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勇気を持って発信するというアート。【野良猫を尊敬した日(穂村弘著)】

人生って、自分のことって、多分死ぬまで言い切ることができない、うーん、あ、わかった、定義することができなく無い?って思います。
もちろんいい日もあれば悪い日もあって、明るい自分でいられる日もあれば、めっちゃ最低の人間になる日もある。
その時の感じ方次第だから、自己紹介とか難しいなって思います。
(てか大人になると自己紹介ってする機会なく無いですか?)
でも昨日より今日、今日より明日って具合に、より良くなりたいって気持ちが根底にあって、エンジンになってるから、色んなヒントを得て、めくるめく変わっていくのかな、とりとめがないのかなって思います。
(変化し続けたり、あえて自分のことを自分でもよく分かってないと認識することを居心地が悪いと感じる方もいらっしゃると思うのですが、今の私はゆらゆらするのを好むタイプなんだなということでお許しください笑)

穂村弘さんの「野良猫を尊敬した日」というエッセイを読みました。

穂村さんは「人生のピーク」という文章の中で、0〜20歳の間の成長は凄まじかったがその先の20年は同じようにはいかなかった、と書いています。
得意な英語は受験期がピークだったこと、高校生の時が一番走りが早かったこと、
それぞれの時期が人生のピークだったことにその時には気づかなかった、
将来はもっと英語できるようになっているはずだったのに、今では海外旅行で奥さんに現地での会話を丸投げしている…。

足腰のみならず、心まで弱くなっている。
私の心の強さのピークはいつだったんだろう。
そこを過ぎたらあとは退化するだけなのか。
ふわふわと考えがまとまらない。
これはピーク後の世界への絶望だ。
馬鹿。変な理屈をつけて逃げるな。
身長の伸びと英語や足腰はちがうだろう。
大事なのは努力だ。まだ間に合う。まだ。そうだ。
英語とウォーキングやらなきゃ。
英語とウォーキング。英語とウォーキング。英語とウォーキング。
牛乳を吸って重くなった靴下をじゃーっと絞りながら、私の心はその言葉を呪文のように繰り返していた。

野良猫を尊敬した日(穂村弘著)

でも、穂村さんはこんな一面だってあるのです。
自分の本を出したい、という夢を叶えるために、自ら友人が編集者として勤めていた出版社に依頼して自費出版で本を出すのです。
いつまでも誰かが見てくれる、と待っているだけではダメだと。
しかし結果、ほとんど反響がなかった時期もあり、絶望したそうなのですが、ある日新聞の文芸時評で紹介されたそうなのです。

見てる人はいた。
でも、神様のように見てるわけじゃなかった。
見てる人の視界の中まで、こちらから、よろよろとよろめきながらでも出て行かないと駄目なのだ。
しかも、それを何度も何度も、生きている限り繰り返すしかない。

野良猫を尊敬した日(穂村弘著)

そりゃそうだろ」って言われたらそりゃそうなのかもしれませんが、
毎日は素晴らしい日とどん底の日があって、
人生のピークは終わったんだ、もうダメだ、と思う日もあれば、
自分の人生にこんなことが起きていいのか、と疑ってしまうほどの素敵な出来事が起こったりもする。
肝心なのは、その時その時起こったことを、その時の自分の感性でどれだけ受け止められるのかってことなんじゃ無いかなって思います。
それが出来たら人生120%楽しめるんじゃ無いかって思います。

私は特に、穂村さんの絶望の受け入れかたの上手さに感激したのです。
こんなにどっぷりと、絶望に浸れる、そしてそれを文章として表現して自分に起きた現象や自分が感じたものを文章として捉え直すことが出来る、って本当にこの人の魅力だ、って思いました。
私だったら、「人生のピーク」なんて言葉を多分、脳みそから引っ張ってこれない。
些細なことでも、きちんとこの人は感じて、生きてんだなあということがしみじみ思えてきて、
そういう人が発する言葉や表現が自分の頭らへんのとこにぐさって刺さって一時停止、みたいな瞬間がたまにあるんですよね。
(それもうとどめ刺されてるやないか)


日本で不思議なことをしている外国の人を見かけると、その表情をじっと見てしまう。
例えば、(中略)真冬の駅の地下道で、なんだかよくわからない針金細工を並べて売っていた金髪の男性。
天井や壁からぼたぼた雫が垂れているような暗い場所で、一人で、Tシャツ一枚で、でも、にこにこしていた。
寒くないのかなあ。
辛くないのかなあ。
日本の基準では、貴方の状況はぜんぜん幸せじゃないはずなんだけど、ずいぶん楽しそうですね。
どうしたら、そういう顔ができるんだろう。
私はけっこう快適なはずの状況でも、暗い顔になっちゃうんです。
一人で変なところで変なことをしてにこにこする秘訣を学びたい。と思うけど、そこで、学びたいって言葉が出てくるところが日本人なんだろうなあ。

野良猫を尊敬した日(穂村弘著)

ほんと、人それぞれ、同じものを見ているはずでも、同じ体験をしているはずでも、全く違うように見えていて、全く違う体験をしている。
表現というのが、感じ方というのが、当たり前だけど人それぞれ違って、
他人の盛りフィルターをかけてないその感覚って、人生のヒントであり、美しくて、わかんない、ほんと関係者の方々ほんとすみませんって感じだけど、私にとってはそれがアートだと思うのです、なんか。
だから自分の弱い部分や痛い部分を表現する、って、発信する、って、アート。
であると同時に人生に何かの手助けをしてくれるヒントでもあるんじゃないかなあ。
誰かが勇気をもって発信したものっていうのは、日頃気軽に乱立しているものだけど、とんでもない宝物なんだぞ、って、思います。

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