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春に押される再生ボタン

歌と匂いは、勝手に脳内レコードの再生ボタンを押してくる。
こっちの意思はお構いなし。本当に自分勝手。
しかもこの子達、ふたりになると余計調子に乗る。
ひとりずつだとまだ控えめなのに。

まったく、こっちの気も知らないで。

とは言え、押されると分かっていながら、しょうがないなぁと、見て見ぬふりしている自分もいる。
やっぱり歌が好きで、匂いが好きで、大好きな出来事を、思い出したい。
春は特に、そんな風に思うことが多い。

高校3年、卒業式を翌日に控えたある日。
わたしは母の運転する車の助手席に乗っていた。その日はとても暖かくて、車の中に入ってくる日差しが暑いくらいだった。

明日高校を卒業する。確かに寂しかった。でもそれ以上の感情を自分で理解し、整理することが上手くできなかった。わたしは志望大学に受からなくて、ありがたくももう一度チャンスをもらえることになった。それもあってか、頭の中は卒業より、4月からの勉強のことでいっぱいだった。

母がおもむろに、遠回りしようか、と言い出した。
別にいいよ、と言ったけれど、ドライブしたいから、と、家と真逆の方面に向かった。

辿り着いたのは、3年間通った高校。

もともと第一志望では無かったこの高校。
最初はひどく落ち込んでいたことも、母は知っている。
そして同時に、この3年間、わたしが気付かなかった成長や、楽しさに溢れた表情も、母は知っている。

高校の周りをぐるっと一周して、信号待ちをしていた時。少し日が傾いた、まだ暖かい日差しを背に、母がこちらを見て、ふっと笑った。
何も言わなかった。わたしも、母も。

今まで当たり前のように会っていた人達と、当たり前のように会えなくなる生活がやってくる。
この先、もしかしたら二度と、会えない人も出てくる。
もうここで、こうやって母とこの道を車で走ることも無くなる。

母は、わかっていたのだ。
子供だったわたしは、あの時まだちゃんと、わかっていなかった。

母の笑った姿、車内の温度、日差しの色と匂い。

3月、少し暖かくなり始め、日差しの匂いが漂う春の日は、歌と一緒になって、勝手に再生ボタンが押されてしまう。あの一瞬と、あの土地で過ごした、高校生までの自分が、一緒に蘇る。

でもいつからか、あの時はちゃんとわからなかったことが、わかるようになった。

もうすぐ桜がどんどん咲く。
たくさんの人が、新しい生活を始めたりする。
何も変わらない人もいる。
変わりたくなくても、変わることを余儀なくされる人もいる。

今日、大好きなこの曲を聴きながら、久しぶりに蘇ったあの一瞬を、もう少し観ていようと思う。

今という日々も、数年後、また勝手に押された再生ボタンで、どこかの一瞬が鮮明に蘇るのかもしれない。
そしてその時、今はわかっていない何かに気がつく自分が、そこにいるのかもしれない。

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