったらしい。


『病歴申立書』という、いちばん私が向き合うことでダメージを受けそうな過去の振り返り作業を、社労士さんがすべて請け負ってくれたのだ。


ありがたい、、、、、、、、、、、


あとは、社労士さんが代わりに申請をしに行ってくれる。必要な書類は全て揃った。申請の結果がわかるのは3月頃だという。
診断書から見た社労士さんの見立てでは、3級は確実、2級も少し可能性があるだろうということだった。


どうやら、いくらかは支給されると考えていて間違いなさそうだ。(仮)




あああああああああああああああああ、

できたああああああああああ!!!!!!!!




ほぼほぼ、社労士さんがいたから成り立っていた。

社労士さんを頼んで本当によかった。


そして、6年間通い続けた主治医の先生を、信じてよかった。

まだ、結果が出ていないのでありがとうのタイミングも難しいけれど、ちゃんと、お礼を言わなきゃ。


一緒にがんばろうと言ってくれた母、社会保険労務士という選択肢を使ってみようと提案してくれた母も、ありがとう。



現在、肩の荷が下りまくった私と母は、体に力が入らずぐったり状態。

あとは、完全に”待ちの姿勢”。


たくさんのひとの力で申請ができることになったので、どうか、ご加護がありますよう。
少しでも、私の立場でできることだったこの障害年金で、これから苦しくなる我が家の家計を、楽にできたら。
そして、明るい未来を、少しでも想像できる状況になったら。

、、、、、、、、、、いいなぁ。




たくさんのご恩を忘れず、これからに希望を抱いて、進んでいけますように。


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※最後に。障害年金の受給は迷ったら本当にすぐ動いた方がいいし、もし支給の見込みがあるならば社会保険労務士さんを頼ったほうが絶対いいです!これは大事なことなので書いておきます!心の疾患の方は特に、頼ったほうが格段に楽です!
※私は、初動が遅れたせいで、過去の分までさかのぼっての申請ができませんでした!私が遅れたのはすぐ治ると思ったし自力で働いて、という思いがあったけれど、働きながらももらえますのでとりあえず是非!初診から5年を過ぎる前に検討をしたほうがいいです!私は9年も経っていました。


どうか、皆様にも幸あれです!

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。